小学4年生の国語で扱う『未来につなぐ工芸品』。
国語の教科書の流れが分かると、この作品の意図が分かりやすいと思う。というのも、次に控える単元『友情のかべ新聞』は、いわば小学生版ミステリー。
『友情のかべ新聞』の前に登場するこの単元は、実は“構造読み”への布石(フラグ)として位置づけられているのは、一目瞭然。
出来事の裏を読み、登場人物の行動の因果を整理しながら、ボク視点で「相互理解」や「自己拡張」をしていく物語が『友情のかべ新聞』。
でも、いきなりミステリー構造を読めと言われたら、子どもたちは当然、混乱する。本を読みなれていないと、どこが要点になるのか、分かりにくい子もいると思うから。そこで前段階として配置されているのが『未来につなぐ工芸品』。
もう一つ重要なのは、『ごんぎつね』とのつながり。「伝えたいのに伝わらなかった物語」から、「どうすれば伝わるのかを学ぶ説明文」へとシフトしてる。つまり、『未来につなぐ工芸品』は、要点をまとめて伝える構造を学ぶ物語。
ここを理解せずに授業をすると、ただ「要約の仕方を教えて、工芸品リーフレットを作って終わり」という表面的な授業で終わってしまうと思う。
この記事では、『未来につなぐ工芸品』がなぜこの時点で扱われているのか、そして、4年国語全体の“構造的な流れ”の中でどんな役割を果たしているのかを整理してみようと思います。
国語の教科書(小学4年生)の構造的流れ

国語の教科書では、『白いぼうし』⇒(ここにも何かあるかも、確認してない 笑)⇒『ごんぎつね』⇒『未来につなぐ工芸品』⇒『友情のかべ新聞』という流れで扱われている。もちろん意図的に。
流れとしては正確だから大丈夫。笑 確認してないところに何かあるかもしれず、そこはまた別記事でまとめようと思う。
わたしがなぜこの意図に気づけたかというと、『友情のかべ新聞』を見て、登場人物の物語から心が動いて成長していくのに気付いたから。
途中にある物語としての『未来につなぐ工芸品』は心情読みではないので、使われ方の意図として外れている可能性。
『友情のかべ新聞』を読んでから戻ってみて、再び、この『未来につなぐ工芸品』は?と思って読んでみると、しっかりフラグになってる。やっぱり教科書の構造は合ってると思った。ミステリー読みの慣らしになってる。
| フェーズ | 単元 | 学びの型 | ねらい |
|---|---|---|---|
| ① 感情・想像 | 白いぼうし | 他者視点・想像力 | 見え方の違いに気づく |
| ② 感情・理解 | ごんぎつね | 感情読み | 伝わらないもどかしさ/伝える大切さ |
| ③ 構造・論理 | 未来につなぐ工芸品 | 構造化読み | 情報整理・要約・説明の順序 |
| ④ 統合・推論 | 友情のかべ新聞 | 統合読み | 構造×感情で推論・相互理解 |
『未来につなぐ工芸品』は“構造を読む”練習

- なぜ要約が出てくるのか
- 『ごんぎつね』の「心情読み」からの転換点
- 教科書へのモノ申し
① なぜ要約が出てくるのか
要約は、ただ短くまとめる作業ではなくて、段落ごとの役割や流れを整理しながら、
「この文章は、何について、どんな順で説明しているか」
を見抜くためのトレーニング。
たとえば
- 序盤:伝統工芸と自分の仕事についての説明
- 中盤:序盤の理由、経験談
- 終盤:中盤から得た自分の感想とまとめ
読書感想文の書き方と同じですよね。基本、わたしもこうしてる。
ここから、この著者が伝えたいことを読み取る力が大切。
そしてこの感覚こそが、後の作文力・論理力・読解力のすべての土台になるでしょ。『未来につなぐ工芸品』の要約は、“情報を削る練習”ではなくて、重要個所の抜出しをして、この短い文章から著者が伝えたいことを数行にまとめる力を学ぶことになる。
教える側が、
- 絶対に文中から抜かないといけない文言を知っていること
- 人に伝えられる要約になっているかのチェック

