小学4年生の道徳教材
「生きているしるし(P50)」。
参観日で見た授業から、
この物語をもう一度読んでみました。
こういう内容だとは知らなかった。
途中から観に行ったからね。
生徒の回答が大分散らばってたという印象。
感想大会になってたのよ。
自由に発表は分かるけど、
フリーダム化してたよね。
正直な感想を言うと、

この授業は、
一体なんだったんだろう…?
そんな気持ちで帰ったんだよね。
授業の最後は、
- 命は大切ですね
- お父さんお母さんは子どもを大事に思っています
という、ありがちなまとめで、
なんというか…
いや、もちろん命は大切ですよ。
そこは誰も反対してない。
でもさ。
ついこの間、子どもに聞いてみたのよ。



……覚えてない。
え?と思ったけど、
正直、まぁ、そうなるよね。
とも思った。
だって、
「生命の尊さを実感しましょう」
って言われても、小学生にとってはかなりフワッとした話でしょ。
命はひとつしかない。
生きてるから友達と過ごせる。
命がないと、何もできない。
ご先祖様から続いている。
…うん。そうなんだけど。
でも、それってどの道徳でも聞く話で。
「考え方」の前に
物語そのものをちゃんと読めていないのでは…
ということで、わたし流で読解してみようと思います。
道徳教材「生きているしるし」を読んで思ったこと


- 赤ちゃんを見たちえ子の戸惑い
- 「泣く」の意味が変わる場面
① 赤ちゃんを見たちえ子の戸惑い
ちえ子は、生まれたばかりの赤ちゃんを見る。
おそらく、ちえ子の中には
「赤ちゃんってこんな感じかな」
というイメージがあったはず。
小さくて、かわいくて、
キャッキャッと笑って、
まるでお人形みたいな存在だったのかも。
でも、目の前にいた赤ちゃんは、
そのイメージとは少し違う。
顔はしわしわ。
そして、ずっと泣いている。
周りの大人は
「ちえ子に似てるね」
と言うけれど、



かわいいけど、泣いてる顔は、わたしと全然似てない….
ちえ子が泣くときは、
悲しいときや、困ったときだけなのかも。
でも、赤ちゃんは
ただ泣いている。
どうして泣いているんだろう?
と思ったのかもしれないよね。
ちえ子には、初めて見る赤ちゃんを前に戸惑いもあったんだと思う。
②「泣く」の意味が変わる場面



かわいいけど、泣いてる顔は、わたしと全然似てない…
赤ちゃんを見たちえ子は、こう思う。
どうしてなんだろう。
その言葉をきっかけに、お父さんがちえ子の生まれたときの話をする。
生まれたばかりのちえ子は、保育器の中。
自分で体を動かすこともなく、じっと寝ていた。



助かるかどうか分からない。
そんなふうに言われていたけれど、
二か月後、顔を真っ赤にして元気に泣いているちえ子を見て、お父さんはこう思った。
あぁ、生きているしるしだ。
その話を聞いて、ちえ子の中で
「泣いている赤ちゃん」
の見え方が変わる。
泣いているのは、困っているからではない。
生きているしるし。
「わたしはここにいるよ」
そう声を出して知らせているみたい。
顔をしわくちゃにして、
大声で泣いて。
一生懸命泣いて伝えてるのかも。
戸惑いだった赤ちゃんの姿が、
だんだん力強く見えてくる。
そして、ちえ子は言う。



えらいぞ、妹ちゃん。
元気に泣いて、
「わたしは元気だよ!」
と言っているように思えたのかもしれない。
小さな体で、
家族に「生きているよ」
と知らせている赤ちゃん。
その泣き声は、家族を安心させる泣き声。
だからこそ、
「えらいぞ」
という言葉が出たのかもしれない。
考えよう・話し合おう


命はなぜ大切なのでしょう。
- 「わたしと全然にてない…」とつぶやいたとき、ちえ子はどんなことを思っていたんでしょう
- お父さんの話を聞いて、ちえ子は、どんなことを考えたでしょう
- わたしたち一人一人の命は、なぜ大切なのだと思いますか
3点が取り上げられていて、
①番の問いが投げられたときに、
数名の男の子が、こう答えてたんだよね。



なんでこんなに不細工なんだ
と思ったと思います。
小学生らしい、かなり正直な答え。
先生が全然止めなくて、
参観日だから発表をしなくちゃ!!って
頑張る子だっていたと思うんだけど、
それにしても止めなくて。
後ろから、



