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愚痴を言うのは悪いこと?悪いことだけじゃないと私が思う2つの理由

愚痴を言うのは悪いこと

愚痴を言う人は嫌われるだとか、自分に返ってくるだとか、色々言われたり、目にしたりすることあるじゃないですか。

そんなこと見聞きしても、言いたいものは言いたいし、出るわ、出るわ、愚痴パーティ(partynight♪)

「嫌われる?」そう言われたところで、、

だから?嫌っている人には、嫌われたっていいし、悪いのは私じゃなくて相手でしょう?全然嫌われたっていいけど?

こういう考え方、わからないでもないです。

わたしは、愚痴言いたいとき(時期)は、言っていいと思っています。愚痴を言いたい自分がいるのに、拒否して認めないと、さらに愚痴が溜まっていって、悪循環になるのは、経験上、間違いないからです。

このブログでは、愚痴って悪いことばかりじゃないですよっていう持論と、垂れ流すような愚痴のリスク、愚痴るときのコツについて、経験を基にまとめています。

記事が参考になれば幸いです♪

目次

愚痴とは?

愚痴には種類もあると思うんですが、調べてみると、、

愚痴

言ってもしかたのないことを言って嘆くこと。

weblio辞書

悪口

人を悪く言うこと。悪態をつくこと。また、その言葉。

weblio辞書

対象が人か?そうじゃないか?だけであって、どちらも似たようなもんです。

言葉だけ見ると、どっちも「しんどい」。

愚痴を言うのは、悪いことだけじゃないと思う2つの理由

愚痴を言うのは、悪いことだけじゃない

私は、2つの理由から、愚痴を言うことが、別に悪いことだけじゃないっていう考えを持ってます。

  1. 愚痴を全く言わない人だと、信用ができないこともある
  2. 人のなりが分かるので、親しみやすい、コミュニケーションも取れたりする

1.愚痴を全く言わない人だと、信用ができないこともある

愚痴を全く言わない人だと、信用できない!っていうワケではなくて、信用できないことがあるってことです。

妙にきれい事だけ並べて話す人いません?

得体が知れなくて、気持ち悪くて、わたしは苦手です。まず、絡まない。すべてが嘘くさいから。

妙に理解者ぶって、正論語るヤツ。

もう正論語ってる時点で、空気読めてないし、正論も、こちらが反省しなくちゃいけないような正論なら、あぁ、それは私が悪いって思うんですけど、違和感のある正論ってあるじゃないですか。

どう考えてもすげー嫌味言われてんのに「ご指摘に感謝しなくちゃ。」とか言ってる人。

例えば、○月○日運動会までに、、っていう連絡して、日付間違えてたとしますよね?その指摘に、「日付間違えてませんか?」っていう指摘じゃなくて、「○月○日って何の日ですか?」ってくるヤツ。その言い方ね。バレてるからね。人間性まで丸見えだよ。

ご指摘に感謝ぁ!?

いや、どう考えても嫌味だよ。

イライラしてんのも丸見えだし、で、行動がぜーんぜん伴わない。

「感謝とか言ってたヤツが?こーんな行動・言動すんの?」ってよくあるパターン。気遣いもぜーんぜん出来てない。承認欲求が丸見えだったりする。

結局、こーんな言い方されました!でも、わたしはこういう解釈の仕方をしてるから素敵でしょう?っていうのが透けて見えてる。だったら、腹立ちましたって言われた方が楽。

なんでこう思うかって、受け止め切れてないから、わたしに伝えに来たんですよね?って話なんですよ。黙ってればいい話でしょう?
「あのご指摘に感謝してますっ」て言いにくるこの感じが嘘くさいでしょ?嫌味に感謝って何?

