わたしが適当にできない理由

前回の記事が長くなりすぎてたので、こちらに移動。

個人的な話だから、蛇足といえば蛇足だ。

これは、方法論じゃない。
わたしが“適当にできない理由”の話。

知識を詰め込めば楽になると思ってた。
でも知ってる分、先に行く分だけ、結局わたしは「非常識」の側に立ってるっていうね。

笑える。
いいけどね。

適当でいられる安全基地が最強だって、分かってる。
でも、できない。
わたしが適当にできない理由は、弱さでもある。

器がない場所では潰れる。
だから知識を着る。
防護服として。

目次

非常識の側に立つと起きること

歩いてみるとどうだろう。

知識つめこみ、学んだら、楽になると思ってたけど。
知ってる分、先を行く分….

結局は『非常識』というカテゴリの中にいる。

もっと適当でいいんだろうな。

適当でいいくらいの安全基地….

もっと適当にしたらどうなの?
あなたみたいに考える人、めんどくさい。
悩み多くて疲れそう。
あぁ、あなたみたいな人になりたくないっ。

その割に….

けど、伝えたわたしが悪い、言わなければよかった。
器が存在しない。
引き受けられない。

存在しない器。
だから、わたしは知識をつける。
自分の防護服。

わたしが適当にできない理由は弱さ。

着てきた防護服は、他者には『脅威』に映るらしい。
自然な反応だと思う。
健全だ。

けど、ないと自分が余裕で潰れるから、着続ける。

弱いくせに自責。

それがわたし、仕方がない。

それでも「非常識」を歩く。
世間でいう「常識」が、どうしても嫌いだから。

だから、防護服は着続ける。

人間的な揺れを封じてでも、自分の望む姿であろうとしてしまう。
だけど、それがわたしだし、仕方がない。
そうやって生きてしまう。
そうとしか生きれない。

愚かさを知ってしまったら、そうなってしまう。

けど、そう生きることが正しいとも思わないし、思ってもない。
できないことも知ってる。
難しいことだとも知ってる。

求められないことも知ってる。

ただ、ゲームに乗らない人間に対して、ゲームのルールで敵意が向けられることもある。

ゲームのルールで敵意が向けられる

こういう、愚か者にもなれない。

じゃ、『ゲームするなよっ』て叫びたいけど、叫ばない。
だって、相手がゲームしたくないのか、したいのかも分からないから。

ゲームを降りるのに覚悟がいるのも知ってる。

だけど….

やっぱり、ゲームに乗らない人間に対して、ゲームのルールで敵意が向けられる。

ゲームから降りたら?

何のこと?ゲーム?

ゲームを知ろうともしない。
こっちからしたら、そっちの方が不可思議だ。

だからわたしは、異質・非常識に見えるんだろうけど。

「たまには甘えてみたら」が暴力になる瞬間

何を考えているのか分からない。
たまには甘えてみたらいんじゃない?
自分をそんなにいじめなくても。

自分をいじめる?甘える?

笑える。もう爆笑だ。
と思いきや、失笑にもなる。

チープな紙芝居の始まり。

幕あけるほど愚かじゃないよ。
何を見ている?
何を見てきた?

何の浅知恵か知らないが、
見えてる景色が全然違うよ。

そこを問うても仕方がない。

共感できないことへの共感のなさよ。

その景色は、画用紙全面か?
わたしのは多分、全面だよ。
それとも、もっと壮大な景色が見えてるのかな?
だったら、聞いてみたい、見てみたい。

その景色は綺麗なの?
何が見えるの?

綺麗なピンクの花。

やっぱり、見た景色。

あのね、あれは、イモカタバミ。
イモカタバミとムラサキカタバミは似てるけど、イモカタバミは花の中心が濃い赤紫色で、ムラサキカタバミは花の中心が薄い緑色なの。

イモ・・・?

花なんか、咲いてる?

………あぁ、割いてるよ(さいてるよ)。
(無駄な時間を)。

ピンク色のお花畑の世界。

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