『スーホの白い馬』に隠された“怒りと手放し”の構造

子どもが小学校2年生のころに習ったものだと思う。

内容が強烈すぎて、「何この物語?」と頭に残っていたので、ブログに残しておこうと思う。

当時、娘がどんな風に教えられていたかは分からないけれど、この物語を、「白い馬とスーホの友情物語」として教えているのだとしたらそれはもう、読解のズレも甚だしいと感じる。

この物語が本当に伝えたかったのは、

「恨むな」

これだろう。

これが伝えたかったのかどうかの正否は知らないけど、まぁ大事なことではあるよな。言うのは簡単だ。けど、大事なのは、そこに行きつくまでの橋渡し的考え方の方じゃないのかな。そこが欠乏してんだよ。作るんだったら書けよと思うけど、時代が追い付いてないのか何か?にしても何やってんだよ。

そもそも最後まで残る疑問がある。

レース、出なければヨカッタんじゃないの?
友情?馬死んだの、そもそもがレースのせいでしょ?
自発的に参加してる描写だからそう思うよ。

っていう疑問ね。状況はどうあれ、ここを解決しないと、終点には行きつかないよ。

スーホの感情の整理が、まるごと端折られている。あの物語の核心は、“友情”じゃなく、“怒りを抱えたまま、どう立ち上がるか”にあると思う。それを、夢に出た白い馬の語りだけで、読み手が納得できるワケねーだろうが。納得できたのは、当事者の聖人君子であるスーホだけだよ。あの出来事をスーホがどう解釈して、どう理解したか?ここがまるで無い。書けばいいんじゃない?物語に、ちゃんと。皆が皆「聖人君子」ばかりじゃないんだよ。他者尊重の欠乏した「理解しろ」こんなんばっかだな。できるワケねーだろ。さらに、どこそこの指導案にある「友情」って何なんだよ。

だから、今回は感情の構造そのものを読み解いてみようと思う。物語の“見えない部分”――少年の欲、怒り、悔恨、そして手放し。哲学で言うならヘーゲル的「弁証法」、心理学で言うなら、感情の統合になるかと思う。

スーホの中で起きていた、心の変化。

目次

『スーホの白い馬』の構造読みと小学2年生への説明

【素材の抜出し】

この物語を“友情物語”として読むと、見落としてしまうものがある。そこは副次的要素じゃないかと思う。けど、わたし的には、この物語は友情より「一心同体」こっちの要素に近いと読んでるけどね。ここは賛否あるかもしれないけれど、友情じゃないと思う。

まず、素材を冷静に抜き出してみると、

  • 狼から羊を守る白い馬
  • レース勝者への褒美(娘)
  • 村人に勧められ、レースに参加するスーホ
  • 羊飼いを見下す王様
  • 約束を破る王様と銀貨3枚
  • 奪われる白い馬
  • 王様を振り落とし、戻ってくる白い馬
  • 白い馬の死
  • 白い馬の夢
  • 馬頭琴の誕生

物語の核心は「スーホの決断によって参加したレースが起因となり、白い馬が死んでしまった」という一点に集約される。

では、問うべきは何かというと、

――白い馬はなぜ、死ぬことになってしまったのか?

そして、次に問うべきは、

――どうすれば防ぐことができたのか?

「レースに出なければよかった」という答えが出たとき、さらに掘る。

なぜスーホはレースに出たのか?そこに白い馬の決断はあったのか?(動物だからあり得ないよね)

そうして因果を追っていくと、物語の本当のテーマ――「怒りの構造」と「手放しの条件」が見えてくる。

小学校2年生にどうやって説明する?

