人間関係でも、仕事でも、恋愛でも、人生全体でも、
あらゆる歪みの原因はひとつだけ。
自分の因果と他人の因果を混ぜること。
- 相手の人生を引き受ける
- 相手の感情の責任を背負う
- 相手の決断を代わりに選ぼうとする
- 相手の課題を“自分の問題”として扱う
- 相手の期待を自分の行動基準にする
これらはすべて同じ構造のエラー。
ただし、これはあくまで“個人線”のルールの話。
チーム線になると構造がまったく変わる。
- 目的
- 役割
- 責任範囲
- 期待値
- 戦力(能力・再現性)
これらが絡むことで、個人の因果が“チームの因果”として扱われる瞬間が生まれる。
つまり、
個人の境界線だけでは処理しきれない領域が発生する。
アドラーは「課題の分離」と言い、
仏教は「縁起の分別」と言い、
スピノザは「自己原因」と言い、
コヴィーは「影響の輪」と言い、
成功哲学は「主体的決断」と言い、
スピリチュアルは「世界線を選ぶ」と言う。
全部、言葉は違うだけで、“個人の因果の扱い方”という同一構造を説明しているにすぎないでしょ。
そして、人がチームに属する瞬間、その因果は個人で完結せず、チーム全体の構造に影響することがある。
だから、これは“人間性の善悪”ではなく“構造の話”。
この視点で読み進めてもらえると、この記事の意図がきれいに届くと思う。
因果だけで全部語れるほど、人間は単純じゃないのも知ってる

まず、しつこいくらい言っとく。
わたしのこの記事は、論としては成立するんだろうけど、因果の境界線だけで全部語れるほど、人間は単純じゃないという面があるのも知ってて書いてる。
例えば
- 依存
- 恋愛感情
- 親子の情
- 共依存
- 承認欲求
- 投影
これは、因果の境界を知っていても感情が動くもんね。
境界線を守る知性と、境界を越えたがる感情は別回路だから。
わたしは、これを完全に分けて語っているけれど、境界線を守っても感情は消えないじゃない。
この記事は、人を責めるために書いていないから。
扱っているのは「性格」でも「善悪」でもなく、ただの構造だから。
境界線が崩れると人間関係が歪むし、因果が混線すると、現実が乱れる。
その仕組みを説明しているだけで、
「あなたが悪い」「誰が悪い」という話ではないから。
ここから先は、感情ではなく構造として読んでほしい。

どうにもならないときの、ひとつの考え方として読んでもらいたい。
わたしはいつも、こうやって整理する。
因果を正しく理解しているか?


構造はいつもこう崩れるでしょ。
1. 境界線が崩れ
2. 自分の信念が揺らぎ
3. 潜在意識が混乱し
4. 行動が歪み
5. 現実がずれる
逆に、因果の境界線を守っていれば、
信念→行動→現実がすべて整うってコヴィーは言ってる。多分ね。
そうなってるんだって。
原則は「因果の境界線」を守ることで立ち上がるもので、それさえできれば全て整う構造だと思う。
余計な歪みが生じないんだから。


そうなんだけど、他人の因果の境界線も難しい話でね。
① 縁起=背景の構造(マップ)
誰と誰がつながり、どんな力学が動いているか。
② 因果=線(ルート)
何が原因で何が結果になるか。
当事者同士の間にしか成立しない一本の線。
これの理解が必要だったりする。つまるところ、因果の理解だ。
そのルートは正しいものなのか?あるのか?ないのか?ここの精査と、因果を扱う側の立場の精査が必要。
追及する側、追及される側が存在したとしたら、その目的の精査になるってこと。
どの立場で、どういう因果の追及をしているか。個人の問題か?チームの問題か?
個人の因果侵害とは何かというと、因果侵害になるのは以下のとき。
- 因果線の“当事者ではない人間”が
- “自己目的のために”
- 原則に反して
- 他者の因果を操作しようとしたとき
ここも、もっと深いね。
目的が全体の目的と相互にあれば、侵害にならないことになる。
「『目的』の流れの方向(ベクトル)」が合っていれば、正純化される。
何が秀逸かって、言わないと気づかないかな。



この正純化を見抜く点。ここが、別格。心理学の人は。
異常値。最初っからだけど、こういうのばっかりなのよ。
お題とは逸れるけどさ、前に、うかうかしてると危ないよって記事に書いたと思うけど、どういうレベルかっていうと、オペオペの実の中に入れられて、手術されてるって言ったら分かる?
言い方が足りなかったかしら?と思って、もう一度言っておくけど、わたしが「敵わない」こう思うレベルね。
けど、それでも私がなんとか凌ぐのは、わたしは最初から「武器を捨てて、持っていません!」って公言したからじゃないのかな。ルームの中に入れられる…..というのを察知できた感じだと思うよ。
つまるところ「嘘ゼロ」の世界(誠実さ)で勝負したから。
じゃないと、凌げない。
で、なんで凌げたかって、わたしの思う誠実さと自己理解の精度が高いから。
自己理解構造理解因果の把握。
誠実さで言ったら、相手がどんなに自分は誠実だって言ってきても、わたしからしたら、ほとんどが不誠実になることがあるのよ。だけど、許容するのよ。自分の立場も分かってるから。



