母親との関係が及ぼす影響※母親の息子依存について

前回の記事が長くなりすぎたから、独立させました。

わたし自身も親。

でも、母親という役割を放棄する人を見ると、本当に言いたくなる。

痛々しくて、見ていられない。

もちろん、誰もが完璧な親ではないし、時には逃げたくなるほど追い詰められることもあるだろう。

だけど──

『子どもを育てる』という基本すら見ようとせず、子どもを“自分の一部”かのように扱い、それを矢ではなく盾だと言い張る姿ほど、見ていてつらいものはない。

矢でも盾でも、子どもを道具にしている時点で、母親としての根本が問われるべきなのに。盾だと言い張れば“守っている”と錯覚できる──この滑稽さ、そして恐ろしさよ。

矢: 子どもを自分の感情のはけ口として利用、無意識に傷つける行為(例:怒りや愚痴の対象、失望の投影)
盾: 子どもを自分の癒しの対象、あるいは存在理由とすることで、自身を守る(例:この子だけは私をわかってくれる、私の味方でいてくれるはず)

特に、母親が息子に執着する異常さ──あれはどうしても受け入れられない。

目次

母親が息子に執着する

たまに聞く話でしかないけれど、それを伝える立場として、一応ここに書いておく。

傍からどう見られているか、気にしたこともないのかと思う。あまりにも痛々しくて、草も生えない。“ダサいの極み”を体現しているような姿勢に、容赦は必要ない。

母親にとって息子は恋人のようだ…とか言われてたりするじゃない(爆笑)。

そういう文言見てさ、

わかるわかる!やっぱり、そうだよね。大丈夫。

どこが大丈夫なの?どこの育児書か知らないけど(呆)。

誰が言ったのコレ。ゾッとする。

全然わかんないんだって。だって、そういうのが基盤にあると、子育てに影響するもの。形が崩れるでしょう?母と子じゃなくなるってことだよ。異性になっちゃう。この弊害たるやよ。

多分これ、前提が違うのよ。

前提を疑うのがわたしだから。事の全容を見ようとしないで作るから、こんな育児書ができるんじゃない?景色が全部見えてない状態で、語るから、こうなるだけの話。全部見えてたら、なぜそうなるのか?から問うことさえできたら、こうならないでしょ。まず、問えよ。

息子を誰にも取られたくない。その感性普通かな?って思うよね。わたしからしたら、規格外。

息子産んで、そう思えるのかな?と思ったけど、一度も思ったことないし、この先も一生ねーよ。恋人???何あれ、間違えてない?真っ先にそう思ったよ(呆)。

わたし、息子には、

ママという人を見て、ママがどういう考えで、どういう風に生きているか、ママの人格を見ていてくれる?そして、取れるところは盗りなさい。

こう言ってるよ。

6歳だけど、自分を大切にする方法、挨拶、声の大きさ、お友達への対応、全部説明する。分かんなくても。

息子に執着して依存して、よく平然としていられるよね。裸で闊歩する方がまだマシじゃない?この感覚、わかる?

『精神的なだらしなさ』の方が、物理的に裸で歩くより恥ずかしいって感覚。見てて痛々しい以外ないんだって。

どれくらいいると思う?

母子で互いに執着してしまう人数は、1000人中およそ5〜6人

教えといてあげる。あなた方(母子で互いに執着)の人数。1000人中およそ5〜6人。

まず、これを自覚するところから始めたら?

え?もっといるはず…

と思うなら、波長の法則によるものが作用したか感化されたか、異質な環境があったか?じゃない?一歩外に出てみなよ。世間は広いんだよ。

会話ひと言、所作ひとつ、そこから見えるあなたと息子さんの関係、約995人くらいからどう映ってるか想像したことある?正直に言って、痛烈だよ。考えてもないでしょ?でも、伝わるときは一瞬だからね。だって、995人と、5、6人の普通の感性って差異がある。その異質さに995人側はすぐ気づくわけよ。995人側の親子見て、どう思ってるか知らないけど、995人側からは、うわぁーー..(痛)見てらんない。の世界だからね。

そのパラダイムが995人側に存在することを覚えておくといいよ。

見え方、分かりにくいかもしれないから、一応絵を使って表してみるよ。995人からどういう風に映っているか。

絵で表すとね、↓こういう感じだよ。子どもに責はないけど、応じてる子どもごと冷ややかな目で見られてるからね。

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