スーホは、白い馬をうばわれて、とても悲しかったんだと思う。

でも、「悲しい」って気もちのままだと、辛過ぎてたえられないこともある。スーホは、自分が出たい!と思ったレースが原因で白い馬を死なせることになってしまったから。

自分のせいだと思いたくないじゃない。だから、心が「怒り」にすり替わる。

人って、悲しいことがあると、自分を守るために「誰かのせいだ!」って思いたくなるときがある。そういう仕組みがあるの。大人も同じ。それは、いけないことじゃなくて、必死に自分を守ってる証拠でもある。

スーホは王様に怒りを向けたの。王様は悪いのよ。憎いよね。王様だけが悪いと思いたいじゃない。けど、そのレースへの出場、白い馬を死なせることになった原因を作った、スーホの事実は消えないのよ。

その消えない事実を少しずつ思い出せるようになってくると、つまり、時間がたつと、

スーホ

本当は悲しかった。こんなことになるなんて、思ってもなかったんだ。ごめん。

って思えるようになる。そうやって、少しずつ、少しずつ、心が落ちついてくる。

人には段階があって、それは人によって違うから、そういう心の仕組みがあることを覚えておくといいよ。

わたしは、こうやって説明するかもしれない。正しいかどうかは、専門家じゃないから分からない。そもそもが、友情語らせたいなら、この題材選んでんじゃねーよ。とは思うよね。

スーホが戦いに出た“ほんとうの理由”

表面的には「王女との結婚」という報酬があるけれど(日本の教科書では殿様の娘かな?)、物語を読み進めると、スーホを突き動かしたのは、それだけにも見えない。

彼はただ、自分の誇りである白い馬を皆に見てほしかったのではないか。

――自慢の白い馬の価値、つまり「自分にも価値がある」に結び付くのかな。

そう確かめたかっただけなのかもしれない。

スーホ

自分の白い馬が一番でしょう?

自分の大切なものを“すごいね”と言ってもらいたい。自分の努力を、誰かに認めてほしい。これは、誰にでもある承認欲求

スーホの“欲”は、決して悪ではなくて、むしろ、ある種、人間らしさの象徴でもあるとは思う。

欲そのものは悪くないけれど、けれど、それが自分を見失う方向に向いたとき、人は大切なものを手放すことになる。

スーホにとって白い馬は、“見せたい存在”であり、“自分の一部”でもあったのではないかと想像する。だからこそ、その喪失は――自分の一部を失う痛みに相当する。

悲しいだけの友情物語では終わらない

表面的には“友情と別れ”の物語とも読める、内側では“怒りと赦しの間で揺れる心の物語”だと思う。

そこから読み解くに、「恨むな」という教訓があるようにも思える。

けど、そうではなくて、“怒りを抱えながらどう生きるか”という問いの本質も見える。

少年に「王女と結婚できるかもしれない」という欲があったのか、「自分の誇らしい白い馬を見せびらかしたい」という欲があったのかは分からないけれど、 その欲が白い馬を失う原因となり、やがて深い悔恨へと変わる。

欲→喪失→怒り→悔恨→手放しという心理構造は、まさに人が「怒りを手放すプロセス」でもある。

「怒りを押さえ込む」ことが正解ではなくて、やり返さない選択とは、怒りを超えた主体的な選択でもある。

哲学でいえば弁証法的統合(ヘーゲル)、心理学でいえば感情の統合(ロジャース)に近い。スーホが学んだのは“赦す”ことではなくて、自責を超えて、怒りを昇華させる生き方だと思う。

どこに怒りが湧くかを考えてみる

  • レースへの出場を促した村人たち
  • 約束を守らなかった王様、白い馬を殺した王様、家来たち
  • そして…..自分

現代でも共通することだけど、レースに出場しようと決断したのは自身(何かを決めたのは自分自身)。だけど、そこに想定外の出来事(この物語で言うなら、白い馬を失うこと)が重なったとき、人は本能的に「誰かのせい」にしたくなる。

弱さからくる、自己防衛だ。世の中の大半はこちら側だと思う。多分、10割近いのではないか、体感でね。

自覚的でなければ長く続く。自覚的にそうすることもあるかもしれない。いずれにしてもスーホの状況で、「怒り」という感情が湧くのは普通のことでもあると思う。

そういうときに、わたしが大嫌いなのが、

気にしちゃダメだよ。
そういうこともあるって。
いつまでも恨んでたって仕方ないじゃない。
前を向かなきゃ。

お前誰だよ。
何様?