黙れ!もういいい!!
手を挙げるな!
こう思ってたのよ。
だって、授業が乱れるし、
ブスだ不細工だ、
何人目だよって思ったから。
だけどもし、この答えが出たなら、
これは授業の入り口にできたんじゃいかと思うんですよ。
例えば



どうしてそう思ったのかな?
どこを読んでそう思った?
という返しが必要だったと思う。
そっから掘らないといけない。



赤ちゃんは、しわくちゃな顔で、泣いてばかりいるのです。
というところからです。



そうだね。
不細工は?



それは書いてないけど、
生れたときは、
おさるさんみたいで、
あんまりかわいくないから。



あぁ、よく聞くもんね。
だけど、ちえ子は何て言ってるかな?



かわいいけど、泣いてる顔は、わたしと全然似てない。



そうだね。
かわいいって思ってるね。
看護師さんは何て言ってるかな?



目元が、お姉ちゃんそっくり。
かわいいですね。



そうだね。言ってたね。
ちえ子は、泣いてる顔は、
わたしと全然似てないって
言ってるんだけど、
ちえ子はどんなときに泣くんだろうね。



悲しいときとか。



そうかもしれないね。
じゃぁ赤ちゃんは、どんなときに
泣くと思う?
こういう展開にすれば、
生きているしるしに十分繋げられる
と考えたんですよ。
勿体ないのよ。
つなげよう





この教材の問いに、
これ、いる?
この物語は「守る」というより、
「生きる」ということが軸にあるでしょ。
だって、お父さんとお母さんは
ただ祈ることしかできなかった。
赤ちゃんは保育器の中にいて、
抱きしめることすらできない。
もちろん、
病院の先生がいて、
保育器があって、
守られていた面はあると思う。
でも、
一番がんばったのは
ちえ子自身だったんじゃないかなと思うんです。
例えば



赤ちゃんは、まだ自由に動くことができないよね。
だから泣いて知らせている。
でも、小学生の君たちはどうだろう。
できることがたくさんあるよね。
もし「わたしは生きているよ」と
誰かに知らせるとしたら、
どんなことをして知らせたい?
勉強することかもしれない。
遊ぶことかもしれない。
スポーツかもしれない。
友達と話すことかもしれないし、
誰かを助けることかもしれない。
赤ちゃんは泣くことで生きていることを伝える。
子どもたちは、それぞれの行動で生きていることを伝える。
そう考えると、
この物語の見え方も少し変わってくる気がする。
あとは



祈るしかできないとき、
どういう気持ちがするかな。
こういう問いでもいいかもしんない。
抱きしめたいけど、
ちえ子は保育器の中で、
抱きしめるどころか
触れることすらできない、
叶わない。
ちえ子が、「生きたい」と思ったのかもしれない。
保育器の中だったけど、一生懸命、生きようとして、自分で呼吸ができるようになったのかもしれない。
結果、ちえ子はひと月ほどで、呼吸ができるようになった。
両親の叶わなかった「抱きしめたい」を叶えることができた。
そういう展開にもできるよね。
あと、
で、子どもが妊婦体験してるけどさww
もちろん体験としては面白いのかもしれないけど。
これ、何なの?
そこに、



てあるのよ。
ちょっと、おかしいと思うよね。
これ誰が考えたの?
準備物まであるのよ。
水を入れた1リットルの水2本と…
何の説明してんの?
で、階段上り下りしてんだよね。
妊婦体験で命を感じることはできないよ。
無理がありすぎるでしょ。
命を感じる=生を感じる、だと思うから。
ペットボトルを「命」だと感じて、
こけないように、大事に歩くことで、命の尊さを学ぼうとしてるの?
だとしたらちょっと怖さすら感じるかもしれないと思えてきた。