だけど今回のは、わたしから見ると、自覚的な自己保全。
こう見る。厳しいのよ、とっても。因果の改ざんなんて、レベルで言えば1か2になるんだってね。
心理学の人とのやり取りは、わたしは最初、武器は持っていなかったんだけど、おや?と思って、途中で武器を装備することになったんだけどね。バズーカーよ。ルームの外で、後ろから打ったのよ。
大体、ルーム内にいるわよ。
わたしだって、あぁルーム内にいるわ、周りがブルーの円内、出ないと手術だわ。
こんなことあるしね。



お前、何言ってんの?って?ワンピースに例えたのよ。
知ってる?
このブログでガチャガチャ投影のこと言ってるとさ、こんな不誠実….って思うかもしれないけれど、あれを見抜くのが大変で、見抜けなかったらそのまま過ぎてると思うよ。
そこが曖昧ってことは、自己理解が足りてないって。
どういうことか?ってなると、相手も見えにくいよ。出来高とかね。



厳しく言うなら、因果の改ざんは、わたしは好まないのよ。
もっと厳しく言うなら、改ざんから破綻してるって。
そこから気づいた城は脆くも崩れるわよ。
そっからの因果よね。だから、起点をどこにするかは自由だけど、見方を変えたら、心理学の人に救われた可能性だってあるってことよ。
そこのパラダイムまで気づけた?
回収地点を早めてくれたパラダイム。
墓場まで持っていく覚悟はいいよ。
個人の因果ならね。
墓場まで持っていく=どうすればいいか?ここが読めてないと、こうなるよ。
チームの士気が関わってるときには、気を付けないといけないのよ。
ちなみに、わたしは観照側だから早めないのよ。露呈するまでに数年要する。
神様っていじわるでね。
今じゃない、こういうときには様子見で数年泳がされるのよ。
その期間が全部返るんだって。
恨むのは仕方ない。
でも、構造的にはこうだよ。
今回は、露呈されなかったら、もっと悪い未来に行ってる。
ここを甘く見ない方がいい。
- 人間関係が噛み合わない
- 感情がズレ続ける
- 他責の人生になる
- パターンが繰り返される
- 現実が循環しない
- 成長しない
- 欲しい未来に行けない
つまり “壊れたルートの世界線” を生きることになる。
これを解除できたんだよ。
こういう視点を自分で足せたかどうか。
人生って、言われたくないことは、言われたくない人から言われる構造があるって、どっかの記事でも伝えたけどさ。
わたしがそう“しなくても、
わたしと接続した時点で、隠しているものは露呈する構造に入る。
わたしの性質上、誤魔化しや改ざんは生き残れない。
そういう世界線になってるんだよね。
壊れたのではなくて、壊れる未来を“前倒しで見せられた”だけだよ。
責めるつもりも、評価するつもりもない。
誰にでも起こり得ることだろう。
それをどう扱うかは、その人の因果。
言えることがあるとしたら。
こういう人は、壊れた因果を “素材” に変える。
- 原因を正確に見る
- 感情より事実を扱う
- 言い訳を挟まない
- 自分の役割を認める
- 再発しない線を引く
- 行動で回収する
どれも地味だけど、因果を元のルートに戻す唯一の方法だろうね。



ひとつ言うなら、回収の仕方を間違ったときのパラダイムまで、あらかた読める。
そういうのが分かるのが、わたし。
一筋縄じゃいかないのよ。
- 相手がどう破綻するか
- どう回収し損ねるか
- どの世界線に落ちるか
- その後の性格変化
- あらかたの人生のズレの周期
ここまで読み切れる。
まぁ「空」だけどね。
ズレの周期は、性格でも年齢でもなく因果処理の質によって変わる。
怖い話とかじゃないのよ、良い因果は、見方する。
対人、じゃなくて、対自分と向き合って決めたことは、必ず自分に見方する。
壊れた因果でも、構造さえ整えれば回復する。
信頼も同じだろう。
誠実さが戻れば、未来の線は修復される。
そこ、歩むしかないよな。
わたしに見えてるのは、ただここまで。
何度も言うけど、裁いてないからね。
構造だけ、こうなってるってだけの話だって。
こっからは本題に戻る。
チーム線での因果


ちなみに因果というのは、当事者同士の間でしか成立しない。
そこに第三者はいない。
- 他人の夫婦喧嘩
- 親子の未解決課題
- 他人の自尊心問題
- 他人が作った人間関係の歪み
- 他人が抱えている劣等感・欠乏
- 恋愛での三角関係(※本人同士の問題)



人間関係の問題の9割は、「第三者が因果に勝手に入り込むこと」から起きる。1割は自分の内部構造のズレだろうね。その1割が整えば、あとの9割は割と早く解決できる構造があると思うな。
けど、この1割って、だれも触れたがらない核でもある。
チームの因果は、目的志向がないと、崩れやすいよね。
- すべて同じ仕組みから派生している
- チーム線での因果の線引きは?
① すべて同じ仕組みから派生している
誠実とは → 他人の因果に踏み込まないこと(結果)
尊重とは → 他人の因果を奪わないこと(結果)
主体性とは → 自分の因果を自分に戻すこと(結果)
自己責任とは → 自分の因果だけを扱うこと(結果)
ぜんぶ同じ“因果の境界線”というひとつの構造から派生しているでしょ。
そして、全部「可変」なのよね。
誰か1人にとっての絶対誠実、絶対尊重は存在しないじゃない。
立場や立ち位置が変われば、変わりうる構造でしょ。