この正論に(嫌味に感謝する感じね)、沿わないと行けないのかな?てなる人もいるでしょうね。わたしはなりませんけど(目利きあるから)。

何だこいつ

ってなる。

相手のちょっとした愚痴を聞くことで、結束力を固めよう!なんて愚かなことは思いませんが(愚痴で固めた結束力なんて、経験上、脆い脆い)、本音で語ってくれている、なんとなく嘘偽りがない人、という信用も感じられるんですよね。わたしは、ですよ。

とてもじゃないけど、嫌味に感謝なんてしてる人に心開けない。

ちなみに、信用できる人の場合は、こちらの愚痴も否定せずに聞いてくれるという特徴があります。

嫌味に感謝してる人からはきっと、アドバイスが入ります。

聞いて受け止めてくれる人っているんですよね。そういう人に出会うと感謝したくなる。でも、そういう人も、わたしじゃない誰かに愚痴ってるかもしれないんですが、そこは分かりません。聞いてくれるから、とても有難い存在になる。

2.親しみやすい、コミュニケーションも取れたりする

愚痴を言ったり聞いたりすると、相手(自分も)の心を開いて、近い距離感でコミュニケーションを取ることができませんか?

相手のちょっとした愚痴を聞くことで、なんとなく嘘偽りがない人、という信用も感じられることがあって、わたしは話しやすくなります^^

怒りどころ(沸点?)が分かると、距離感が掴めるし、合う・合わないとか、相手の価値観がわかることもあるじゃないですか。

これが分からないと、コミュニケーション取りづらいと感じてしまうので、聞けたら聞けたで「そういう価値観なんだな」って知ることができるんです。

なので、愚痴も悪いことばかりではないかなと個人的には思っています。

ただし、コミュニケーションツールとして利用ができるとは思ってますが、コミュニケーションを取るためにいつでもかつでも愚痴るとなると、状態はちょっと違ってくると思います。

愚痴を言うのは悪いこと?垂れ流し系は気をつけた方がいい

愚痴 悪いこと

いつでもかつでも愚痴を言ってしまう、垂れ流し系の愚痴もありますよね。

↓考えられるリスクとしては、以下の4つだと思います。

わたしが垂れ流し系の愚痴を言っていたとき、聞いていたときのことを冷静に振り返ってみて、感じたリスクがこちらです。

  1. 愚痴を聞く方にもストレスがかかる
  2. 自分自身の評価を下げる
  3. 生産性がないし、誰も得しない
  4. 成長できない

1.愚痴を聞く方にもストレスがかかる

愚痴を言っているときの私って、聞く側にもストレスがかかっているのを知りませんでした。だって、そうやって育ったし。

わたしって愚痴ばっかじゃね?って思ってから、聞く側の人のことを考えるようになったんですよね。

愚痴を聞く方にもストレスがかかる

そもそも愚痴って、言って発散して当たり前だと思っていたんですよ。そういう家で育ったし。

相手の愚痴も聞くし、自分も言うし、みたいな関係性。

でも、こういう家多いでしょう?

一見、共通の話題で楽しさを共有しているようで、ただ、不満・否定を共有しているだけ、こういう関係性は、経験上長続きもしないんですよ。

発展的な関係性でもないし、ここに同調し続けるってのは、自分も不満・否定的なエネルギーの中にいるのが心地良いってことだとも、今は思っています。

でも、そういう時期にいる、いた方が楽なことって、人生長く生きてりゃあるんですよ。誰かの責にしなきゃ、やってらんない、自分だって努力して頑張った、辛くて仕方ない時期だってあるんです。

全て誰かの責にしても何の解決にもならないんですが、躓いたとき、相手を否定しないと、自分を肯定できないほど傷ついているときは、誰かの責にしたっていいんです。

一旦、ですよ。自分が悪いのも分かってる。けど、心が下りない。こういうとき。

ただし、何かことが起きたとき、必ずどちらにも何かしら責があるという考え方は大事だと思います。

けど、心が下りないときってあるんですよ。そういうときは、、

私は悪くない!あいつが悪い!許せない!

