『思考は現実化する!』
……って聞いたこと、ありますよね?このブログでも何度か取り扱っていますが、また行きます。笑

毎日ノートに願望書いて、朝から宇宙に感謝して、白湯飲んでるけど…やっぱ何も起こらん!
むしろ、書けば書くほど『まだ叶ってない自分』に落ち込んでくる謎の現象。
おかしいな?…現実が追いついてこない。
でもそれ、あなたの“思考”が弱いわけじゃない。“思考の取り扱い説明書”を、まだ誤ってインストールしてるだけの可能性もある。
この文章では、『なぜ“前向き”だけじゃ現実は動かないのか?』そして今回は、『願いを本当に現実化させる思考とは何か?』を、ちょっと笑いながら、でも真剣に掘り下げていきます。



具体例を出して、何度でも解説した方が分かりやすいかなという主観です。
表面的な成功が“ズレた現実”を生む理由





自分は〇〇になる!



なるほど。了解。
で、どうなるかというと、思ってたのと違うが発動する。
具体例をあげてみました。
- 引き寄せの具体例※わたしは社長だ!!
- 引き寄せの具体例※PTA会長と“着ぐるみ”の摩擦問題
① 引き寄せの具体例※わたしは社長だ!!
たとえば、自分のことを『社長だ!』って思い込んでみるとしましょう。
でもそのイメージというか、本当の内面の願望が、
- 威張りたい
- 高圧的にふるまいたい
- 何言っても許されたい
- 従え、服従すべし!
……って願望だったら?社長という引き寄せは成功、傍から見たら成功の一途に見える。
ただし、今後の展開として想像されるものは、引き寄せるのは、優秀な部下じゃなくて、反感とイエスマンと『早く辞めてくれオーラ』。
思考は“点火装置”にはなるけど、燃え続けるには、
- 『在り方』という燃料
- 『行動』というエンジン
が要るんです。
だから、こう問い返してみてください。



私が『こうなりたい』と思っていることって、その奥にどんな前提や気持ちがあるんだろう?



たとえば——『社長になりたい』って言ってるけど、それって“自由になりたい”なのか、“何かを成したい”のか、“人を支配したい”なのか、“認められたい”なのか、“お金が欲しい”なのか?
思考の奥にある“本音の動機”がズレてると、引き寄せる現実も、ちょっとズレたものになるんです。
② 引き寄せの具体例※PTA会長と“着ぐるみ”の摩擦問題



PTA会長になりたい!という願望、叶いました。引き寄せ、大☆成☆功!
……のはずが、気づけば着ぐるみ着て職員や保護者の前でパフォーマンス。





えっ、何引き寄せてんだ?
って話ですよね。
引き寄せたの“称賛”じゃなくて“ざわつき”。
本来、PTAに求められているのは、裏方の調整、書類のとりまとめ、先生や保護者との橋渡し——つまり、地味だけど大事な仕事です。
でも、“目立ちたい!”“承認されたい!”という本音が原動力だった場合、



せっかく会長になったんだから何か目立たなきゃ!
と暴走し始める。
で、気づけば——
- 着ぐるみを自費で発注
- イベントでセンターに躍り出る※するかもしれない
- 着ぐるみ着て駐車場整備※するかもしれない
- 先生が持つマイクを奪い取る※するかもしれない
- 謎のSNS発信開始(#私がPTAを変えてやる)※するかもしれない


そして当日は独壇場と化し、PTAの文字説明から入る。3、40分くらい永遠に話し続け、時間も押しまくる。学校側も、職員も、保護者も『いや、そういうの求めてないです……』という微妙な空気。