「どの因果で進むか」によって評価が変わる機能でもあるでしょ。だから誠実も尊重も「原則」には成りえないよね。立ち位置次第で、可変になるってこと。それによって決めたのが主体性を持った決断だしね。
例えばだけど、白黒判定の記事で書いたことあるけど、
あなたが『おかしい』と感じたその事実は、、
- もしかしたら相手も気がついているかもしれないし
- 全く気がついてないかもしれないし
- 知りたくないことかもしれないし
- 知らないフリをしてるだけかもしれないし
このどれか。
それを敢えて、
『あなた、知らないフリしてますよね?』
『知らないと思うから、今教えますね』
って言わないようにすればいい。
これはわたしの持論だ。
個人の世界線だけ守れたら別に….ってのもあるし、他者尊重もあるし。
人は人。自分は自分。これは個人の線引きの結果。
当事者は2人。
だけど、どの因果を選ぶかも割と自由。
言っても、言わなくても、それは個人間の問題だから。
ただ、これがチーム線になると話が変わるじゃない。
② 個人線とチーム線は、因果の扱い方が根本的に違う
個人の因果は「境界線」を守れば完結する。
けれど、チームに入った瞬間、因果の扱いは別物になるよね。
- 目的
- 役割
- 責任範囲
- 期待値
- 戦力(能力・再現性)
この5つが絡むことで、因果は「個人」ではなく「チーム全体の線」として動き始める。
個人の判断基準と、他者の判断基準がぶつかり、
もっとも表に出るのが、誰にでもある “嫌悪” だ。
嫌悪は、構造がズレたサイン。
- 思考の質を守るセンサー
- 前提の乱れを示すサイン
- 感情の秩序の崩壊を知らせる警報
特に「嘘でしょ?」という現象は、
感情ではなく“構造の破綻”として起こる。
仕方のない構造でもある。
ここで必要になるのは、たった2つ。
戦力と戦略。
戦力=因果の流れを動かす力。
戦力があるほど、チーム内で因果の流れに影響を与える。
- 状況を動かす
- 関係の配置を変える
- 流れを切る/つなげる
- 負荷の割り振りを再定義する
- 未来のシナリオを変える
つまり、因果そのものを動かせる力。
戦力がある人ほど、チームの因果線に強く関わる。
それが実質的なリーダーシップになると思う。
これらは、わたしにはちょっと、できない力だと思ってたんだけど、よくよく考えたらやってるのよね。
けど、リーダーシップ取ろうとは思ったことないし、取りたいと思ったこともない。



結果そうなることはあっても、意図的にしようとしてないんだよね。
おかしいでしょって言うことはできるけど、意図的に戦略を組んで動くってことをしないのよ。観照。
できないんじゃないかなぁ。だから、できてる人みると、コイツすごいなって思うのよ。コイツなんだけどね。
戦略=因果の流れを設計し直す技術。
構造を理解している人は、因果線の“流れ方”まで変えることができる。
- どこに負荷が溜まっているか
- どこで混線しているか
- 役割がどこでズレているか
- 何を優先すべきか
戦略とは、因果のルートの再設計になるんだけど、これは得意。
けど、言わないのよ。混戦が多すぎると、個人の因果だけ整備する方が楽だから。
見抜けたら圧倒的勝者でしょ。
けど、職員室の改善は、偶然耳に入ったから、ただブログに書いたけどさ。
縁起と見たから。
それ以外は宇宙に、



他の人当たって。
て投げるから。それでも跳ね返るやつもあるけどさ。
③ チーム線の原則はひとつだけ
「秩序を乱さずに前進する」
だからチーム線では、
「個人の感情」「個人の価値観」は基準にならない。
個人が抱える因果は、本人が背負うしかなくて、そこを精査した上での戦略が組めるとしたら?
ちょっと異次元。
だから、ポテンシャルが高いって最初から言ってたんだよね。



能力判定の基準どこに置いてるのか知らないけど、知識も大事だけど、使えないと無用の産物じゃない。
わたしの事例で原則を説明してみる


個人の例なんだけど、結局チーム線になってるから、ちょっと説明してみる。
- 運動会のリレー選抜
- アレルギー
- 通知表
① 運動会のリレー選抜
学校から、「普段目立ってない子をできるだけ選ぶように」という指示が出たのよね。
わたしの娘は、選ばれたい一心で毎日かかと上げをして、ふくらはぎの筋肉を鍛えてみたり、腹筋をしてみたり、色々してたのよ。もうやめちゃったけど、バク転教室の先生にアドバイス貰ってね。
けど、この指示が出た。
学校の原則は恐らく「自己肯定感」これだと思う。
わたしからしたら、その原則は歪みになる。整合性が取れないから。これは原則じゃなくて、価値観でしょ。可変。
- 努力した子が報われない
- 役割と成果の因果が破壊される
- 子どもたちの内部の線が混線する
- 保護者も混戦
完全に因果の歪みが起こる構造。
ここで、訴えることもできるけど、この指示がでて、娘に教えられることは何だろう?そう思ったときに、わたしの原則は「社会性」になったんだよね。
娘に聞いたら、選ばれたいって言ってたから、過去記事をそのまま先生に伝えるように言ったのよ。