という目的を念頭に、物語に触れて子どもたちを誘導しないといけない技術が必要。
② 『ごんぎつね』の「心情読み」からの転換点
『ごんぎつね』では、登場人物の感情を想像して、伝わらないもどかしさ、伝えることの大切さを学んだけれど、相手の気持ちを想像できるようになったら、次に必要なのは、「どうすれば伝わるのか」を順序立てて伝える力。
『未来につなぐ工芸品』は、その転換点にあたる単元。
感情を一度手放して、事実を正確に読み取る。そしてそれを要約し、順序立てて相手に伝えるための文章の作り方を学ぶ。
ここで学ぶのは、心ではなく構造。
つまり、
これは単なる工芸品の説明文の読解ではなくて、子どもたちが “伝える力”の設計図 を手に入れる学び。
この単元から、読みが“感情”から“構造”へと進化する。
ちなみに先生がここを分かっていないと、授業はミステリーと化す。
③ 教科書へのモノ申し
物語の最後に書いている、教科書の「問いをもとう」や「目標」、その他諸々の指示書が分かりにくいですよね。
「多分、こういうことを問われているんだろうな。」というものもあれば「これ、必要?」というものもある。どこかでズレが生じている可能性。
「これ、必要?」というものに重点を置けば、樹海の森確定になる。「これ、必要?」というものも、課題に沿わせることで明確になるものもある。言えば「課題」が「問いをもとう」や「目標」のろ過装置みたいになってる。
「課題(=この単元で何を考え・できるようにするか)」が明確であれば、「これ必要?」という迷いが自然に「ろ過」されていくけど、明確じゃないと濁るということ。





皮肉にも、伝え方を学ぶ授業で、教科書が伝えられないって言うね。ギャグなの?
曖昧な文章からは、曖昧さしか伝わらないから、誤読もあると思う。
「未来につなぐ工芸品」を読んで、あなたは、工芸品にどんなみりょくを感じましたか。それは、どうしてですか。
この教科書によくある「問い」がまず曖昧。
↓正否は別として、わたしならこうしたい。
この物語を読んで、誰かに工芸品の魅力を伝えるとしたら、どんなことを教えたいですか?どうしてそれを伝えたいと思ったのですか?
筆者が伝えようとしていることをとらえて要約し、考えたことを伝え合おう。
・中心となる語や文を、表を使って整理する。
・まとまりごとに、中心となる語や文を使って短くまとめる。
↓正否は別として、わたしならこうしたい。
筆者が伝えようとしている工芸品の魅力を要約し、その要約した内容を他の人に分かるように伝え合おう。伝えた後に、相手が理解できたかを確認してみよう。要約を聞いた相手は、どんなまとめ方が分かりやすいと思ったのか、自分との違いなどを伝えてみよう。
・筆者が伝えたいと思っている工芸品の魅力を、文章から抜いて整理する。
・段落のまとまりごとに、筆者が伝えたいと思っている工芸品の魅力を文中の文字を使って短くまとめる。



教科書製作者側が、不親切すぎるのかどうか。教える側が、国語の教科書の構造の流れを理解して、各物語で問われている内容を読解し、それに沿って指導案が作られているのなら問題ないかもしれないけれど、
国語の教科書の構造読み不可。
↓
各物語で問われている内容読解不可。
↓
教科書の問いの意味読解不可、適当。
↓
指導案謎。
↓
全員迷子。



みんな、日本の工芸品のすごいところはどこ?
教科書を読んで気づいたことを発表しましょう。



「奈良隅」という工芸品は、千年以上も前から使われているので、すごいなと思いました。
教える方も目的を知らないから、伝統品について各々思ったことを抜き出せばOKという理解の元の指導になる。で、各々発表したことを黒板とかノートに書いて、伝統品についてまとめる授業と化す。



伝統品について詳しく学ぶことができて良かったですね。



あらかた、こんなので終わるだろう。『友情のかべ新聞』もそうだったけど、教科書で書かれていることが、ぼーんやりしていて、霧の中。
教える方がよほどしっかり読解しとかないと、余裕で遭難、樹海の森。
「問をもとう」「目標」も、読解を一歩間違うと余裕で迷子。で、結構余裕で奈落の底に落ちる教科書になってると思う。
大概は、迷子。ゴールしたと思ったところは、まだ入り口、そんな感じじゃないのかな。途中で看板があるもんね。「綺麗な落ち葉が落ちています。こちらの方が近道です。」みんな拾いに行って、違う道行く。これ綺麗、あれも綺麗って言って、入り口付近でずっとウロチョロの図。
で、こう言うのよ。



あー疲れたけど、楽しかったね。落ち葉拾い。



そういえば、俺ら何しに来たんだっけ?