としか思えないんだよね。

  • そう思える人、思えない人
  • 状況を分かろうともしない人、分からない人
  • 状況を分かって尚、すぐにそう落とせる人、落とせない人

まぁ、色々いるでしょ。世の中。十人十色、千差万別なんだから。そこが欠乏してるヤツ、たまにいるよね?正義の皮をかぶったタヌキが。タヌキの外見は憎めないけどさー。腹立たしいじゃん。

怒りの中にいる人に「前を向け」と言うのは、感情を無視して上から抑える行為でもある。つまり、相手の感情に一切の“居場所を与えない”っていうやり方だよね。

さらによ、約束は守られず、その仲間たちにやり返したい気持ちもある中で、相手が権力者だった場合。難しいでしょ。

どうにかこうにか「怒り」を昇華せざるを得ない、この悔しい難しい状況よ。

だけどこの悔しいもさ、自分でレース出場を決めてるじゃない。ある意味、仕方のない結果でもあるじゃない。レースを断れない状況だったのなら、別だけど。

  • 王様が約束を守らなかった事実
  • 白い馬が殺されてしまった現実

約束を守らなかったのは王様の責任であって、白い馬が殺されたのは、自分の決断の結果。この二つは、課題がまったく違う。

これがアドラーの「課題の分離」で、責任の所在確認だよ。

怒りの整理って、感情を無理やり抑えることじゃなくて、正しくは「責任の所在を分けること」から始まって、他者の決断と、自分の選択を知ることでもある。この二つを混ぜると、怒りは永遠に終わらないんじゃないかな。

怒りを昇華せざるを得ないとき、それは“赦す”でも“諦める”でもなく、自分の選択を引き受ける覚悟に変わる瞬間でもあると思う。

だけど、難しいんだよね。これがさ。吐くほど難しい作業だとは思う。

あ、今は容易だよ。課題の分離ね。
スーホもきっと、白い馬の死を「仕方ない」ではなくて、「受け止める」ことで超えたと思う。現実は、そうなるよね。辛いけれど、それが事実だもの。責めても責めきれないものね。悔やんでも、戻らないものね。それを受け止めるのが一番辛い。引き受けることができるまでは、長い時間がかかることがあるんだよね。それが人間だと思う。
夢で馬頭琴だけじゃ、乗り越えられないって。

課題の分離ができるまでは、王様をとことん恨んでもいいんだよね。自覚的にだよ。

気が済むまで。けど、そこに留まると、苦しいんだよね。だから、どこかで自責を引き受ける覚悟が必要になってくる。

伝えておくけど、虐待は別だよ。相手が完全に悪い。
当事者どちらも大人のDVは、どこかに自責が潜むだろうね。

白い馬が再び帰ってきた意味 ― “悔恨と赦し”の象徴

  • 撃たれた白い馬は、少年のもとへ戻る ― 承認を求めた自分との再会
  • 王様を通して自分を知る?
  • 少し脱線してニーチェを語る

① 撃たれた白い馬は、少年のもとへ戻る ― 承認を求めた自分との再会

死を目前にしても、白い馬はスーホのもとへ帰ってくるじゃないですか。

言い方は悪いかもしれないけれど「皆の馬より、自分の白い馬が一番!」と見せびらかすために使ったとき、白い馬は「他者評価の道具」になった。けど、それでも矢を放たれながら、スーホを求めて帰ってくるでしょ。

スーホ

見て、見て、自分の馬すごいでしょ?

分かるよ。そう言いたくもなるよね。自慢の白い馬だもの。

自分が「他者評価の道具」として見てしまったことを認めることすら辛いでしょ。そんな気サラサラないと思うのよ。けど、構造読みすると、そうなるでしょ。読んでるこちらも辛いわ。わたしなら、自責で潰れるかもしれない、それくらいの図だ。

スーホが得たのは、「自分が何を失い、何を大切にすべきだったか」への気づきでもある気がする。

白い馬の帰還は、“赦し”でもなく“友情”でもなく、“照らし返し”になる。――つまり、少年が自分自身の未熟さと再会した瞬間でもある。

ここに気づきがないと、ニーチェに呼ばれるよ。

ニーチェ

永劫回帰興味あるの?

