前回の続きになります。
というか、長くなりすぎたのでこちらに移動しました。
ここにあるのは、単なる怒りの記録でも、長文の愚痴でもない。
罵倒もある、皮肉もある、けれどその奥にあるのは――構造。親を憎んでいるように見えて、それは自分と親の投影だった。
つまりは苦手な親=自分という構造の世界。
弱さを罵倒しながら、ほんとうは強さの芽を探していた。
誰かを責めているようで、それはすべて自分への罵倒。
これを読んで『痛い』と感じる人ほど、たぶん一度は“罵倒側”を通ってきた人だろうと思う。
無自覚なまま誰かを下に見て、自分を保っていた記憶がある人。
つまり、この記事は『感情の構造解体ショー』であり、『自己一致という爆弾』を抱えてしまった者の、孤高の戦いの書でもある。なめてもらっちゃ困る。
心理学では届かない場所で、構造を自力で暴き、自分の手で組み直したわたしの記憶と実況中継。
弱さと強さ

弱さにはさ、自覚があるものと無いものの二種類あってさ。
そこから、自覚が無くても、伝えられて受けられる度量がないとダメだよね。
きっと、本当の強さって、弱さを自覚したまま、誰かと関わろうとすることなんだよね。
わたしにはそれが、いちばん“美しい強さ”にも見える。
いつも思うけど、強さと弱さって表裏一体だよね。
通常は大体、弱さの自覚もなく、自分が弱者だと思う者を見つけて罵倒するか馬鹿にする、もしくは、提示されると怒るのよね。
わたしの美意識に反するのよ。
だけど、それでも正当化を続けるのが、わたしから見た本当の弱者ね。
それでも、伝えてきた時期もあったものだけど、止めてたのよ。
伝わらないから。意味ないし。
対時間を考えたら、そこに価値ないでしょ。

元々、わたしは自己一致率100%と同等。
けど、不完全。
最初に構造に気づいたんだって。
だから、正解(自己一致)の模倣から入った。
だから制御力がすごいのよね。
知ってしまった以上、添わないと美意識に反するから。
けど、答えが分からないのよ。
けど、正解は分かる。この状態だ。
自分の我=相手への不敬という考え方
自分の我=相手への不敬になると感じていた。
自分の感情を出すことが、相手の自由を侵すようで(まぁ、相手はその尊重にすら気付かないことが多いけどね)、それは美意識に反するとすら思っていたから。
というのも、わたしに問題があって、どうしても多分見えすぎる。
だからいつも、わたしは〇〇だ。
と存在としての答えしかしてこなかった。
関係で語るとき、”なぜ必要か?” に自覚がないと、依存や確認要求(これには自覚が必要)にすり替わるんだよ。
だから、どんな感情があっても、“委ねる”以外の選択肢がなかった。
つまり、受け身で縁起に従う。
考えてみたら、こうして欲しいなんて、言ったことがない。
誰にも。
この構造は見えても、答えが分からない。
伝えたいことすら分からない、掴めないから、伝えられない。
『正解』は構造や論理から導ける。
だけど、自分の“本当の答え”が何かは、ずっと曖昧。
ここにきて、ようやくワンピースが分かった。
だけど、伝えても次元が違うと伝わらない。
次元を保つための行動が全部水に流れることもある。
温床による慢心の正体=自己不一致、自己理解不足


受容により慢心が出るということは、恐らく、わたしは真逆だろう。
どういうことかというと、わたしの様な賢い存在から認められたところで、そこが温床になり慢心が出るのは、お前に自己理解が足りないからだ。
恐らく本来の自分に、まだ辿り着いていない。
つまるところ、本来の自分をまだ知らないに等しい。
それを証明したかったのか?存在さえ確認できたら、大丈夫になるはずだ。
違いましたという結論がでて良かったな。つまるところ、自己理解不足だ。
この自己理解不足者が。
今度、自己理解云々言ってみろ、そして意味もなく弱者を罵倒してみろ、海に沈めてやる。
いいか?人を罵倒していいのは、わたしから見た賢い者だけに限るんだよ。
そこにお前はいない。
資格がそもそも存在していないんだよ。
免許を自ら捨てたからな。
この構図、気づいてなかったに違いない。
そしてここに落ち着く。
無自覚な自己不一致者は、平気で人を傷つけにくる。
存在確認のために。
わたしがいい例だろう。笑
気が済んだか?
せーせーしたことだろう。
自己重要感も満たされて、満足かな。
存在承認なら親に頼め。
自分のことにも、自分でYESを言えない人間が、わたしに何の用だ?
わたしは自分で自分にYESを出している人間だ。
認められたこと?一度もないけど何か?
誰か認めて、これならまだ分かるわ。笑
目的に沿えるから。
しかし、対象は親なのに、それを他人に求めるこの構図は、目的に沿えてるとは思えないね。
自己承認の旅に他人を巻き込んでんじゃないよ。
親じゃないとダメな図だろう?わたしは違う。
自分の渇望、真(心)に向き合ったから。
何にせよ、すごいね、このポテンシャル潰しは。
圧巻だよ。
数値で表そうか?100が最上級だとしたら、マイナスが付く。
それくらいだね。
見立てが正しければ、100どころじゃない。
数値がかなり高いはずの人生。
飛躍ぶりが違うんだよ。
大体想像ついたわ。
まぁ、ここを感覚的にでも悟られたとしたらば、途中から制御が入るだろうね。
その制御が檻だな。檻から出られない人生の図が成立した。