忘れちゃった!気にしない!気にしない!次行こう!





看板の前で足を止めているうちは、子どもは進めない。教える側が、看板を外して構造をちゃんと示せないとダメだと思う。
これで、工芸品について書かれた本がいくつか紹介されているんだけど、これも、どういう意図でこの単元があるかを理解していないと、「ひろげよう」の意味は問えないと思う。
学校図書館などで、工芸品について書かれた本を読みましょう。そして、読んだ本の内容を友達に知らせましょう。
↓正否は別として、わたしならこうしたい。
学校図書館などで、工芸品について書かれた本を読みましょう。そして、読んだ本の内容を友達に知らせましょう。読んだ本を理解して、自分の言葉で友達に伝える練習をすることで、どんな風に説明したらわかってもらえるかの発見になります。その「伝えられる力」が、大きくなったときに、あなたの大きな力になってくれます。



これくらい書けないの?と思う。
あと、教科書の最後に「博多おり」のリーフレット例があるんだけど、わたしの個人的な意見としては、個人がどう感じたか?くらい書いたら?とは思う。けど、単元の学習としては必要ない。
「博多おり」の魅力を伝える文にはなってるけれど、魅力ある文にはなってないから、伝わる文としてはという説明でも足せれば、触れるだけでも意味があるのかもしれない。
『「きかがくもよう」の美しさを楽しむことができます。』
↓
『写真の「きかがくもよう」は一部ですが、長く連なる織物の模様は、思わず見入ってしまうほどの美しさです。』
があってもいいかなとは思う。
何度も言うけど、あえて省かれている可能性はある。
教科書の構造説明がいるのでは?


- 「単元の構造説明」を最初に行う意義
- 「目標」や「問い」だけでは意味が通じない理由
- 具体的な教師の説明例
- 教える側が構造を知らないと何が起こるか
① 「単元の構造説明」を最初に行う意義
授業の最初に、子どもたちに次のように“地図”を見せるだけで、理解の深度がまるで違う。



前の単元では“伝わらないもどかしさ、伝える大切さ”を学びました。
今回は、それを“どう伝えるか”を考え、“どうすれば伝わるのか”を考えていきます。
こういう風に説明されると、子どもたちは“読解”ではなく「探究モード」に切り替わる気がする。
② 「目標」や「問い」だけでは意味が通じない理由
教科書に書かれている、
「筆者の考えをとらえ、要約しよう」
「工芸品の魅力を伝え合おう」
は、行動目標のレベルであって、「なぜ今それをするのか?」という視点が欠けているでしょ。
子どもたちは「行動目標」だけでは納得できないし、納得を生むのは、「構造的意図の共有」だと思う。



子どもたちも、伝統工芸品になんて、悪いけど興味ないと思うよ。興味ある子はあるだろうけど、9割くらいは興味ないんじゃないの?その中で、本を読みこまないといけないワケだから、目的は必要だと思う。何なら、この物語は『作文の見本』です。この型さえ学ぶことができたら、作文を書くのが楽しくなるし、人に物事を正確に伝えることができる名人になれるよ!くらい言えばいいと思う。大人にどれだけできない人がいると思う?ほっとんどできないんだから!これを習得できたら、大人顔負けだって!くらい言えたら、興味持つんじゃないかな。
まぁ、大人でも書ける人が少ないという自覚があるかどうか?は疑問だけどね。文章の上手・下手って、なかなか線引き難しいから。この物語が秀逸なのは、みんな分かるのかな?で、どこが秀逸なのか言えるのかな?もう、そこまで疑わしくなってきてるよ。