辛いよなぁ。耐えられないよ。

悲しみは受け止められずに、怒りに変わるだろう。怒りで自分を守る図だ。そして怒りの向きは本来なら自分だが、それも受けられない。自分を守るために、一旦、受け入れられない現実を外に設定する。となると向かう先は王様になるものな。

この物語のこの悲しさの構図よ。これが読めないと成立しないと思う。

② 王様を通して自分を知る?

ここで一度、深呼吸して読んで。

ごめんね、エグイのよ。

王様って、許せないじゃないですか。生き物を道具のように扱い、欲のままに奪い、命すら軽んじる。

「自分とは違う」と思いたい。そう思うことで、安心したい。

けれど――構造を見てみると、どうだろう。

形や大きさは違えど、私たちの中にも、同じ“奪う構造”が潜んでいる。誰かの気持ちを奪ったり、自分の正しさで相手を押しつぶしたり。

スーホで言えば、「白い馬を皆に見てほしい、自分の馬が一番だ」という欲があった。それは自然な願いだ。けれど、結果的にその選択が、愛する馬を失う原因となった。

つまり、王様に奪われたと感じていたスーホ自身も、別の形で“奪う側”にいたという事実。

言い方を変えれば――白い馬の命を奪ってしまったのは、誰だったのだろうか。スーホだという人もいると思うよね。

そういう問いも生まれてしまうこの構造ね。王様とスーホの間に、構造的な違いはどれほどあると思う?さほどないでしょ。

両者とも、「欲望」と「支配」の構造の中。

見かけの行動内側の構造方向性
王様:白い馬を奪う欲と支配による自己誇示外への奪取
スーホ:白い馬を誇りに思う承認を得たいという欲外への誇示

違うのは力の大きさだけで、動機の根は同じ、「自分の価値を外の評価で確かめたい」だよ。

  • スーホは「自分の白い馬を見てほしい」と思った。
  • 王様は「その馬を自分のものにしたい」と思った。

これ、構造的には同一のベクトルでしょ。

どちらも「他者のまなざしを通して自己価値を確認する」という構造。ただし、王様のほうがそれを力で奪う段階に進んでいて、スーホはまだ見せたい段階。

つまり、王様はスーホの“未来の影”として存在している。どちらも同じエネルギーの流れの中にいるから、方向を間違えれば、スーホの「誇りたい」という欲は、王様の「所有したい」に進化してしまう可能性も秘めてるってこと。

白い馬が殺されるのは、スーホが自分の「純粋さ(馬)」を外部評価の場に差し出した瞬間の代償でもある。

こういうところは、現実見逃しやすい構造だと思う。なぜなら、圧倒的に王様側が「悪」に見えるからだ。けど、違ったパラダイムで覗いてみると、この問いの痛烈さこそ、物語の核かもしれない。

けど、難しいよね。気づきにくいんだよね。だから、永劫回帰になるんだよって言えば分かりやすいかな。それくらい、気づくのが困難なところだと思う。この構造の中にいることを自覚しなくちゃいけないのよ。実践編でね。この「善」と「悪」、そうじゃなくて「同」の気づきが難しい。皆、「善」と「悪」で語るからね。
もっと言うと、「同」だな、こう思えた瞬間、同ループの学びは終了する。断言する気づいた瞬間終わるのが、永劫回帰だ。そっからは別の物語が始まる。繰り返さない選択ができるってわけ。

書いてて思うけど、構造の気づきが大事なんだって、経験談だから断言してるけど。わたしが気づいたのも、思えば、事象(善悪)じゃなくて、構造だったから。

だって、構造が分かるということは、相手の理解に繋がるでしょ。つまり他者理解だ。そこを抜けたら縁起読み。串刺しになる。そりゃ、永劫回帰も終わるよね。自覚的になれるのだから。

「同」と気づいたとして尚、関わり方を考える。こうだろうね。そこから、スーホで言えば、王様が自分と同じ構造にいると理解したうえで、「白い馬の死」をどう考えるか?になる。

つまるところ、

だから何だよ、赦せないものは赦せない!