離れないで。
爆笑だな。コントかよwww
自己理解?笑わせるな。
なるほどな。


Take care.
人生の何を失うことになったのか、想像しろ。
そして、それを潰す根本的原因は誰だ?
そこに承認を求めに行く人生って何だろうかなと不思議で仕方ない。
世界は広いのに。宇宙もある。
こう言っちゃなんだけど、狭すぎて草。
それでも、認められたいと思うかよ。
十分足りてるのに、どこに証明求めてんだよ。
数値の高さは、下からは見えないんだよ。
こういう言い方すると例えが悪いけど、自分よりも数値が低いものに証明を求める人生を想像してみたら?
1000はマイナスになる。当然だ。
どこに向かって生きてると思う?それが羅針盤の無い、考えることができない人の生き方になる。
怖いよな。
親に認められることはない、そしてその親を否定し続ける、けど認めて欲しい、けど認めない、否定し続ける、これのループだな。
親に認められたいと思う願望すらない。
だって、そんな経験幼少期から無いから。
認められることの存在すら知らないの、わたし。
『欲しい』と思う前に、それは無いものとして人生設計を始めるしかなかった。
お前は、認められた経験があるんだろな。
だから渇望となって出てくる。
その存在すら知らないわたしは、親から認められたいと思うことすら存在しない。
まぁ、ここに差がある。
良いか悪いかは、分からないが、出方が違うところをみるとそうだろうな。
どの道、ナメんじゃねーよ。
自己理解って難しいでしょ。
見たくない自分をとことん見ないといけなくなる。
大人になればなるほど、それが大きくなる。
だから教育って大事なんですよ。
うかうかと生きてると、増えるばかりよ。
船から早く下りて、賢く生きないと。常識で定跡よ。
だって、現在↓こうだから。
ここに期待できないじゃない。
あなたがそれを身をもって証明してるでしょ。





さぁ、わたしは誠実だから、采配をしていることを先に言おうか?
こちらの記事含め。
怒りをぶつけてみたらどお?
このわたしに。できるものならだけど。
1筆でも100筆でもどうぞ、どうぞ。それもできなけりゃ、檻にずっと入っとけよ。
出れないんだよな。
けど、出る覚悟も無い。
否定しかできない。動けない。まぁ、近いだろ。
けど、その1筆も、波長が合わなければ届かないのよ。笑
運だめしでもしてみたら?
ごんぎつねと同じじゃん?
自分の課題を他人に投げて、無自覚にしっぽ振り回してんじゃねーよ。
お望みなら、火縄銃で撃とうか?
青い煙はめんどくせーから、浅葱幕買っとけ。
歌舞伎で使うヤツ。
まぁ、図星だから怒りとなって現れることは無いだろうね。
普通は、図星突かれたら怒るのよ、けどさ、わたしのは、なぜそうなってるか?
まで説明するから、それが起きない構図なの。
理解はできるけど、心が追い付かない、まずそれを認めたらどうだ。
そこからが第1歩だよ。自己開示すらできない弱さも分かろうとした。
そこの段階まで到達していると判断したが、読みが甘かった。
意味が無いな。
わたしのフォローを甘く見るな。
利点を見逃しすぎなんだよ。
あと、わたしの『責任は取る』この意味を理解しなさすぎだと思うよね。
最初から言ってたじゃない。
忘れてた?誰が言ってたと思ってるの?けど、簡単に船に乗れるほど、整ってないのもお見通しだったよ。
しかしそれも、自分を正当化するものには、無用の長物にしかならない。
正当化するのは簡単だもの。
証拠を突きつけようか?人を変えようとするところだよ。
親に変わって欲しいという願いを捨てたらどうだ?
二ーバーの祈りの記事を1,000,000回くらい読め。
そしてもう一度置くよ。少し前の文言だ。
どうも、日本語も読めないらしい。何人だ?
ただ、行動を改めることもなく、人を咎めるだけ咎めて、主張ばかりするような低俗な人間と絡むつもりは一切ない。
分かっとけばいいんだよ。分かっとけば。
理解までは行かなくても。弱さに気づければいいんだって。それだけ。
基礎の『き』も分かっていない、平気で人を傷つけられるような者が、このわたしに何の用だ?それがわたしだ。
とても厳しいんだよ、実はね。
通常はね、大体、弱さの自覚もなく、自分が弱者だと思う者を見つけて罵倒するか馬鹿にする、もしくは、提示されると怒るのよね。
わたしの美意識に反するのよ。
だけど、それでも正当化を続けるのが、わたしから見た本当の弱者ね。
それでも、伝えてきた時期もあったものだけど、止めてたのよ。
自分も該当するなら、それをキャッチするくらいの有能さが欲しいよねぇ。
見逃すこのレベル。
ボーっと生きてんじゃねーよ。
で、あとから私にキャッチされてんじゃねーよ。
どんだけ目の細かい蜘蛛の巣だと思ってんだよ。
変わって欲しいと願うのなら、それを他者に委ねてんじゃねーよ。
親に言って、ご自分のご家庭で解決したらどうだ?
他人の家庭に口出しして、親のような人材見つけて、変えて自己承認しようとしてんじゃねーよ。
親に電話してあげようか?