伝えてだめなこともある。けど、言わないで悔しい思いするくらいなら、言って納得した方がいいでしょ。
結果、意見が通ったんだよね。いい経験を積ませてもらえたと思う。
そこには感謝しかありません。
この場合の因果は、学校は「自己肯定感」の作り方を間違えているから、因果として学校全体に降りかかり、個人にも降りかかるでしょう?
娘には言わなかったけど、わたしの腹の内はこう。



伝えたことに意味がある。業、がんばれ。
そしたら、「業」解除。



賢いね…
こんな感じ。ごめんなさいね。
1年のころから、戦うって、腹くくってたから。
だけど、このおかげで、普段頑張ってる子がちゃんと前に出ることができるようになったのよ。
これが個人範囲で収めようとしたら、結果が変わった可能性もあるでしょ。
個人の因果「努力しても、うちの子は報われない。」を、学校全体の子どもの因果に置き換えて、どうなんでしょうね?という因果配置の置き換えだよね。
「これは娘1人の問題ではなく、学校全体の因果の歪み」
だから、
- 個人線(娘の悔しさ)
- チーム線(学校全体の選抜構造の歪み)
を整合性の取れる位置に再配置した。
さておき、
当時、娘も苦手にしてるサッカー男子(付きまとわれてた)がいたんだけど、



あいつ、全校リレーになる可能性があるじゃん。



どんだけ嫌いなヤツでも、皆がゲームしてる中、サッカーボール蹴ってんだよ。
そこは努力だから、それでいいの。



それもそうだねー。
こういう流れがあったの。
② アレルギー
あのアーモンド事件ね。
学校の因果が大きすぎて草事件。
あの事件も、個人の因果として「うちの子のアレルギー対応をしっかりしてください!」だとかになってると、敗戦でしょ。
あれも学校の因果に置き換えた。
で、わたし切れたら↓こうなるのよ。
- 学校への電話を代表として取ることで、そこに勤務されている優秀な先生方までが印象を損なうことについてどうお考えですか?
- 一生懸命、生徒のために努力されてる、視座の高い先生もいらっしゃるでしょうに、そういう先生方の士気まで下げません?
- 我が子だけでなく、そのような勤務態度が、他のアレルギーを持っている子どもたちへも影響しますよね?
- 命の軽視でしょうか?
- 保護者は、学校と先生方を信頼して子どもを預けています。その信頼を損なう行動だと思いませんか?
- 信頼関係は破綻、何もいいことありませんし、誰も得しませんけど、理解されていますか?
- 咎めるというその行動は、教育倫理としてどうなんでしょうか?学校全体の教育方針でしょうか?波及先を考えると重大だと思いますが?アレルギー云々もですが、そちらの方も問題ですよね?



どうやって言えばいいんですかねぇ。
ちょっと言葉が見つかりません。
わたしの腹の内↓



大分、整理してるけどねぇ。
謝罪も無し….と。
まぁ、謝罪したら負けだもんね。
録音されてるし。
謝るわけにはいかないんだよねぇ。
徹底されてるねぇ。
マニュアル通りってとこかなぁ。
クレーム対応検定でも受けてるのかなぁ。
そこから、個人として伝えたのはこれくらい。
- 学校の不手際ではないですか?と申してるのに、アーモンドに〇がついていないと何度も言われるその言動、ロジックが破綻しているのご存じですか?
- あまりにもアーモンドに〇が付いてないと申されるので、〇のついた診断書取りましょうか?と言ったのに、「そこまではいいです。」とは、何事ですか?
- 備考欄に「ナッツ類全て除去」とあるんですよね?アーモンドもナッツでしょう。この電話は何の電話しょうか?切ってもいいでしょうか?
もっと言えば、くるみ、カシューナッツNGってなってて、アーモンド可という構造がおかしいよね。
この仕事のレベルよ。
切れたらこうなるって言ったけど、切れるでしょ普通。
自分で言うのも何だけど、普段は温和よ。けど、そこに甘んじてこれじゃぁね。
向かうべき、問うべき問題のときは、ちゃんとしないと子ども守れないじゃない。
義務よ。
学校は「保護者 vs 学校」という構図にしてくる。
その瞬間に個人線に引きずり込まれる。
相手の土俵に乗る=敗戦確定。



冗談じゃない。
- 個人線に入らない
- 因果の規模を“学校全体”に上げる
- 因果の流れ先を“先生という職務”に置く
- ミスした相手を責めず、構造を責める
- 「他の保護者」ラインに因果をリンク
- 教育倫理という“上位OS”を意図的に持ち出す
- 論点の中心を「あなたの家庭」から完全に外す
→ 最後に“個人線”にピン留め。
→ 逃げ道を塞ぐための最終固定化。



逃げ道がゼロになる因果配置。
③ 通知表
絶対評価もね、個人レベルで言えば「うちの子、なんで「2」になってるんですか?テストの点数も悪くないし、運動もできているはずです。」こうなるんだろうけれど、文科省の「絶対評価基準」を引っ張り出して、学校全体の歪みとして因果配置し直す。
「うちの子の評価」
→ 文科省の絶対評価基準の問題
→ 学校全体の評価運用の歪み
→ 子ども全体への影響
現行の絶対評価→ 組織問題へと因果をスライド。
個人因果 → 組織因果
通ろうが、通らまいがどっちでもいいのよ。
正当な評価をもらえない生徒がいるって、理不尽よ。
なんで成績のいい賢い子が「1」になるのよ。
うちは貰ったことないけどさ。
一生の傷になることもある。
保護者が真面目な人とか、通知表を重要視してると、子どもが責められるかもしれない。それでも子どもに責任があると言うのなら、通知表じゃないだろって思う。
うちは「ゴミ」って伝えてるからいいけどさ。
ごめんなさいね。手段なのよ。