学校で作ってる文書って堅苦しいでしょ?読みたくなくなっちゃう。
という失言まである始末。



ここ、学校だけど?
裏を返すなら、自分で作った資料が見やすいということなのでしょうね。
つまりこれ、『思考=ポジティブ』でも、動機と行動がズレてると、現実もめちゃくちゃズレるってことなんです。
ここに訪れたあなた、よーく覚えておいてください。
- 本人は『叶った!現実化した!』と信じてる、かもしれない
- 引き寄せたのは『目立てるステージ』だと思っているけど、本来のPTAの仕事——たとえば地味な調整や裏方の連絡業務、運営のバランスをとるようなこと——とは、やっぱりちょっとズレている



立場=“自分の実力の証”じゃなくて、“試される場所”だと思っていた方が、現実は整いやすいと思う。
そもそもだけど、PTAって何の略?
P=Performance(パフォーマンス)
→ 自分が目立てる場としてステージ化。
T=Throne(スローン※王国)
→ 立場=自分の“王国”と思っている誤解。
A=Attention(アテンション※注目)
→ 活躍じゃなくて“注目されたい”が原動力。
※誤解のないように、PTAの略は、Parent-Teacher Association、つまり『父母と先生の会』のことです
結果、摩擦、空気のズレ、距離感の喪失——そして『何か違うな感』満載の現実へ。
そして問題は、このズレに当の本人は気づいていないこと。
だって、『いいことしてるつもり』だから。



みんな楽しいでしょう?



多分、お前だけだよ。
もしかしたら、賛同者がいるかもしれませんが、そこは分かりませんけどね。
気づいていればいいんですよ。そう、その欲求をゴールにせずに成長の糧にすることができればいいけれど、あろうことか気づていないという悲劇。



冷静に見れば、着ぐるみで運営してる人に対して、周りが寄せる視線ってどんなもの?好意的だといいけれど、違ったら悲劇でしょ。めちゃくちゃ痛いでしょ。子どもがいると恰好の餌食でしょ?その視点はないの?
謎の承認欲求があったとしてもですよ?着ぐるみで満たされるのは、冬の寒さだけです。
だから、『私はPTAで活躍したい!』って思うなら、
- 何をしたいのか?(着ぐるみを着たい)
- なぜそれをしたいのか?(目立ちたい)
- その行動は“本来の役割”と合っているのか?(合っていると思いたい)
よ〜く見直してみたほうがいいんです。~したい希望選手権発動。
つまり、こういうことです。
現実を変えるために必要なのは、ただの“思考”じゃなくて、その思考の“動機”と“役割”が一致しているかどうか。
『思考が現実化する』※『意味づけ』が大事


- あなたの現実を決定するのは『思考』ではなく『意味づけ』
- 『現実が苦しい理由』には、『意味づけ』と『現実』の“ズレ”がある
① あなたの現実を決定するのは『思考』ではなく『意味づけ』
『現実がつらい』『あの人に傷つけられた』『自分には才能がない』——こうした“現実”の正体って、実は『事実』じゃなくて、自分が世界に貼っている“ラベル”、そんなこともある。
例えば
超スポーツ万能、超成績優秀な親戚がいたとして、スポーツで高校進学を決めたとするじゃないですか。
親戚の誰かから、



あの高校へ進まれたんですか、何をやってもすごく優秀だったから、少しもったいない気もしますね…
そんなひと言を言われたとします。
もったいないって本人が決めることだから、他人がとやかく言うのも違うんですが、これを、、