色々分かった上で、自分が悪いのも分かってるという気持ちに蓋をして、こう思うのはアリだと思います。

言うまでもないですが、何でもかんでも『あいつが悪い!許せない!』は当然違います。他責があること自体が道理に沿わないからです。わたしは自責しかないと考えています。そんな私でも、他責にしたい!と思う時期があった、という話です。自責なのは分かってる。

今まで愚痴らなかった人が、環境の変化とかで、突然愚痴が多くなる、そういう時期って、誰にでもあるんじゃないかなと思うんです。

そういう時期を経て、、そろそろ愚痴、止めてみようかなって、ようやく思い始めることができたんです。

ただ、自分が「愚痴を言わない人になりたい」と思ってからは、人から愚痴を垂れ流されるのが苦痛だったのも確か。

自分が言わないように頑張ってるのに、相手からは垂れ流されるワケですからね、、辛かったですよ。

愚痴を聞きたくないと伝えても、愚痴くらい聞いてくれたっていいでしょ!って母から言われたりね。。

聞かされても得なんて全然無い・・ことに気がつく。

自分が頑張ってることを理解しようともしてくれないで、自分の主張ばかりする人とは距離を取った方がいいと思います。

2.自分自身の評価を下げる

愚痴を言うと「自分自身の評価を下げる」って良く聞いたりしてたんですけど、、自分が愚痴る側にいるときには、自分の何が下がるワケ?って思ってたんですよね。

意味わかんない。

だって、自分勝手な人とか、失礼な態度受けた!とか、イラっとする人にも遭遇するワケじゃないですか。

絶対あっちが悪い!非常識!

愚痴を言いまくってた頃のわたしは、聞いてよーー!!ってすぐに言ってたんですよ。

自分の正当性を主張。

自分の言ってることは正しいでしょう!って。で、聞いて貰って、「何その人!イラつくね!」って同意を求めて安心する、みたいな。承認欲求って言うヤツ、あれですね。

では、悪口は自分を下げるのでしょうか?

結論を言えば、下げます。

自分の価値を下げる

愚痴を言って、表面だけ聞いてれば、相手を下げて自分を上げる行為とも思える行動ですが、確実に下がっているのは自分ですよね。

イラっとくる時点で、自分の感情に振り回されてるし、注意・助言すればいいものを、結局愚痴なんですよ。

愚痴ったところで、何も解決してないのです。

自分のことも、陰で言われてそう・・と思われかねない。今のわたしなら、そう思う。だから、評価下げてると思います。

自分のことだけは言われないなんて、ないですからね。

3.生産性がないし、誰も得しない

愚痴って↓こういうリスクがあるんですよね

  1. 愚痴を聞かされている相手の時間を奪ってるかもしれない
  2. 愚痴を聞かされている相手も良い気分はしていないかもしれない
  3. 得がない、というかむしろ損なことが多い
愚痴のリスク

とにかく、愚痴を言って発散してた頃の私は、ただただ自分の正当性を主張したいだけで、「わかるわかるー!」って言ってもらって、スッキリしたい。

アドバイス・助言されようもんなら、否定!?とも思うし、同じようなことを何度も何度も愚痴る。負のスパイラルを自分で作ってたと思います。

もう、こういう思考回路ですよね。

そう、脳なのです。

同じことでストレス貯めて、同じことで同じような愚痴をずっと言ってるという・・・そういう思考回路の時期にいたのです。

相談と言う名の愚痴も同じです。

相談は、聞く耳ある人が使える言葉だと思うんです。

問題を解決しようとするんじゃなくて、聞く耳持たず、どっちが白でどっちが黒か?って話だと、、、相談と言う名の愚痴だと思います。

これっておかしいでしょ?だから私はこうだと思うんだよね?って、同調を求めるだけなら、愚痴。あったことに対して、どこが悪いかって話を抜きにして、わたしはどうすれば良かったんだろうって解決に努めるのが相談。要するにこちらには、生産性がある。