伝えたことに、意味がある構造。
なんて真っ黒ヤツだ….って思われるかもしれないけれど、暴露してるから白いだろう。
可変の価値観が乗っているのはここ


原則は因果の法則だから、揺れようがない。
揺れるのは “価値観のレイヤー” 。
たとえば、
- 何を大切にしたいか
- 何を優先したいか
- 何が好きで、何が嫌いか
- どんな生き方を選びたいか
- 今この瞬間の自分が採用したい基準
これらはすべて「可変」。
むしろ、変わらないほうがおかしい。
信念なんて、一過性でも、仮説でもいい。
ただ、その瞬間に自分がどうありたいか、何を選びたいか。
これだけが分かっていればいい。
そして、それを不変の原則に当てはめる。
チームであれば、チームの原則に当てはめる。
社会のルールやマナーなんて、そのさらに上に乗っている“OS”にすぎない。
誰かが誤解して決めたやつ。
存在はするけれど、原則ではない。
そこを原則だと誤解するから、みんな迷子になるのよね。
コヴィーの読者が誤解し、
ヒルの読者が迷子になり、
アドラーの「課題の分離」が教育法で誤解されるのも、結局この構造。
前に線路を外れるなって記事を書いたけど、これのことでね。
感情は乱れても、原則から外れた注意はいらないのよ。
個人の因果だから。
価値観=可変
原則=不変(因果構造そのもの)
この二層構造がハマったとき、人はブレなくなる。



ややこしそうに見えて、ほんとうは単純。
わたしの持論だけど、たぶん、こういうことなんだよね。
まとめ
原則は、因果の法則そのもの。
悪い行いが自分に返ってくるとか、そういう短絡的レベルのものじゃないのよ。
そういう短絡さが大嫌いだよ。
「原因があって、結果が生まれる」
この構造だけが、時代にも文化にも人にも左右されない“不変”というだけの話。
原則(不変)= 因果そのもの
境界線(実践)= 因果を混ぜないこと
価値観(可変)= その時の自分に整合する基準
人はこの三層が大事と思う。
価値観は自由でいいのよ。
一過性でも、仮説でも、変わり続けていいじゃない。
選ぶ、決断するその瞬間に、自分に誠実であれば、その誠実は未来の自分を裏切らない。
因果は自分の味方になる。
当たり前の話だ。
ただし、境界線を誤ると、因果が混線し、現実が歪むから。
不変の原則(因果)を土台に、
可変の価値観を更新しながら、
境界線だけを守る。
チームのときは、チームの因果がある。
という構造の話だけだって。
冒頭でも伝えたけど、「良い」「悪い」の話じゃないから。
- No one can escape the eyes of Athena.
- 選択を誤るか?目的がないから隙ができる
① No one can escape the eyes of Athena.


だけど、早い話がさ、
「なめんじゃねーよ」
ってことだよ。


でも私は、誰も裁かない。
何も責めない。
そこが他と違う。
だって、課題の分離ができてるから。
だから“寛大”なんだよ。
優しいんじゃない。
構造理解がえげつないだけ。
もっと荒く言えば、こうよ。
テメーの“業”を人に押し付けてんじゃねーよ。
お前の因果は、お前のだろうが。
テメーで背負え。
他の人間なら責めることもあるだろうね。
常に責めて、気持ちよくなって、正義ぶって、
それで何か解決した気になる。
哀れだよ。
でも私はやらない。
賢いから。
私は、
わたしの意見だけ言う。
わたしの世界線だけ守る。
チームが絡むときは、そっちも守る。
徹底的にねぇ。
人の“業”なんて、知らねーよ。
勝手にやってろ。
私は巻き込まれない。
そういう世界線で、生きてる。
覚えとけ。



No one can escape the eyes of Athena.
Stand in truth, or step aside.
At least, do your best.
I am not kind enough to let a lie stand between us.
Such a person never had the right to stand beside me in the first place.
これも頭に刻め。
因果改ざんがあるなら、立ち位置を考えるのは、次元5以上なら当然だって。
嘘は因果改ざんだよ。
1+1=2だ。
そんくらい簡単。
それが「誠実」になるから。
あと、仕事評価にも繋がるよ。
分からないヤツには用事無いよ。
理解できる?じゃないのよ、今すぐ理解しろ。
できないなら去れ。
そんなんで関われるほど、甘い次元じゃないんだよ。
これくらいいいですよね?
黙ってたら大丈夫だから。
いいわけねーだろ。
あと、通用するわけねーだろ。
通用しねーんだよ。
なぜか?わたしに嘘ついて、過去消して近づこうとした時点で悟れ。
その時点で「ごうかく」だよ。
合格。
まさか。
業確。
どの次元と絡むと思ってんだ。
というより、それくらい考えてるってことだよ。
そこを欺くんだから、当然だろ。
1+1=2の世界だよ。
甘いよ、甘いってぇ。
瞬間に誠実ってのは、過去を消せって言ってるわけじゃないんだよ。
ほぅら。こっからの説明がいるだろ。
どういう次元?