学級通信も、酷いのは酷いものね。ところで、あれで、余裕で性格が読めるって、先生方知ってた?思えば、あれすらも構造読みしてる自分がいたことに気づく。独り言です。
③ 具体的な教師の説明例



前に学んだ『ごんぎつね』では、“伝わらないもどかしさ”を学習しました。今回は、その“伝える”を練習します。どうすれば相手に分かりやすく伝わるか、順番を考える学びです。次の『友情のかべ新聞』では、ミステリーを読み解く学習があるので、そのとき、“順番に読む力”があると、出来事の理由が分かるようになります。
これを最初に言うだけで、子どもの思考軸が「今やっている理由」→「次につながる目的」に変わる。賢い子は「今、何を学ばなければいけないか?」までつながると思う。
④ 教える側が構造を知らないと何が起こるか
- 「問をもとう」や「目標」をそのまま読むだけ
- “点の学習”になる(工芸品=工芸の話で終わる)
- 子どもが「伝統」「すごい」「古い」などの表層語でまとめる
- 「なぜそれを学ぶのか」が不明確なまま、リーフレット作って授業終了
結果として、教員も子どもも「言葉の形は整ってるのに、中身が空洞」という授業になる。
『未来につなぐ工芸品』の学習を“説明文の読解”で終わらせないためには、最初に「この単元がどんな位置にあるか」を、構造として見せることが不可欠だと思う。
構造を見せることは、地図を渡すことと同じで、地図を持った子どもだけが、“目的地”である理解に辿り着ける。


教科書に書いてある、「目標」「問い」はあるけれど、大人がぼんやりするのに、子どもがぼんやりしないワケがない。



あ、ごめんなさい、わたしは分かるから、ぼんやりしませんよ。
だって、「ぼんやり」してるのが分かるから。
自分で「ろ過」できる。ろ過して、何も残らない質問があるんだって、たまにね。そんなの問うと、子どもが迷子になるでしょ。あれと一緒だよ。『ごんぎつね』の死体処理の質問をした教員がいたでしょ?あぁいう質問は愚かだと思う。課題に関係のない問いは、ただのノイズになる。
子どもの発表もさ、課題に沿わないものもあると思うんだって。そういうものの返しもちゃんとしとかないと、他の生徒が迷うよ。必要な問いかどうかを見極めて、その都度軌道を戻す腕が必要。
とかいうと、



その問いは今は関係ありません。
とか言い出すJKが出だすかもしれないけど(まぁ、状況読めないからね)。どこまでの導きがいるんだろうね、とも思う。
問いの発想の自由はあるかもしれないけれど、それじゃ授業がフリーダムになる。その授業、台無しだって。スワンレイクの米ナスの研究と同じだよ。生徒だけならまだしも、教える側も一緒にフリーダムになってたら、その授業は何なんだろうね。アクティブラーニングの誤解だろう。
『未来につなぐ工芸品』が育てる「構造的思考」


- 感情を伝えるから、情報を伝えるへ
- 構造を読めると、作文が変わる
① 感情を伝えるから、情報を伝えるへ
『未来につなぐ工芸品』には、職人たちの“思い”も確かに描かれているけれど、この文章の中心は感動ではなく構造。
どうすれば読者に「伝わるか」という、説明の設計を学ぶ教材。
児童は文章を読みながら、
主題(何を伝えたいか) → 具体例(どう説明しているか) → まとめ(なぜ大切か)
という流れを目で見て理解する練習。



つまり、この単元で求められているのは「感じ取る」ではなく「組み立てる」。作者の思いを心で追うのではなくて、思考の順序を読み解くことが大切になってるんだけど、まぁ、教える側によって、作品に対する職人たちの感情を扱うJK(状況読まない教員)も余裕でいると思う。
② 構造を読めると、作文が変わる
この単元のゴールは、決して「伝統品の理解」「リーフレットの作成」ではなくて、目的はその先にある、「構造を理解すること」。
段落のつながり方や説明の順序を意識できるようになると、自ずと自分の文章も整える力が身につく。
例えば
「まず主題を決めてから、例を挙げて、持論を呈して、自分の感想を書いて、最後にまとめる」。
この流れを読むことで、書くときにも自然に同じ思考の筋道をたどれるようになる。
感情の世界を一度離れて、今度は「思考でつながる文章」を組み立てる準備をする。それが『未来につなぐ工芸品』の真のねらいかと思う。
この単元が『友情のかべ新聞』への布石になる理由