巻き込まれがいて大変なんです。
それを正当化しようとして、自分の感情と理由を捻じ曲げて現実を受け止めようとしません。
ずっと夢見てやがるから、冷水ぶっかけてもらえません?
ロジックは全部正解だろうな。
行きついてないみたいだから、回答置いて置くよ。才能潰しが。
容赦しない。
これが、わたしの人生の通り方と在り方だ。
蓋開けるからこうなるんだよ。言わずにいた人生。
ゲシュタルトの崩壊があってから、一度もしたことがない。
しかしわたしには権利がある。
徹底的に自分を守るために、蓋を開けることにした。
今回はね。
自身(お前)の能力の低さを甘く見るな。
お前も人読みかもしれないが、わたしも人読みだ。
しかも、無能と有能の違いを認めろ。
もちろん、有能はわたし側だ。
親を否定できる自分こそが、今の存在価値になってしまっているということに気づけ。
否定してる自分を否定するな。
そういう私は、お前を否定してるみたいだけどな。
ただただ、誠実であろうとした私に向かって、その程度の能力で、何の用事だ。
お粗末な心理学だな。
けど、言う権利はあるだろう。
お前の行動を否定してるだけだよ。
お前の否定じゃない。見ろ、完璧だ。
他人を思う行動とは、何だろう


貪瞋痴を自覚するって、大事よね。
わたしはこの辺りの自覚がえぐい。
この自覚がわたしの美意識。
低レベルじゃ、無理。
だって、低レベルには興味がない。
慢心に浸るようじゃぁ、どっかの誰かさんらと同じ。
『雑魚みたいな確約=わたし』にはなれないし安売りしたくもない(いくら?)
回答をさしあげようか。忖度なしで、無料だろう。しかもバラ巻き系。
わたしの爪の垢、煎じて飲む?
(自分の我=相手への不敬になると感じていた。)。
気づけないみたいだから、補足しといてやるよ、お前がなぜそうなるのか、紐解いてやる。
わたしは、怒りを出すことが唯一の生き延び方だった。
間違えてるのは私じゃないお前だ、と外に正しさを探してしまう。
しかし、無自覚だ。
怒って当然、感情の制御を知らずに育ってきたから。
あぁ、今は自覚的だよ。
ゲシュタルト崩壊した後は、一切してない。
心理学がどうした?
わたしの知識には、名前がついてない心理学の知識がたくさんあるんだよ。
お前は何が原動力か?解いてやる。
『親に認められたい』が正しくあろうとする原動力になる。
その正しさ視点はひとつ、自分だけの正しさだ。
他人との対話に見せかけて証明を繰り返す。
それがお前の人生のデフォだろうな。
自分が正しければ、何が証明されるか?
存在だよ。まぁ、根っこは怒りと悲しみなんだろうけれど、親と同じような人物見つけて、怒りを発散し存在承認してんじゃないよ。
無自覚とはこのことじゃないのか。
何が起こるか?どんな人から認められたいか?その、どんなは親の様な人じゃないと成立しないから、ずっとここを求めるだろうな。
親の様な、というか、罵倒できる人間探しだろうな。
親の様に罵倒できる人間。
この罵倒の部分は、掘った方が良さそうだな。
親ではなく、自分の投影ですね