ペットボトルは、「物」よ。
何をさせてるのかと思う。
子どもに。
例えば
赤ちゃんにとって、
泣くことは仕事だと言われるよね。
では、私たちはどうでしょう。
小学生にとっての「生きているしるし」は、
きっといろいろある。
- 勉強をすること。
- 遊ぶこと。
- スポーツをすること。
- 何かに挑戦すること。
うまくいかないこともあるけれど、
それでも動いている。
それもまた、
生きているということなのかもしれない。
もしかすると、それは特別なことではなくて、
- 笑うこと。
- 泣くこと。
- がんばること。
- 誰かと関わること。
毎日、何かを感じて、
何かをして生きてる。
それ自体が、きっと
生きているしるしなんだと思う。
だから、
この教材で考えるのは
妊婦体験ではなくて、
そこなんじゃないかなと思うんだよね。
命は尊いだとか、抽象がすぎる問いよりも、
具体に落として、
「命」という風に考えなくても、
「生きる」ということに触れることができれば成功なのではないのか?
という持論ね。



妊婦体験じゃないと思うよね。
今することじゃないよw
教科書見て、驚いたよね。
まとめ
この単元のテーマは、
「命の大切さについて、考えたことはあるかな。」
なんだよね。
最初のページにそうある。
でも正直に言うと、
普段「命の大切さ」なんて、
あまり考えないでしょ。
命が大切だと言われても、
それだけだと少し抽象的すぎる。



命はなぜ大切ですか?
生活のレベルまで落とさないと、
なかなか実感しづらい気がします。
生きているからできることがある。
でもそれも、
まぁ、心臓動いてるし、
そうじゃん。
死んだらできないもんねー。
で終わる気がする。
だからこそ、
生きるとはどういうことなのか。
こっちから考えた方が、
「命」について考えやすい気がする。
笑ったり、
泣いたり、
挑戦したり、
誰かと関わったり。
そういう日々の積み重ねが、
生きているということなのかもしれない。
だから問いは、
「命はなぜ大切なのか」
よりも、
生きて、何をしてみたい?
そっちの方が、
子どもたちには届く気がするんですよね。
赤ちゃんは泣くことで「生きているよ」と知らせているのかもしれない。
私たちは、どんなことで「生きているよ」と伝えられるんだろうね。
あと、他者の「生きている」をどう感じるか。
ちえ子も、
最初は戸惑っていた赤ちゃんの泣き声を、
だんだん違うものとして感じるようになったから。



見え方を変えたら、
感じ方も変わるということも伝えやすいよね。
こういう感じだと、記憶にも残りやすいかもしんない。
まぁ、持論。
この題材がアップと同時に、
読み比べとかされてそう。笑
想像ね。



あと、課題の分離できるから諸々大丈夫だよ。
問題は問題。
それはそれ。
これも縁起だろ。
言えるタイミング見計らってたから、
ちょうど良かったんだよ。
こういうの、力に変えられるのがわたしと娘なの。
けど、タチは悪いねぇ。
他の学校で頑張って。
恨みはないよ、けどそっちはあるのかな。
それは私にはどうにもできない。
投影だろうからね。
色々ありがとう。
お元気で。
しかし、屈折しすぎだろ。笑
その屈折は弱さからくるという自覚はあるのか。
理解はするよ。
ま、同調はできないね。
いつも思うのよな。
弱さと強さは表裏一体。
パラダイムを変えると、それは強さにも見える。
しかし、わたしからは弱さに見える。
わたしにはない弱さ(強さ)なんだよね。
それは、違う方向に使った方がいいよ。
エネルギーの方向性だよ。
この弱さ(強さ)の種類をわたしは持っていないから、分からない。
あと、下品にも見えるけど、お前大丈夫?
そこ掘るとさ、プライドとかどうなってんだろうって疑問なんだよね。
わたしには、できな過ぎて。
プライドへし折ってもしないもんねぇ。
方向を間違えると
人間関係のトラブルにしかならないだろうね。
というか一直線じゃないから、これは迷路とも言うかもしれない。
整合性が取れなすぎに見えるんだよ。
こちらからはね。
わたしは内、そちらは外だろう。
ま、他校でがんばれ。
娘にも聞いたんだよね。
腹立たないの?って。



自分で決めてたから別に。
ま、そういうことだ。
わたしも同じ。
他責なんて、ないんだよ。
アドラーだからね。
さらにそこから、課題の分離になるだけなんだよ。
そんなバカな…
じゃないんだよ。
読みが甘いよ。
それは想定の範囲内かどうか、どうだろうね。
どの道、望む未来しか
人は引き寄せられないよ。
どえらい認知フレームだな。
さすがにこれくらいは気づくよ。
わたしと娘をも甘く見過ぎなんじゃない?
認知の歪みがひどいですよ。
ご報告させていただきます。



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