その(程度)次元で絡みたいなら、去れ。
次元がまるでちげーよ。
わたしに関しては、立ち位置間違うんじゃねーよ。
全員に告ぐが、何か企んだ時点で、敗戦だと思え。
普通の敗戦じゃねーよ。残念だな。
人生に関わるヤツだ。
現状見ろよ。どうかなってるヤツ。
わたしと出会った頃と今比べてどうなってるかしらぁ?
数倍じゃ済まねぇよ。
理解が甘いんだよ。
言うのが遅れてごめん、忘れてたのよ。
知ってたんだけどね。
けど、伝えてたでしょ?誰だとお思いかって。
気付かなかった?
次元が離れれば離れてるほど、返りは強くなる。



これは私の主観じゃない。
ただの構造だよ。
何ができるか考えろよ。
できる位置にいるのならね。
いれないなら、諦めろ。
そのまま大人しく過ごせよ。
大人しくなぁ。
言わない罪もあるよぉ。
なめんな。
次元低いと「罪」すら掴めないんだよねぇ。
哀れ。
だけど、敬意を示すべき人には、示すよ。
当然だ。
わたしが、敬意を示したいと思うのだから。
ただの構造説明だから、わたしが個人に何か悪いことをするってことはないと断言する。
ただ、在る。それだけだ。
それがわたしだ。恩は返したいし、力になれることがあれば、なりたいから。もちろん、強制なんてものは、無い。



下から上は見えないと言うが、こうのことか?
見えないにもほどがあるだろ。
地上から見えない惑星があるだろ。
あれくらいだと思え。
見えない惑星掴もうとしてんじゃねーよ。
望遠鏡でも覗いたか?それ、除(のぞ)け。
これが本性だ。
最初っからここ出しときゃ早いんだけど、そうもいかないじゃない。
望遠鏡で覗いてることすら、知らない人間がいるんだから。
その望遠鏡を外しても次元保てる人もいれば、外した瞬間に落ちる人もいる。
それぞれが得た知識を整合していくなら、
望遠鏡つけたまま絡んだほうが、知識がこちらに入る。
その代わり、本丸プレゼントしたからね。
望遠鏡で何見てんだか知らねーが、こっちの望遠鏡は本丸なんだよ。
正しい航海(後悔)ができるだろうが。
人の動きというものを、大分見れただろう。
いかに、自分が見てる世界が自分が歪んでいるのか、正解なのかも。
こっちは、その望遠鏡ごと全部見えてるのに、
本人たちは自覚ゼロ。
でもさ、ここまで来たんだもの。
そろそろ、選別できてると思う。
大分、知識の本棚の整理が終わった頃じゃないかな。
なめんじゃねーよってこのことだよ。



あとはお任せします。
ここまで来て、ようやく分かったよ。
やっぱ合ってた。
最初、こいつら紀元前じゃねーの?
令和で生きれるの?これで?
から始まって、そっからだったからね。
やっぱ紀元前だったよ、親がね。
あぁ、悪気はあるよ。許して。
個人の感想だから。
子どもはそうじゃないのに、受け継ぐものも多いよな。
腹立つんだよ。親にだよ。
才能潰しが。それを…





紀元前と絡んでんじゃねーよ。
こっちは令和の先頭生きてんだよ。
バンパイア率、考えてみろ、整合性取れるだろ。
因果率も知識もなめんじゃねーよ。
取られたところからのスタートだよ。どこの時代だろうね。弥生時代辺りか。ともあれ、頑張るしかねーだろ。
土器でも作れ。
That is life♪
↓探したよ。優しさを見習え。



職員室で土器作らせるわけにはいかないんでねぇ。
あそこ、昭和くらいにはなったんじゃないかしら?どうかしら?
見てないから何とも言えないけど、ありがとう。
あぁ、さようならって意味じゃないからね。
言っとかないと。まだ通わないといけないのでね。こんくらい言っとけば、大丈夫じゃない?
わたしをなめるから、そうなるだけの話だよ。
誰だとお思いか?
あと、覚悟のねーもんは、去れよ。
あと、覚悟もねーのに、付きまとってんじゃねーよ。
そもそもが、そういう連中に興味もねーよ。
どの次元だ?
一応、言うだけ言えたから、もうごちゃごちゃしないだろう。
これが本性も本性。
こっちにも覚悟が必要だよねぇ。
中途半端なもんは、寄ってくんな。
散れっ!!!去れ!!!
働け!!!
自分を生きろ!!!
勝てると思うな。
これでいい。