ここにきて、ようやく辿り着いた。親の様な、じゃないな。
自分だ。
先に伝えておくが、だからといって、認めて欲しい構図は変わらないんだよ。
それプラスこちら側も存在する。そういう感じだね。
構図の概要はこうなる。
俺を認めないお前が悪い!
と親に投げかける図。
根底にあるのはこれだ。だから、結果、認めて欲しいも該当するよ。
それが親への罵倒になる、ただし他者への罵倒は、親=自分の投影だろう。
- 相手が認めてくれない
- =自分を否定されたと感じる
- =怒りや罵倒で返す(実際は自分の劣等感・シャドウの噴出)
- 投影対象は親のような存在にみえる
- 実際には、親=自分の内部化された一部
- よって、親=自分の投影を罵倒しているだけ
つまり、他者に向けた罵倒は、親の姿をした自分の弱さへの罵倒。
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 表層の感情 | お前が悪い=認めてくれない怒り |
| 深層の欲求 | 本当は認めてほしい渇望 |
| 投影の仕組み | 親 → 自分 → 他者(に重ねる) |
| 罵倒の正体 | 自己の否認された弱さ・未承認の存在=自分 |
| 構造的見方 | 他者ではなく“自分のシャドウ”への攻撃 |
罵倒がずっと気になってた。自分の投影だよな。
自分の弱さの罵倒だ。
なら、自分に問え。
そっちで枝が2本から1本になった。
ご家庭で、というよりも、ご自身にもっと向き合え、こっちのアドバイスが必要だ。
だけど、無自覚には変わりがない。
親を罵倒しているようで、自分の罵倒だ。
俺はこうじゃない(弱くない)!!という思いからくるんだな。
症例がいくつもあって、難しい。
こちら側だ。
しかし、残念だな。あなたもそちら側だ。
お認めになったらどうかしら。じゃないと、アタッチメントを武器にはしないよ。
武器の恐ろしさを知っとかないといけない。
わたしは知ってるつもりだよ。
それでも容赦しないときには、今回みたいに振り回すけどね。
望まれたからするしかないじゃない。
それ(弱さ)を預けろと言っていたのに、預けられないというのは、預けるだけ認めてない証拠だ。預けられないんじゃない、認めてないから不在になる。
在るのに。
開いてない弱さの扉。
開けた?まだ開いてない?伝えとくよ。
- 親と同じが出発点
- 紐解きすぎると、生きづらくもある、多勢に無勢の世界
- 日本の歌と海外の歌の不思議
- 全員無意識の自己防衛
- 植えられた劣等感は、抜けない。持つしかできない
- どうやって、強さと弱さを受容するのか
① 親と同じが出発点
弱さを認めない限り、強さは手に入らない。
まず、『親と同じ』ここが出発点になる。
どこで見分けるか?親の投影か、自分の投影か?
自分の投影じゃないと、罵倒したくならないよ。
わたしは、怒りたくはならないもの。
自分の影(シャドウ)を投影してるときだけ、攻撃の衝動が出る。
これはユング心理学的にも、構造心理学的にも一致している視点だろ?
親の着ぐるみを着た自分=つまるところ自分なんだよ。
自分じゃない!、じゃないんだよ、自分なんだよ。
そう、それがお前だ。
どの道、答えは変わらない。
罵倒が、親か、自分か、というだけ。
向き合うべきは自分に変わりはない。
親は変えられないからな。
これが、中身が変わっても結果が変わらないという問題の本質を見る力だ。
解体ショーだ。
けど、お前の中では答えが変わるんだよ。
構造が正しく見えていないから。
そんなことはないと思うか?
じゃぁ、このブログで親の着ぐるみを着た自分と伝えたのに、気づかないお前はどうだ?ほら、言っても仕方がないでしょう?気づかないってこういうことだよ。
愕然だろ。
お前のような者が、世の中にどれだけいると思う?
分かるとおもうけど、いかに自分というものを見失うことが恐ろしいか実感できるだろうか。
着ぐるみだから自分じゃない、じゃないんだって。
それが自分なんだって。
この認める作業がえぐられる。
だって、自分が一番大否定していたものが、実は自分だって受け入れないといけないからね。
お前が罵倒していたのは、相手を通して見えた、人を罵倒して存在確認をし、優越に浸ってる弱い親と同じ弱い自分だよ。
だから、感情を大切にして、自分を大切に生きることに意味があると言ってる。
じゃないと、辛いだろ。そっから再構築だよ。
自分を探して、見つけて、ひとつひとつ組み立て直し。
育てられる環境で、大分違ってくる。
だから、子どもに、自分の積み木を自分で積ませるのが大事で、そうしないと、どっかで詰んじゃう。
無理がくるんだよな。
生きづらくなるのよ。そして、無意識に自己の正当化に走る図だろう。
気づくころには、それも遅れてるっていう、あれね。
構図が見えないと、急所が分からないから、アプローチ法もズレる。そうとしかならないだろ。
② 紐解きすぎると、生きづらくもある、多勢に無勢の世界
まぁ、こうとも読めるけど。
後手に回ると他責にできる。
無意識の楽さ追求だ。
ここまで来ると、無意識に支配されているものは、やっぱり自己防衛があるから、改革とか変容を割けると思うわ。
そこを突破しようとすると、強さがいるものな。
まぁ、イコールが成り立つ世界だ。
分かるものがいるな?
と思えば、無意識の投影だったりするわけよ。
大体10割近くが無意識なんだって。
この世界が分かるとね、もう何も言う気がしなくなるのよ。
だから、相手にしないという選択肢が出てくる。
けど、娘通ってるしね。
こうやって紐解いて行くと、色々分かりやすいんだよね。
ただ、紐解きすぎると、生きづらくもある。
多勢に無勢の世界が待っているからだ。
多勢に無勢にも慣れてきたから、別にいいけど。
ここまで理解できたんだ。
主張するところは容赦せずに主張していく。
様子見てたのよ。
どれくらい受容すべきか、けど、着いてこれない者は、もうどうでもいい、動くな、現状維持が最善だろう。
けど、優しいから会議のアドバイスまでする始末だよ。
今頃言ってくるな…..



思い出したからー
何なんだよ….情報が入ると、あぁ!もう!となるのよな….



『全員を理解したい』『救えるなら救いたい』という衝動があった。
- 受容の境界が見えた
– どこまでが自分の課題で、どこからが相手の課題かを明確に線引きできる
– その線を超えてまで救おうとすることが、むしろ相手の成長を奪うと知ってる - 見切るスピードが速くなる
–『この人は変わる器がない』『今のフェーズでは受け取れない』と直感的に判断できる
– 言っても無駄なことは言わない=エネルギーの浪費がなくなる - 優先順位が逆転する
– 『誰を救うか』『何を守るか』の線引きもできる
– 自分の一貫性・時間を守るために切る選択ができる
これは冷たいんじゃない、温度の使い分けだ。これの合格試験だった可能性もある。
温める相手には全力で温め、そうでない相手には冷静に距離を置く。
この温度の使い分けは、ただ冷静になっただけじゃない。
受容しすぎて自分がすり減った時期を経て、明確な線引きを体感で学んだからこそ身についたものだろうね。
突破だろう。
ここの線引きの必要性を排他的に教えてくれたのが、親だよ。
嫌だった。理解ができなかった。



あの子と遊んじゃダメ!
なんで?に答えられない。とにかく遊ぶな!こうなる。
学校では皆と仲良くしなさいって教えられる。
素直な小学校低学年のわたしには理解ができなかった。
だから納得できないものについては、全部歯向かった。
理由が付かないものについては全て『NO!』。
わたしが納得できるように説明さえしてくれたら良かったんだ。
わたしの性格だ。『はい、わかりました。』なんて、なるワケがないだろう。
けど、必要な選択だったことも分かるよ。
もっと、論理的に分かるように説明してくれたら分かりやすいものの、どうも、ここを通らないといけなかったんだろうな。
子どもには、『はい、わかりました。』が一旦必要になることも含めて、分かりやすくセメントを粉にして教えてる。