勿体ないって何?嫌味なの?バカにしてる?
と嫌な方向に受け取るのか、



いやいや、本人が納得して進学して、楽しくやってるならそれで良くない?
と単純に他人事として思えるのか。
同じ出来事なのに、意味づけが変われば、感情も現実の感じ方も相手への対応もまるで違ってくる。
つまり、『世界』そのものが変わらなくても、“どう見るか”で現実の“意味”は大きく変わるんです。
これが、『思考が現実を創る』の本当の仕組み。つまり、“思考”の正体は『あなたの意味づけフィルター』です。
つまり、“世界の見え方”と“未来の出来事”は、どちらもあなたの意味づけから始まっているんです。
② 『現実が苦しい理由』には、『意味づけ』と『現実』の“ズレ”がある
『現実を変えたい』と思ったとき、多くの人は外側(状況・人・環境)を動かそうとします。
でも、本当に大きな変化を生むのは——あなたが“世界をどう見るか”を変えたとき。
たとえば、人間関係が苦手で、学校と良好な関係を築けない。
ママ友と揉めがちで、悩んでも正解が分からない。
深く傷ついていて、無理に笑顔を作ることで、自分が壊れそうになっている。
もうボロボロ。
そんな背景があるとき。ごめんだけど、ママ友へのあいさつすら止めてみる。学校の提出物だって、期限を守らずに“抵抗”してみる。
それは——ただの反抗じゃない。ズボラでもない。



私はもう、笑いながら自分を削るのをやめたい….



そんな、静かだけど切実な意思表示。もちろん、現実はやさしくないから、それを受け止める覚悟も同時に引き受ける必要がある。
白い目で見られたり、陰で噂されたり、『常識のない人』として扱われることもある。でも——その摩擦を恐れずに、自分の本音に触れたところからしか、本当の意味で“現実を変える視点”は始まらない。
そしてそこからした強い決断は一時的に大きなエネルギーを生み、そこを通って初めて、どうあるべきかが見えてくる。



私はこの人たちとうまくやれない。ここでは、自分が壊れてしまう。
そういう泣きたいくらいの悲しみを含んだ“視点”に気づいたとき、はじめて——



じゃあ私は、どんな世界を生きたいの?何を大切にして、新しい関係を築いていきたいの?
という問いが生まれてくる。
『世界を見る力』とは、ただ都合よく“ポジティブ変換”することじゃなくて、ネガティブな現実から目をそらさず、それにどんな意味があるかを問う力。
挨拶をやめるのも、提出物を出さないのも、もしそれが“自分が生き直すための一時的な揺らぎ”だったのなら——そこにこそ、視点が変わる“種”があり、大きな意味を持つ行動である可能性が高い。
つまり、そう思ってしまう(そうなってしまう)原因は何?という投げかけ(気づき)の可能性もある。
『やめることで一時的に自分が救われたかもしれない』——そこまでは過去の話。でも、『もっと他のやり方があったかもしれない』と気づいた瞬間から、新しい視点が生まれる余地が出てくる。
けれどそれとは逆に、



エネルギーが整えば、余計な挨拶なんていらないの。私は私、合わない人に無理に合わせない。提出期限なんて、わたしには関係ない。制限のエネルギー解放!スッキリ万歳!


——これがもし、『背景』も『責任』も考えない思考なら、それは“内なる誠実さ”ではなく、“不都合の言い訳”に近づいてしまう。
たしかに、宇宙の法則は善悪を裁かない。だから一時的に“エネルギーが通って”状況が好転することもある。
けれどそれがただの自己肯定にすぎず、他者に対して不誠実なままなら、いずれどこかでズレが生まれる。
現実を変えるって、まず『どんな世界に住むか』を自分で決めること。そして、それに意味づけを与えることから始まる。
現実が変わりはじめるのは、そのあとなんですよね。意味づけによって、その後のエネルギーは『一瞬のスッキリ』で終わるのか、『人生全体を整える力』になるのか、数年、数十年かけて形を変えて行くんだと思う。
ここで大事な問い


『私は今、どんな意味づけの世界に生きているだろう?』
あなたが信じている『思考』の中身、それはポジティブでもネガティブでもなく、“どんな世界が当たり前だと思っているか”という認知の選択。
それが、あなたの“現実”という名のスクリーンに、日々映し出されているんです。
思考は『願望実現』のスタートラインに過ぎない
『思考は現実化する』の著者、ナポレオン・ヒル。
一部では“引き寄せの父”みたいに扱われてますが、実際に本を読むと…
- 願いを明確にする
- 潜在意識にしっかり植えつける
- その上で、具体的な行動を毎日コツコツ積み上げる