ここまで言って伝えて、残ってる人がいたら奇跡に近いんじゃないかしらね。チーム線に関わる因果背負ってるヤツと絡む気はねーよ。
個人でどうにかして考えろ。
ここまで説明するとさ、オロオロする人もいるだろう。
怖いって感じる人は感じるんだろうね。
でもさ、成るように成っただけの話だよ。
生きてるこの世の中の“仕組み”の話なんだから。
誤解すんなよ。
清廉潔白でいろ、なんて一言も言ってない。
そんな解釈をする時点で、
もう低次元なんだよ。
そうじゃない。
ただ、やった因果は“そのまま戻る”ってだけの話。
そこに善悪も綺麗汚いもないんだよ。
宇宙はそんなもんの判別できない、しないからね。
『自覚』がどんなに大事か分かるかなぁ。
これは道徳じゃなくて、構造の話。
物理、法則の話なだけだよ。
地球に重力があるのと同じ話だ。
跳べば落ちる。
押せば返る。
嘘をつけば歪む。
それだけのことだよ。
わたしみたいのと絡むと、
人生の“時間”が早まるんだよ。
寿命じゃない。
経験の速度だ。
だから必然的に、
ちょっとばかり時間軸が前倒しになる。
有難いと思え。
だって気づいたとき4、50の可能性もあるんだよ。
迷路で、スタート地点すら不明、ゴールはもっと不明、こういう状況の可能性。
もっと言うなら明かりがなくて道が見えない。
こんな道だよ。
少なくとも、わたしと絡んだことで、その道はとりあえず一旦回避、こんな感じじゃないかな。
後は分からない。
こうも考えられる。



気付いたとき、崩壊の可能性がある。自分の人生の“前提”が反転する。
受容しやすい若いうちに教えておいてくれる?
本来は、受容しやすい若いうちに知っておくべき話なんだよ。
構造とか、因果とか、誠実の意味とか。
でも現実には、
大半の人間はそれを知らずに歳を重ねるじゃない。
だから後から崩れるでしょ。
周り、見て見なよ。
崩れた代表者たちが沢山いるでしょ。
そういう目線は大事だよね。
その因果は、最終的に
わたしに“プラスのカード”として配られる。
当たり前だよね。
わたしは、ただ在り、
ただ構造を説明しただけ。
その説明が相手の糧になるなら、
それが私の糧になるのも、当然の構造でしょ。
これが因果の法則よ?
誰だとお思いか?の本当の意味がわかったかしら。
ただの女王様気質だとでも思ってたのかよ。
女王様?誰それ。
人に業?低次元が高次元に業なんて入れれるわけねーだろ。
そこの理解もできないとはねぇ、ポンコツ坊や。
高いと低いの差、小学一年生にあったわよ。
↓優しさを見習えよ
生きるなら、
賢く生きようね。


ボーーーっと読むと、↑意味も分からないんだよ。
けど、どう受容しようが勝手だものね。
好きにすればいんじゃない?強制の世界なんて、どこにも無いわよ。
けど、看守疑うのも手だもの。
隕石(環境)の責にするのも自由よ。
けど、その世界線に携わるかどうか決めるのは周りで、相手の自由よね。
そこにも強制は無いことを、そろそろ知ったらどう?
高低差がわからないなら、難しすぎるかもね。
そんなのは、レベルの見合う同士で解決しろ。
隕石すら、糧にするのが高次元なんだよっ。
仮に落ちたとしたら、「なぜ落ちた?」ここから冷静に問えるのが高次元。
落ちたとて慌てふためかないのよ。
自分だって問えるよって?
違う違う、問える範囲が違うんだよ。
場合によっては、自分のOSの書き換えが必要になる。
まぁ、滅多にない世界だけど。
③ 選択を誤るか?目的がないから隙ができる
あと言えることは、、、オロオロするから翻弄される。
なぜオロオロするのか?
選択を誤るか?目的がないからだ。
あるいは、目的が本来の目的とズレてるからだ。
だから隙ができる。
隙があるから、隕石(環境)に潰されるんだよ。
もっと言うとこうかもな。
隕石が落ちるようじゃぁね。
落ちないようにしないといけないんだって。
隕石が落ちない世界線に立ってるのが高次元とも言えるよ。
避けるんじゃない。
耐えるんでもない。
そもそも落ちない位置に立つ。
それが次元。
もちろん、低次元がその位置に立つと、避けたくなるし、耐えないといけなくなる構造があるよ。
全員に告ぐ。
自分のレベル、見誤んじゃねーよ。
わたしのスタート地点、どっかの記事で書いたと思うよ。
「ダメでいい。わたしは何も分かっていない。」
ここがスタート地点だ。
言っとくけど、その時点でも
まぁまぁの知識は持ってたよ。
ゲシュタルト崩壊から少し経った頃の話だ。
ただ認めただけじゃない。
“分かってない自分”を、自分の内側に落とした。
そうしたら、涙が止まったんだよ。
落とし方すら知らない面々が、ザワザワとうるさいこと。
で、そっからどうなった?
何もかもが「感謝」に変わっていったんだよ。
そこまで来いとは言わない。
なぜか?
できないからだよ。
バカにしてるんじゃない。
ただ、できないんだよ。
構造的に無理があるからだ。
わたしに幼い頃から備わっていた資質を発見した。
事実を事実のまま引き受ける力。