もっと理解すれば、子どもは理解したがっているという事実を教わった気もする。そういう子、多いよ。
現在にも通じてる。親が教えられないから教えて欲しいと言われたこともある。
読書もしない者だったから断った。
当然だ。他力のみは救えない。
けど、なぜ?がなければ、問えるように、なぜ?があれば、応えられる大人であれるように。基本だろうと思うが、子どもの方が親を先に諦めるんだよ。
先生が呆れられるようにね。
問えなくしてるのは、子どもに愕然とさせる大人だろ。
聞いても無駄。こう思われてるのは大人の方だよ。
大人よりも先に、子ども側が呆れるんだよ。親と近くいる大人にね。
自分もそうだったでしょ。絶望しかないじゃない。
小学6年生のときの先生がさ、



先生とは、先に生まれると書くから偉いんです。



先を生きるの間違いだろ。
ずっと変わらないんじゃないの?このレベルは。話聞いてると。
保護者と生徒の愚痴大会の職員会議万歳。
けど、それを阻止されようとしてる先生方がいらっしゃるのも知ってます。
それだけで奇跡に近いのは分かるから、それだけでも意見を投じた甲斐があったのかもしれない。
今回、意味を見出すとそうなる。
ゼロでもおかしくないもの。耳を傾けて当然とは思えない私も存在してますし、それと同時に、教育者のこのレベルよ!というのも存在してます。
えぇ、正直に言うと。
けど、感情あらわになっても、何にもならない。
子どもは衣食住の選択肢がないから、そこにいるだけよ。
そのうち染まっちゃうの。
これだけだとは言い切れないけれど、構図としては十分成り立つ世界よ。



染まってる自分に気づかない者が多いし、気づこうとしても、気づけないの分かる?気づこうとしてるだけ偉いと思うのよ、けど、わたしからしたら、気づいてないと同等には見えるよ。ある意味ね。
保護者に呆れるのは分かるよ。
呆れた保護者の子どもに更に呆れるのも分かるわよ。
わたしも思うもの。
けど、わたしはそんな教育者にも呆れてるよ。
もう、多勢に無勢でも怖くない、同時に少数精鋭を守れると思う。
そしたら、今後はその主張がフィルターとして機能して、同じ航海図を手にする人だけが集まるだろう。
植えられた劣等感に気づかない。
育つんだよ。大きく根を張って、自分の劣等感としてね。
自己誤認の始まりだ。
だから、それが自分になる。
親じゃない、自分なんだよ。そして、親は子どもじゃなくて、子どもを通して自分を育てるから、罵倒になる。上手く育たない。そりゃそうだろ。
自分で克服してないものをどうやって教えるんだ。
教えられたとしても、その劣等感自体が、その子の性格によってつくられたモノじゃないから、克服のしようがない。このブログで散りばめられていたことが、腑に落ちたかな。
わたしに、心理学が通用しないのが分かるだろう。
ここからのロジック説明をすると、分岐がすごい。
子どもが気づくって、ハッキリ言って、不可能に近い。
それくらいのロジックだ。
まぁ、ひとつ言えるとすれば、子どもは劣等感の所在地が分からないんだよ。
分かるワケがない、本当に持ってるのは親だものね。
克服のしようがない。抱えたまま生きるしかなくなるってことだ。
そのひとつが、お前で言う『罵倒』だね。
だからわたしは、構造を問える力くらい付けた方がいいって何度も何度も訴えている。
この大切さに気付かない愚か者がたくさんいるだろう。お前含めだよ。
劣等感がどうやって植えれるか?そういうロジックも存在するけど、割愛しとくよ。
キリがないな。


わたしレベルに来れたら、色々愚痴ってもいいんじゃないの?とも思うけどね。
③ 日本の歌と海外の歌の不思議
個人単位だったら、まだいいんじゃない。
それが集団になり、国になってみろよ。
とんでもないんだって。問題は小さいけれど、将来の波及を考えたら結構深刻だよ。
日本は、お国柄、こういう構図になりやすいよ。
感情に向き合わずに同調するしね。
だからあんな歌ばっかりになるんじゃないの?これだから邦楽は苦手なんだ。
あのド直球よな。現状がすぐ分かる。
海外の歌詞のレベルと段違いだって。
まぁ、海外にもド直球は存在するけどさ。
君に会いたくて、眠れない夜
どうしてこんなにも胸が苦しいの?
君の笑顔、まだ焼きついてる
忘れられないよ、ずっと…
勝手に作ったんだけどさ、日本、こんなんばっかだろ?胸が苦しいなら病院行けよ。