っていう、地に足ついた努力派、体育会系です。過去記事にも書いたけど、荷物まとめとかしてたら、置いて行かれます。
宇宙じゃなくて、あなたが動け、って話(つまり、“思い込んだら一歩動いてね”ってこと)。
成功してる人って、運がいいように見えますよね?
でもその裏には、『物事の意味の取り方』もあるんです。
例えば
- 大失敗 → 『これ、ネタになるわ』
- 試練 → 『ゲームのボス戦きたってことね』
- 批判 → 『あっ、私バズってる?』
彼らは、起きたことに“自分にとって意味のあるラベル”を貼りかえる天才だったりする。



私は失敗したことがない。ただ、1万通りの“うまくいかない方法”を見つけただけだ。
でも、ここが大事。
その“問い直し”こそが、視点を変える力になっているんです。



けど、これって、本当に難しいですよ。時間がかかることもあるから。
生きてると色んな葛藤があるから。無理に意味変しなくてもいいから、ネガティブはネガティブでちゃんと受け止めて、そのあと、ゆっくり良い意味で意味づけできたらいいと思います。
『思考した瞬間、何かが起こる』わけじゃない。でも、思考した瞬間に“あなたの見ている世界”が少しずつ変わり始める。
そしてその変化に気づいて、ひとつひとつ拾いに行った人だけが、いつの間にか、現実を“創ってる側”に立ってるんです。
思考の決定的な違い


- 『外側』に頼りすぎな現実化
- 他人の成功法則に依存する危険性
- 『内側』から世界を創り出す現実化
① 『外側』に頼りすぎな現実化
『思考は現実化する!』
そう聞いて、まずやるのは——とりあえずググる。で、『成功者のルーティン10選』を読み漁る。
- 朝5時に起きて、白湯を飲み、瞑想30分
- 引き寄せノートに願望を書く
- アファメーションを100回唱える
- 月に一度、神社へGO
……とにかく『うまくいってる人がやってること』を片っ端からマネしてみる。いいんですよ、これも行動ですから。やらないよりは、やった方が全然いい。
でも、ある日ふと気づくわけです。



あれ?何も変化なくない……?
② 他人の成功法則に依存する危険性
もちろん、他人のやり方を参考にするのは悪くない。
でも問題は、『その方法が“自分の在り方”と合ってるか?』を考えずに丸飲みしてしまうこと。
- 朝5時が地獄なのに、無理やり早起きしてクタクタ(起きねば!)
- 本音では『書きたくないこと』まで願望ノートにねじ込む(書かねば!)
- 心では『信じてない』のに、口では『宇宙に感謝』と唱える(唱えなければ!)
ねばならないの応酬。
これ、現実化してるようで、実は“自分切り離し”が加速してるだけですよ。
つまり、自分の声が置いてけぼりのままじゃ、何やっても“借り物の人生”になるってことなんですよ。
『結果』ばかり求めると、逆に叶わなくなる。
こんな思考では、『いつ叶うの?』『何をすれば早く結果出るの?』と、とにかく目に見える成果を急ぎがち。
でも、焦るほどに、現実はこう返してきます。
お望みの“結果”、まだ出ませんけど……何か?
- 結果を追えば追うほど、今の自分を『まだ足りてない』と否定する
- 今を否定してるうちは、エネルギーが分裂して、動けない
- 結果が出ないと焦り、焦るとまた自己否定が進む
このループ、まさに“外側頼り”が生む現実化の罠です。
つまり、他人のルーティンをコピペするだけじゃ、現実は動かない。結果ばかりを追いすぎると、『今ここで感じている自分』がどんどん遠のいていく。真似するのは悪くないけど、コピペだけじゃ意味ないってことの理解も必要かもしれない。
③ 『内側』から世界を創り出す現実化
もう、“こうすれば成功する”みたいなテンプレに疲れて、ほんとうに現実を動かしたいと思うなら、まず見るべきは『自分の内側』。
例えば
- これをやってるときの自分、めっちゃいい顔してる
- なんかよく分からないけど、自然と人が集まってくる
- 無理してないのに、流れがスムーズ
こういうときって、だいたい内側(思考・感情・行動)がちゃんと“ひとつ”になっていて、頭では納得、心は満たされ、体もちゃんと動いてる状態。
それが内側から世界を創り出す現実化の土台。
内側が整っていると、次のような変化が起きやすくなる。
- 思考がクリアになる → 『なにが本当にやりたいのか』がわかる
- 感情が落ち着いている → 焦りや恐れに振り回されない
- 行動が自然に湧いてくる → 無理なく続く、結果が出る
このとき、無理やり行動してるわけじゃないのに、なぜか現実がついてくるように動き出す。
『整える → 気づく → 動ける → 巡ってくる』——このサイクルが回りはじめる。
『自分を満たした上で、自然に人に与える』という考え方ができるようになってくる。これは“無理して尽くす”のとは違って、自分が溢れてるから、ついおすそ分けしちゃうみたいな感覚に近いと思う。
- 嬉しいから、やる。
- 楽しいから、渡す。
- 喜んでもらえるから、もっとやりたくなる。
エネルギーが循環して、また戻ってきやすいんだと思います。
『どうすれば叶うか?』じゃなくて、『自分がどんな状態で、どんな世界を生きたいか?』を見ることに意味がある。
『意味づけ』が変わると『エネルギー』が変わる