であれば、それでいいんだって。「同」と気づいて決断するのと、「善・悪」判定で決断するのじゃ意味合いが変わるんだよ。

  • 「同」を見ずに赦さないのは投影の持続
  • 「同」を見た上で赦さないのは自覚的選択

後者なら、永劫回帰にはならないでしょ。そうして下した決断は、必ず“因果の流れ”が整う方向に動くんだよ。

反応 → 構造把握 → 自覚的選択 → エネルギー干渉の停止 → 因果の整合。

エネルギーには気を付けないと。

そのとき「どんなエネルギーで決断しているか」がすべて。

  • 感情だけ → 反応 ・ 投影
  • 理解だけ → 同調
  • 理解で赦さない → 意志
  • すべてを理解した上で縁起に委ねる(高度)

「何をしたか」ではなく「どの波でやったか」で結果が変わる。体感でそう思ってるよ。持論だけどね。

それが最良の決断とも言える。

「赦す=善」じゃないのよ、そこには意志がない。意味がない、エネルギー駄々洩れ。「赦さねばならない」と思った瞬間に、もう他者基準(=他力)に飲まれてる構造に気づけよって話でもある。うまくいくわけがない。

フェーズ読み方目的作用
構造読み静止理解する・整理するため他者の行動・感情の因果を見抜く
縁起読み流動生かすため関係性の生成を観る

怒りも悲しみも越えたその先で、スーホはようやく「自分の未熟さ」を理解する。

白い馬が再び帰ってきた意味、それは「愛情や友情の教え」であると同時に、「愛の反対側にある、自分の影」を見せられた瞬間だったのかもしれない。

これが辛いのよ。突きつけられるとさ。本当に辛い。突き刺さるよな。自分の影は、見たくないものだけど、皆、そういうものなんじゃないかな。だから、悪いことじゃなくて、そういうものなんだと思う、人という生き物は。そんなもんだよ。だから、深く考えないで。自分が「善」だと思えていれば、それでいいと思う。それが、あなただもの。
そしたら、勝手に開けて行くよ。先を見すぎるより、「たった今」を生きることに価値があるから。

自分と他者のことを考えて取った行動は「善」だと思えば、それは「善」だ。だから、他者の反応なんて、そこには無くていいんだよね。

他者のことを考えられないときには、考えなくてもいいんだよ。それを選択すればいい。それも自己防衛じゃん。

わたしがスーホなら、

王様

1位を取ったものには、自分の娘を嫁にやる!

こーんな思考回路のヤツには関わりたくもない。発言と行動は見ないとダメだって。ましてや、自分の白い馬を見せるの?怖いって。「娘を物扱い=馬取られる」の図が容易に想像つくじゃん。構造を読む(気づき)って、こういうことでもあるから。

「1位を取ったものには、自分の娘を嫁にやる!」の言葉に反射的に判断するんじゃなくて、自分に問えればいい。

白い馬を見せたいなぁ、すごい馬なんだもん(衝動)。
※衝動に気づいてなお、肯定はする
※この欲(衝動)を正しく生かすために構造を読む
※自身の欲望、これは悪ではない


あんなこと言ってる王様の娘ってどんな性格なわけ?

娘を物扱い…てことは、その思想を継承している可能性も高い…

そんな人に白い馬を見せたらどうなるだろう?

物扱いだもん、くれって言われそう。お金積まれそう。

別に王様の娘に興味ないし、自分は馬を見せたい欲求があるだけだ(自覚的)。

別な大会に出ようかな、今回は参加するのやめとこ。

とかね。赤字だけ(衝動)で判断したら危ういから。
赤字こそ、投影だろうが。
そら永劫回帰にもなるだろ。
内的衝動って、ニーチェが言ってるのと違うのかもしれないけど、人の語る衝動は、大体が外部からの衝動だよ。
そっちの方が自然だと思うよね。

ニーチェは「それでも愛せ」と言ったかもしれないけど、否定はしないよ。構造さえ読めてたら、繰り返したとしても同じ行動は取らないでしょ。同じ構造を見ても、もはや“囚われない”じゃない。だったら、違う人生になる。だから、「見抜いて、抜けれるから」って言ってるのが私。