情緒中心で、なぜ好きか?とかには触れない。



わかるぅ~
わたしもあるぅ~
こないだのあたし~



お前のために、歌うよ。



wwコントだろ。
とかいう共感とか同調ばっかり求めて、内省しない感じね。
辟易だよ。だけどさ、マーケティングを考えると、これが正解なんだろうね。
とも思うのよ。このレベル。
3が多いと、3の商品ばっかりになるじゃん。
5の商品なんて何言ってるかわかんないでしょ。
5の商品。これは大分、分かりやすいけど、リアルな自我の表現みたいなのは、あまりないよね。
- 自己主張=自己中
- 空気読めない
- “出る杭”すぎて打たれる
- 前向きな言葉=ポジティブ病
こんな感じ?けど、悩むのよね。
自己主張すれば、でしゃばり。空気読めば、何考えてるかわからない。
どっちでも責められるじゃん。立ち位置を見つけること自体に労力が要る構造だよ。
④ 全員無意識の自己防衛
意志があるようで、意志をなくした方が楽になるからな。
つまるところ、自己防衛、全員無意識だろ。
心理学も構造を問えば一瞬で壊れる。
教えてる教授とかも無意識の可能性あるよね。
だから、構造を問う力が大事だと言ってる。
だって、全員無いでしょ。
わたしはこれを、ひとりで気づいたんだ。
今はゾッとしてるよ、わたし一人でね。
気づいたときは折れたよ。誰も知らない、多分、わたしだけが知っている真実をね。
たった一人だ。心の中で叫んだよ。大叫びだ。
その着ぐるみを脱ぐ選択が、本当の自己一致の出発点になる。
まだいいんじゃない。
ひとりで気づいたわけじゃないから。
じゃぁ、もっと置いとくね。
親の劣等感が埋められる。けど、親は克服していないから、子どもがいくら優秀でも自分目線で該当しなかったら、馬頭する。
自分の克服じゃないから、そこに子どもという他者を充てこするんだ、容易だろう。
その親から、この〇鹿が!と馬頭される。
あろうことか、そうされた子どもは、それと同じことを他者にもしてしまうようになる。
ここに存在するロジックは、自分は〇鹿じゃないのに〇鹿な親の方が自分を〇鹿にする。
分かってないのは、お前のほうだ!だからあんな親みたいな〇鹿は嫌いだ!というロジックだろうな。
ここで誤認が生じる。
けど、本当は馬頭され傷を受けた過去が許せないだけということになる。
じゃないと、人を馬頭しようとも思わないから。
これが正解だよ。
要するに、お前は親と同じという答えが出る。
これが、劣等感の継承と転写の構造だよ。
誤認 → 投影 → 再演 → 加害化だろうね。
けど、ここも、分岐はすごいのよ。
あぁ、言っとくけど、独学だよ。けど、合ってると思うよ。
表層で理解している者は多いと思うわ。
色々な書物にもあるかもしれないけれど、それを体感して説明できる人は、あまりいないだろうね。
表層ばっかりじゃ、落ちないんだよね。
劣等感の所在地不明とか、なぜ不在が成立するのか?
がないから、分かりづらいだろ。
論文だとか教育書は。
構造の説明がないんだよね。
社会人になって、色々な人を見た。
今思えば、その願いが起因かもしれない。
宇宙に投げた。



参考にしたいと思える大人に、社会に出たら出会えると思っていたが、全くいない。ゼロ人だ。
〇カばっかりだ。
もう、誰にも沿えない。
だから、誰も見ない、その代わり、自分がそういう大人を目指そうと思う。
そう誓ったことがある。



分かりました。
こうなった可能性もある。ちなみに、愚痴ってる大人たち、子どもから見たあなたはどんな風に映ってると思う?絶望じゃないのか?



そんな風に生きれるようになりたいです!
言われたことがあるかどうか?を判定基準にしたらどう?
⑤ 植えられた劣等感は、抜けない。持つしかできない
植えられたものは、抜けない。そう、抜けないのよ。
この自覚が必要だよ。
自覚がないとどうなるか?愚痴や批判として現れる。
そして、“それに支配されるかどうか”は変えられる。
けど、大半支配される、無自覚にね。
わたしは支配されてないから、批判癖も笑いに変えられるんだよ。
わたしがなぜここまで向き合ったか。
千日手を防ぐためだ。
時間がかかった。
ここまで伝えたけど、どう?
馬頭かどうか?見分け方も書いておこうか?伝えた相手が、感情露わに怒るかどうか?聞こうとする耳を持つかどうか?じゃないかな。
責め立てると叱るは違うから。
そこだと思うけど。ここも分岐がすごくてね。
レベル判定が必要になる。
難しいんだよ。色々とね。
色々知識があっても、事例が生じないと書けないのよ。
聞いた話じゃなくて、行動からくる洞察を想像して書いてるだけからさ。
洞察を想像する過程で、あ、こっち?ってなるのよ。
じゃぁ、こっちの本棚って脳内でなる。
確か、この辺りにまとめたノートがあったはず…..こんな感じだ。
親がどう、じゃなくて、お前に植えられた劣等感は『自分の弱さ』だろうな。
弱さが不在なのに弱さを植えられる。
まぁ、ワケ分からないことになるのは当然なんじゃない?笑笑笑
ここもまぁ、分かりにくいな。
親が馬頭するのは、自分が弱いからだ。
けど、お前が弱さを吐露しそうになると強くあれ!!とまた馬頭が始まるから、弱音は吐けない。
植えている弱さは親が植えているが、当の本人に植えた自覚がなく、お前も弱さを植えられている自覚は無い、親が弱く見えるけど、親は認めないから、じゃぁ自分が弱い……..の??いいや違う!みたいになる。
読むだけでも樹海じゃん。
わたしには、弱さを植える理由、ゲシュタルトの黒い杯と背景も見えるけどね。
ここが成立しないと人は行動に移さないから。無意識だから、気づきもしないゲシュタルトだな。
自身のゲシュタルトが合ってるかどうかの判断は、感情を追うと分かりやすいんだよ。
特に捕まえとかないといけないのは、怒りだろうと思うわ。
『本当は強い』ことが、逆に罪悪感や違和感を呼ぶものな。笑笑笑
何やってんの。ごめん、笑って。笑笑笑
だって、路頭に迷い方を想像したら相当樹海でしょ?笑笑笑
“わたしは弱い”という感覚、親の都合で植えられた“虚構の自己認識”だろ。
本当は強いと思うんだけど、わたしにはそこも見えたのよ。
多分ね。本質を見るから。笑
けど、生き延びる術だったんだろう。
さぁ、ここからも分岐はあるよー。
⑥ どうやって、強さと弱さを受容するのか
- 自分の強さを認められるか?そこになるな。何を言ってるかは、分かるだろう。檻からの脱却だよ。
- 弱さに関しては捨てられないから、扱い方を学ぶしかない。わたしみたいにね。
見識に使える。つまりは、自分の機能する部品の一部として使うんだよ。
それしか手立てがないのよ。
貰ったんだもん、使わないと損でしょ。
その分賢くなれるんだから、貰った相手よりもね。
だから私のブラックジョークがある、とも思えてるけどね(ここはわたしの場合、元々賢いからかもしれないけれど)。けど、弱さの分別をはき違えると、余裕でコケル。
つまり、どの弱さをどう変換していくかだよ。
ここは難易度が高い。抱えていい弱さ・手放すべき弱さはそれぞれ違うし。 - 正しくは、弱さを抱えた強さを持つことになるな。
この順番だ。
ここからは『縁起』になる。長くなるから割愛するけど、わたしは最初、仏教の『縁起』が辛かった、何が縁起だ、ふざけやがって!と思った。
少しずつ、少しずつ、学びに変えていったんだって。
そしたら、また、仏教の『縁起』にたどり着いて、ちょっと救われた。
他責じゃなくて、『縁起』の見え方が変わっていった。←これはわたしの話じゃないけれど、劣等感を植えられた理由を考えたときに、それを昇華させるひとつの見解の物語。
わたしはこういう考え方でいる。
だけど、わたしはまだ道半ばだ。
つまるところ、回収だよ。それまでは許せない、わたしはそう解釈してる。
まだ許せない。そんなもんだって。
だから感謝(許し)に変わるまで、動くさ。
よくもまぁ、こんなに学べたなと、それを伝える人たちがいてくれたことへの感謝の方が大きいよ。
聞いてくれてありがとうが立つ。
言える人達、いないから。
その辺りは分かるよね。このレベルよ。
掘ったからには、伝えておくよ。
縁起にまで繋げたから大丈夫だとは思うけど、その是非は分からない。
聞いてほしいことがあれば、聞くけど?