- 構造読みがミステリー読解を支える
- 相互理解へとつながる“構造的人間理解”
① 構造読みがミステリー読解を支える
『友情のかべ新聞』では、出来事の表面ではなく、その裏にある意図や関係を読み取っていくので、子どもたちは、登場人物の行動の理由や、伏線の意味を考えながら、「なぜ仲が悪いのか?」「なぜ仲良くなれたのか?」を推理していく。
実はこの“推理読解”を支えているのが、前の単元『未来につなぐ工芸品』で培った構造読みの力と思う。伏線を回収するというのは、言い換えれば、
- 序盤:伝統工芸と自分の仕事についての説明
- 中盤:序盤の理由、経験談
- 終盤:中盤から得た自分の感想とまとめ
の構造整理が、今度は物語文の中で、出来事(お題)→原因と理由(なぜ?)→結果を読む思考法として生きてくる。
つまり、説明文で学んだ“構造”が、ミステリーでは“論理”に姿を変える。
② 相互理解へとつながる“構造的人間理解”
構造を読めるようになると、人と人との衝突も、単なる感情のぶつかり合いではなくて、「構造のズレ」として見られるようになる。
たとえば、意見がかみ合わないとき。「相手が悪い」ではなくて、
「なぜそこですれ違いが起きたのか」
「自分には〇〇に見えたけど、相手は〇〇と見えたのかもしれない」
と、関係そのものを構造的に読み解く目が育つ。


この視点が持てると、感情的な対立にも冷静に向き合えるようになる。「伝わらない理由」や「誤解の原因」を分析し、対話を再構築できる力へとつながる。
この“構造的人間理解”こそ、次の単元『友情のかべ新聞』で描かれる相互理解と自己拡張(=自分の見方を広げること)の足場になる。
つまり、『未来につなぐ工芸品』は、単なる工芸品の説明文ではなくて、人を理解するための準備運動。



工芸品の説明で終わってたら草。
AI時代に必要な“構造的読解力”


感情で反応する力も、もちろん大切で、けれど、それだけじゃ、情報があふれる時代を泳ぎ切ることはできないと思う。
「何を問われているのか?言われているのか?」
これを自分に問う力がないと、常に主導はAIになる。
つまり、読んだ内容を構造化し、再構築して考え直す力こそが、これからの時代の“現代的リテラシー”になる。
『未来につなぐ工芸品』は、その土台をつくる単元じゃないのかな。
感情を超えて、情報の流れ・順序・論理のつながりを意識して読むことで、子どもたちは、AIの時代にも流されない「自分で考える読解力」を育てることができると思う。
まとめ:構造を読める人は、世界を読み替えられる
「白いぼうし」で他者目線による見え方の違いを学び、
「ごんぎつね」で心を読み、伝えることの大切さを学び、
「未来につなぐ工芸品」で構造を読み、
「友情のかべ新聞」で構造を読み、関係を読み直し、自身の世界を広げる。
この4つの単元を通して、4年国語は“他者理解の構造”を子どもたちに教える教育になっていると思う。
それは、読む力を超えた“生きる力”の土台でしょ。



感情を超え、構造でつながる意味も知る。これこそが、本来の国語教育の姿だと、わたしは思うんだけどね。わたしはね。
読んだこと、感じたことを人に伝えるって、思ってるほど簡単じゃないんですよね。本当に難しい。そうすると、一番最後にある「スワンレイクのほとりで」は、総集編になってるの分かる気がするものね。
感じる、読む、書く、伝える。



自分の思考を言葉にする練習をしてきましたが、どうでしょう?何とも言えないこの物語で感想文書けるー?
言いたいこと分かるー?
主人公みたいに、自分の気持ち、理解できたー?
将来、何になりたい?
と最後の課題に全て投げられてる。
こう見て行くと、国語の授業ってめちゃくちゃ深い(語彙力)。



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