怒りを抑えるのではなく、“形を変える”という選択

スーホは王様に復讐しなかった。怒りを剣に変えることも、叫びに変えることもしなかった。できなかったのかもしれない。

彼が選んだのは、他者尊重(白い馬の意志)だ。

その白い馬の願いは、スーホに託された“祈りの継承”でもあるのかな。日本語版では、白い馬に名前が無い。何かを象徴しているようにも思わせられる。本当はモンゴル語で「ツァス(雪)」という名前もあるらしいけど、使われていないから。

感情を壊すのではなく、「形を変えて生きさせる」という、人間のもっとも知的な選択とも言えるかもしれない。

スーホは、怒りを手放したのかどうか分からない。ただ、怒りに支配されない方法を見つけたんだと思う。

馬頭琴が奏でるその音は、人々を癒している。

「怒っても仕方がない」「前を向いたら」――たしかに、これらは真理だし、けれど、それを“体現できる人”は多くないじゃない。

それを簡単に言葉にできるのは、怒りや喪失を嚙みしめたことが無い人だと思うわ。

「美しい言葉」は時に残酷で、まだ苦しみの中にいる人にとっては、それが“見下ろす言葉”にすら聞こえるんだよね。それが分かってたら、言えないんだよ。

「恨むな」。まぁ、大事だけど、橋渡しの描写は必要だって。

静けさは、最初から与えられるものじゃない。

自分の中に落とし込めるまで、時間がかかるよ。「赦す」というのは、「怒り」を抱えたままでもいいから、色々なことを理解することだと思う。この「理解」が難しいんだよ。

だから、こうでいいと思ってるよ。

赦せない、けど、理解はしたよ。

スーホは白い馬を失い、怒りに震え、それでも生き続けた。そして馬頭琴を作り上げる。

怒り・喪失・悔恨・自責――すべてを呑み込み、それでもなお、生きようとする人間の決意。

まとめ

スーホは、怒りを他者尊重(白い馬の意志、白い馬への敬意)に変えたけれど、現実では、それがどれだけ難しいことか。

約束を破り、命を奪っても何とも思わない人。

そういう人を「正そう」として追いかけるのは、一見正義に見えても、実はその瞬間、相手の愚かさと同じ構造に同調してしまうことでもある。

よく言うよね。

相手にするな。

だけど、「本当に賢いのが追わないこと」なのは誰もが周知の事実でもあるけれど、そこに行きつくまでが本当に難しいでしょ。

わたしだって、自覚的に「追う」という判断をすることだってあるよ。それ以外は「縁起」に任せる。

許せないものは、許せないじゃない。だから、橋渡しは大事なんだよ。理解できるような橋渡しだよ。それなくして、「恨むな」「相手にするな」「関わるな」分からないって。

それでも、悪いとは思わない、自覚的に正そうとすることが、今の自分を守ることができる手段なのであれば、選択すること自体は「悪」ではない。自覚的であるかどうか?だけが問題なだけだ。

自覚的でなければ、いずれその歪みを、自らの人生の中で受け取ることになるからね。

どういうことかというと、この王様が、

王様

羊飼いは嫌だ。お金で解決。レースに勝てる白い馬は欲しい。従わない者は殺せばいい。人のモノは自分のモノ。

自覚的であれば問題ないんじゃないかな。勝手に引き受けろよ。けど、そうは見えないものね。彼は無自覚に奪い、無自覚に壊している。そこに最大の愚かさが見える。

そして、こういう人だというのを周りは自覚しておかないといけない。知らずに近づくと、奪われる。こちら側が、圧倒的に賢くなるしかない。これは、いわばエネルギーバンパイアに遭遇する構造と同じだ。

自覚的というのは、自身の欲を自覚したうえで行動することだ。その欲が、自身の本当の祈りから来るものであれば、いいのではないかな。そんな気がする。

自分の“欲”を否定せずに、それがどこから来ているのかを理解することだと思う。

もしその欲が、自分の祈り、つまり、魂の願いから生まれているのなら、それは正しいんじゃないかな。どんな形であっても、自覚ある欲は、破壊ではなく創造につながると思うんだよね。

その理解があるかどうかが、大事な気がする。

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