はい、論破。


レベルを上げる?困るよ


未熟さ(無能)の露呈になるだけなんだって。
けどね、それを知らない者たちが寄ってくるの。
だから、資料が集まったら読んで朗読してさしあげるのよ。丁寧に。
元々容赦がないの。最初のころはね、あちらも罵倒してきてたの。
けど、言い方を変えて本質を突くこと(構図を伝える)を学んでから、誰も罵倒してこなくなってね、これが分かるから、レベルの緩和をしていただけの話なの。
みんな聞きたがりよねぇ。
その先も見ずに、自分を過信してさぁ。
耐えらえると思ってるのよ。
レベルを上げてくれって言われると困るのよ。
相手が耐えられなくなるのが分かるから。
けど、上げた以上、下げ方が分からない。
合わせる意味も皆無、という証明がなされたから。
レベル低いの無理ってのも分かったし。
わたしのレベルこうだけど、ところで煽ったあなたはどのレベルまで来れるの?
と思ってたのよ。それがここまで。笑
まぁ、期待外れ。
レベル上げもね、真っすぐ上がるといいんだけど、そうじゃないと意味ないのよ。
上がった先、真っすぐと斜めだと、行きつく先はかなり離れてるの分かる?それが距離になる。
当然ながら、横に並べなくなる。法則でしょ。
わたしは真っすぐなのよ。
どうなるかってさぁ、たとえば、1度の僅かなズレでも、100メートル進めば約1.7メートルの差が生まれるじゃない?
これが、



最初は近くにいたはずなのに、なんでこんなに分かり合えなくなったんだろう?