4.成長できない

成長、できませんよね。

でも、常に成長しなくちゃいけないってワケでもないと思うから、そういう時期(愚痴ってしまう時期)にいても、別にいいと思うんですよ。

ただ、分かってた方が、気がついた方がいいのかもしれない。

自分は悪くないってことに同調してもらうことで、自分の正当性を認めてもらって、安心したいだけ。かもしれないということを。

人間、安心したいときもあるじゃないですか。

でも結局、何も変わらないな、、って気がつくときが来るかもしれないんですよ。

そのときには、、

  • 仮に、自分は正しいと思っていたとすれば、それは自分だけでそう思ってればいい
  • 人には色々な正義がある

このことをどっか頭の隅っこにでも、覚えておくと楽かもしれないのです。

わたしって正しいでしょ?って、、立場や生き方が違えば、見え方も人それぞれだからです。

正当化するのって簡単だし、自分の正当性を主張している限り、そんなことに意味はないと思うから、やっぱり成長はないのかなと。

ミスが起きたとして、これからどうしようってのを考えるならいいんだけど、誰がミスしたの?誰のせい?私じゃない!っていう、、、時間。。

正当化

そんなこと、どうでも良くて、一生懸命やってミスが出たなら仕方ないし、仮に一生懸命に見えなかったとしても、人のことだからそれを強要するのもおかしな話で、一生懸命も人それぞれだと思うんです。

これからどうしょうか?を考えることができると、自然と協力体制も取られるだろうし、事態は絶対に好転していきます

愚痴を言うときのコツ※自覚を持つこと

わたしは現在、愚痴を友達に垂れ流す、、ということは無いワケなんですが、決して楽観的というワケでもなく(むしろ悲観的)、色々な機微に気がつきやすい性格です。

いろーんなこと、人の心情にもすぐに気が付くタイプです。

愚痴を言うことに意味が無いことを自分で悟る前は、口を開けば垂れ流すように、愚痴を言っていた時期があります。

今、愚痴を言うときに気をつけていることは「愚痴ってる」っていう自覚を持つこと。

それが習慣化、自分の普段の会話にならないように。

自覚があるかどうかさえ、気をつけていれば。悪い、いいっていう評価じゃなくて、自覚があれば、言ったり言わなかったり、冷静に周りの状況見て判断していけるんですよ。

経験上、愚痴を言う人は、どこでも常に何かしら愚痴を言っていて、言わない人は何があっても、あまり愚痴らないんですよね。

これは思考回路の差だと思うんです。

愚痴に意味が無いことも分かるから、物事の見え方、見方が違う、処理の仕方が違うだけ。

性格の善し悪しの話じゃなくて。

最初から上手くはいきません。冒頭でも書きましたけど、愚痴を言いたい自分がいるのに、拒否して認めないと、さらに愚痴が溜まっていって、悪循環になるのは間違いないです。

生き急いで、急に「愚痴を言わない私」を作り上げることは不可能。そこは通るしかない道です。飛ばして近道することができない。それくらい思考にアプローチかけるのって難しいことなんです。

現在、愚痴を言いたくなるシーンも、ときに遭遇したりもするんですが、そんな状況を選んだのもまた自分だし、なんとかできると思うようにしてから、あまり愚痴ら(れ)なくなってきました。

そのような状況も選んだのは自分、自分自身でどうにかできる、というか、どうにかする。みたいな。

対人だとしても、相手に伝えて改善されない、「改善されない、ちょっと聞いて!!」も1度ならいいけど、いつも同じ愚痴を言ってる人の愚痴は極力避けたくもなるものですよね。相手と距離を置いてみるのも1手、距離を取らない選択をしてるのも自分だし。

要するに、愚痴るのにも覚悟が必要ってことです。

愚痴っているのも相手があってのこと。

聞く人がいれば、言われている人がいる。その対象が自分になることもある。そういう一連のことをちゃんと自分の中に落とし込めてれば、愚痴って吐き出すのも1手だと思います。

愚痴って、悪いことだけじゃない、記事に書いたように利点もあると思うので、使い方次第ですよね。

↓愚痴を言わないようになりたい!と思って、わたしが試した2つの方法と、失敗した真似しない方がいい方法をまとめています。

愚痴を言うのは悪いこと

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