『なんで私ばっかり…』と思う日もあるし、『もう無理…』と布団に潜りたくなる朝もある。
でも、それでいいんです。
今ネガティブなら、それはそれでいい。『そんな自分をそのまま認める』こと自体が、エネルギーの流れをゆるめる第一歩だったりします。



ポジティブでなきゃ現実は動かない、とか、ネガティブな自分は悪い波動、なんてことはないですよ。そういう自分の状態を把握することが大事。
むしろ、その“感じてること”にちゃんと気づけたとき、ふっと心の中の空気がやわらかくなる。そこから、少しずつ“意味づけ”が変わっていくこともある。
泣いてても、怒ってても、閉じてても、そのときの自分を丁寧に見てあげているなら、それだけで、ちゃんと“整ってる”って言えると思います。自分に気づかないといけない。
まとめ
わざわざ『こうしたい!』と力んで引き寄せなくても、あなたが“どんな状態で在るか”で、現実の方が動いてくる。
つまり、こういうことです。
この順番、忘れがちだけど、いつも外じゃなくて、内側から世界は始まってるんです。
だから焦らなくていい。エネルギーが変わるって、いつも高く跳ぶことじゃなくて——“今ここにちゃんと居られる”自分を育てていくことだから。
『視点を変える』というのは、ただ考え方を入れ替えることじゃありません。
それは、“自分の内側のエネルギー”を静かに書き換えること。
そしてそのエネルギーが変われば、出会う人も、流れも、起きる出来事も——ちゃんと、それに合った世界に変わり始めます。
同じ人でも、引き出す場所が違ってくる。良い面を引き出せるようになる。
無理にポジティブにならなくていい。
逃げた日があっても、沈んだ日があっても大丈夫。
でも、ふと気づいて『もう、こんな世界はやめたい』と思ったとき——
そこから、あなたの現実は静かに動き出します。
そこから、意味が変わり、感情が変わり、エネルギーがゆっくり、でも確かに整っていきます。
これが、本当の意味での『引き寄せの法則』の本質だと思う。
未来をがんばってつかみに行くんじゃなくて、“今の自分”が未来を呼び寄せる。



持論ですけど、合ってると思う。
だからこそ、まず“願う”ところから始まってもいい。でも、そこに込める願いの“本音”を探ることが、現実を動かす力になって行くんだと思う。




コメント