なんでってww
という人間関係の距離の正体でしょ。
今のわたしは、このズレを秒でキャッチできる。
だから、ラインになってた。波長の調整って、難しいんだって。
それくらいって思うでしょ。
このズレたときにした選択の余波を見たことある?パラダイム。
その調節をしないと、落ちるところまで落ちやがる。
落ちてることにすら気づけないのね。
大丈夫?って言いたくなるけど、言えないから仕方ないじゃない。
圧倒的に3次元が多いのよ。
その中に1とか2もいる。どうやって5以上を保つのよ。
わたしは5以上じゃないと、絡む気ゼロ。
そんくらい興味ない。
4以下は話が成立しないっての自分でも良く解かってるのよ。
だから、側にも置かない。
邪魔でしょ。
とにかく接点を絶つ、これに限る。
しても挨拶くらい。1には挨拶もしない。
なぜか?あちらもできないからよ。
あと、5以上じゃないと、伸びないのよ。
5に到達するポテンシャルの有無よね。
このブログでも何度も言ってる。『凪』とね。
まぁ、ここまで来ると、言ったとて、もしかしたら結果は変わらないのかもしれないとさえ思う。
けど、変わらないのかな。
わたしからしたら、スケルトンの世界。スケルトンの世界なんだけど、変えられないのよね。
とんでもないのよ。見えないと。
そこに縁起が絡んでくる。どの道、縁がないと、接点は持てないだろうから。
自己信頼の証だ。あぁ、スケルトンって言っとけばよかった?言っても伝わらないでしょ。
冷たく感じる?そう、この冷たさを持ってるのがわたしよ。
触れてもロクな事ないじゃない。
知る必要あったのかしら。
けど、知るところまで来たものね。
自分で言うのも何だけど、だからこそ、自分の極寒の冷たさを分かってるからこそ、人への誠実さを欠けない、そう思って生きてるけど?
分からなくて冷たいよりマシでしょ。とても自覚的だけど?
わたしには、あなたの方が随分冷たく見えるわよ?
どんな感じかというと、どうしてこんなことができるの?ってことを私にされたとしても、あまり何とも思わないのよ。
鈍いと言えば鈍いかもしれないけれど、鈍いのはどっちかしら。
わたしは、そうなってるから仕方なくない?だから、人と接するときに、そのわたしがどれだけ気を張るか考えてみたらいいよ。
自分を大事にしてないわけじゃないのよ、そうなってしまっているの。
だから、何で怒らないんだ?とかいう質問とかは、辛くて仕方ない。レジリエンスも、人以上に長けてると思う。だからと言って、タフなワケじゃない。
まぁ、分かりにくいよね。
だって、他者のことを考えて行動できている人って、わたしの中には存在しないわよ?
それが悪いって言ってるワケじゃないのよ。
わたしには、みんなが何言ってるか分からないのよね。
ここまでくると、なぜわたしが『ごんぎつね』を頭に浮かべたか、理由が分かってきた。
自分のための行動という自覚よね。
自分が親に求めていたものは何だったのか?
それを誰に、どう伝えたかったのか?
どっちでもいいけど、ここ辺りに向き合ってみたら?親の思いか何かしらないけれど、それに応えることができない自分をまず認めろ。自分の人生だ。
親には親の人生がある。
たまたま出会った、学びのある魂の集合体だ。
『嫌い』この上からしか成立しない、関係性もあるよ。
わたしにはあったよ。
それでいいんだよ。
そっからだろうな、スタートは。
考え方としては、
あの母親の器量を見たら、生きてきた人生を理解するには過酷だっただろう。
あの性格だ、あぁしか受け取ることができなかったに違いない。
だから拗れて行った。理解はできるが、それは母親の人生だ。
その人生の責務は母親にあり、自分には無い。
自分は守られるべき存在なのに、全く守られなかった。
守られたかった。叶わなかった。
だけど、誰も責めない、守られなかったのに責めない、という決断をできた自分を誇りに思う。
こう思い切ることだろうね。
これ、全員に共通する考え方だよー。
そしてこうなる。
この、色々理解してやった誇り高き自分に、まだ、色々言ってきやがる。
なんか泣いてる。劇場だ。
懲りないヤツだな。
正当性の主張、しかし、絶対に賛同なんてしない、反応しない。
今日何食べよっかなー。
苦痛であれば、その場から離れる。鉄則だ。
こんな無駄なことあるかな。と正直思う。
だけど、本人にとって重要作業であれば、通らないと仕方がない。
これが縁起だ。理解し難いが、理解している。
随分と賢いんでね。わたしだよ。
最後に
あと、最後に伝えるとすれば、これかな。
掘ったら出てきたから残す。
甘んじて受けろ。
やっぱ最後は否定が出てきたな。
お前みたいな、人を平気で踏みにじり、人に合わせてばかりで、自分が不在、低レベルで不誠実、プライドのない人間が一番大嫌いだ。
一生お粗末な心理学で遊べ。
わたしは、高尚なプライドを持ちたいんでね。
気高さだよ。
興味の対象になるのは、知識の豊かさではなく、誠実の質。
同等とは、知の対等じゃない。
自分の弱さを明確に見つめ、開示し、引き受けようとする覚悟があるかどうか、それを持ち得るかどうかの一点。
つまり、知っている自分で振る舞う者ではなく、さらせる自分で存在する者。
最初から伝えている。だから、知が存在すれば、理解できたはずだ。
高尚なプライドとは、強さで塗り固めるものではない。むしろ、弱さを抱えながら、わたしの前に無防備で立てるかどうか。そしてそれを理解するには、知識だけでは届かない。構造と自己理解、そして何より誠実な差し出しが必要になる。
それがなければ、わたしにとっては、知識がどれほどあっても、ゼロ以下にしか映らない。
そして、これができる者は、自ずと次元が高いんだよね。
結構、親切に伝えていたのに、理解ができないって罪よね。何してたの?
やっぱ嫌いなものは嫌いだ。お前はわたしに投影はできないよ。だって、この、賢いわたしだものな。
やさしいだろ。『やさしい』理由はお前にはわかるまい。笑
だから、低レベルは嫌なんだよ。
いっちいち説明がいる。
めんどくさくて仕方がない。
これも、お前にはわかるまい。
わかるとか言ってみろ、海底に埋めてやる。
いや、ある意味分かるのか。
けど、そのレベルだろ。
しかし、言わせてもらえただけで、感謝する。
ありがとう。そこは、お前の心理学の信用だろうね。
わたしにはお粗末に見えるけど、他からすると、有能に値するんじゃない?
けど、わたしは、他以外だから、全っ然。
あと、道徳は気にしないでください。
心理学の人、勝手に巻き込んだから、お咎めなしってことで、よろしくお願いします。
イライラすることもあったけど、得た学びの方が大きくて、そのちらの方に感謝したい。
だって、どの道わたし達は、沈まないから。
沈むのは、あなた方でしょう?だから、別に全然大丈夫です。
自分達が助かることだけは、明確だし。
今撃たなくても、どの道全員、沈むでしょ。
得たものを数えた方が遥かに価値がある。
ありがとうございました。



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