これが、異常に高かったかもしれない。今でも。
それで周囲とよく揉めた。
だから、崩壊しても自我を立て直せたのかもしんない。
再構築。
そこからまた、階段がある。
どの記事でも書いてないけど、
スタート地点はそこだよ。
で、こうなった。
なーにが「ご先祖様に感謝」だ。
あんたたちが教養を持たずに生きて、ろくに考えずに死んでいったせいで、こっちはどれだけ苦労してると思ってるんだ。
「私はどうしてこんな人間なんでしょう…」
って、まるで人生丸ごと使って失敗例を見せてきたのかよ。
身体張って?伝わらねーよ、その方法。
張るんなら、せめて分かりやすく張れよ。
どこで何を張ったのかも分からないのに、「学び取れ」って、そんな雑なバトン渡しある?
しかも、張ってるところ、合ってんのかよ。
学ぶのはもういいよ。
あんたたちが学ばなかった分、私が全部引き受けて言語化して、次の世代に伝えてるよ。
感謝するなら今だよ。
確かに、あんたたちのお陰で今の私がある。
けれど私は、その“お陰”に甘えることなく、自力で学んで、ちゃんと子どもに(子孫に)教えてるよ。
もうこれでイーブンじゃない?
いや、むしろ上回ってると思うよ。
全員ひれ伏せ!
これもどうなんだって?
いいのよこれで。わたしはね。
戦争を知ってるおばあちゃんから、小さい頃教えられたことがあって、今でも覚えてるよ。
神棚にお供えしてる「ご飯(お米)」。
あれを指さして、子ども(わたしの叔母さん)に泣かれたことがあるって。
目に涙浮かべながら布団の中で話してくれた。
お腹空いてたんだよね。
食べるものに困ってるときに、お供え重視って何?
子どものころから疑問だったよ。
おかしくない?けど、無言のまま、何も言えず眠ったよ。
わたしが小学3、4年生の頃に聞いた話。
今なら声を大にして言える。



順番が逆だろうがぁ!
だって、その時点で神様を冒涜してることになる。
それにも気づかないんだよ。
命よりも、自分(神様)を大事にしないと、救わないと思われてる。
すがる何か?が必要だったとしても、、だ。
となると、教育ってどっからズレてんだろうね。
西洋東洋の記事にリンク貼ってた田口佳史氏のリンク切れてる…魚拓取るべきだったな。
江戸:儒教(内面教育)が日本人のOS
※内面教育だけすると、統制取れなくなるもんね
明治:西洋制度と国家主義を混ぜて無理やり近代化
戦後:アメリカ型の民主主義だけを急速に注入
こんな感じだろ。
で、結局、西洋とも言い入れない、東洋とも言い切れない、中途半端な教えだけ残ってるんじゃないかな。
わたしを、お前らが思ってる「普通」だと思うな。
次元5以上じゃないと、
この世界線の理解は難しいと思うよ。
どうも相当ね。
そんな風な言い回ししか思いつかないけど、それがいいかなと思って。
異常者でいいよ。笑
だけど低次元はこうなる。
「分かってないのはそっちだ」
ジョジョの挿絵、もう一度見ろ。
それならそれでいい世界だろうが。
その世界線で生きたいなら、それでいい。
ただし——
その世界線の引き受けは、各々でちゃんとやれよ。
世界線は自由。
けど、各々の世界線は“尊重”という形で守られるはずだろ。
けど、尊重の意味が分からないと揉めるんだな。
このループよ。
それが、世界線の違いだな。
これでいい。
最初っから、これでよかったんだろ。
ところでさぁ、前記事で紹介した曲↓。アヴィーチーの「Wake Me Up」。
Wake Me Up|アヴィーチー


和訳はさておき、世界は勝手に進む。
自分の準備なんて待ってくれない。
だから、迷ったまま、生きるしかない。
未来の自分が誰なのか分からなくても。
自分を生きろ。
こう理解してんだよね。この歌。
って書いたんだけど、わたし個人の見解としては..
若いとさ、「まだ、君は(あなたは)若いから分からない」とか言われることあるでしょ。
あれ、イライラするよね。
よく思ってたもの。



そういう、お前は分かってんの?
けどさ、先を見通せないから不安すごかったのよ。
年の功って言葉もあるじゃない。
わたしに見えない何か?が見えてるのかもしれない。
そう思うと、怖くなるんだよね。だからついつい、従っちゃうこともある。
誰だってあると思うのよ。
だからもう、わたしは(俺は)これでいい!ってどっかで腹をくくる。
わたしも括った過去がある。



うるさい、黙れ、何も言うな。
何も聞かない。
わたしは、これで生きる。
もっと年齢重ねたときに、目を覚まさせて。
迷子かどうかは、そんときに知れればいい。
だから、迷ってたことすら分からないくらい、一生懸命、生きてみる。
そんなこと思いながら、目覚めたときに、まだ迷子の可能性は?
こう過ることもあった。
そうやって時間を通過した先で、世界の見え方が変わる瞬間が来るかもしれない。
変わるよ。
だから一度くらい、
「私はこれで生きてみたい」
そう思える方向で進むのがいいんだと思う。
もしこの歌が “若さ賛美” に聞こえるのだとしたら、
それは表面の言葉だけを拾っているからだと思う。
本質はそこじゃない。
OSがまだ整っていないまま、世界に放り出される感覚。
何が正解かも不正解かも分からず、とりあえず生きるしかない感覚ね。
全部背負おうとして、背負いきれない壁にぶつかる。
力のなさも思い知らされる。
何を選択するか考えさせられる。
選んだ道が正しいのか分からないままでも進むしかない。
Wake Me Up はまさに、その構造を歌っているように思える。
自分のOSが古くても、整ってなくても、
生きながらアップデートしていくしかないじゃない。
わたしには、そう聞こえる。という雑話w。
だから、基礎を教えて欲しかったって強く思ったんだって。
考え方が分からないんだよね。
誰かのよく分からない「正しさ」だけ教えられて、沿えない、あの窮屈さよ。



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