わたしがなぜ人の承認欲求に敏感に反応するか?

はい、また前回の記事が長くなったので、こちらに投稿です。そろそろ全力で疲れてきましたか~?素直な反応です。いいんじゃないでしょうか。

つづきまーす。

例えばこの間の参観日の保護者の発表で説明すると、

保護者

授業で発表しない子どもへどうやって促したらいいんですか?

先生

毎日の読み声などで、読むことに慣れることなどが大事です。
文章を正しく読む訓練をしていくといいかと思います。

本当に問題を解決しようとしているのかどうか?というのを見れば、その人の欲求が見れるじゃない。この保護者は存在確認だと思うのよ。あるとすればよ。なぜそう思うかって、先生の発言内容で分かるとは思えないもの。本当に解決したかったら、あの後問うはずよ。

その自分の持ってる承認欲求に気づかずに、視点の足りなさを追求して真実を突きに行く自分の図よ。滑稽でしょ。

それが真実でしょ?

って言いながら、自身の正当性を主張して、自分を認めて欲しい欲求があるじゃない。私は、ここに気づいたときが痛くて。

つまるところ、親と同じよ。

本当に目の前の問題を解決しようとする態度があれば、問題に着目して構造を問い、正すことができるのよ。課題の分離よ。けど、それが罵倒だとか相手の否定に入るときは、承認欲求が隠れてる。

おい、心理学の人、お前が一般より賢いと仮定して(一般からわたしは除外)書くけど、読めないと思ったときはスルーしてね。きついこと書いてる。

だけど、このレベルは、わたし以外は気づけない。

だから、この状況を咎められる者が唯一存在したとしたら、わたしだけだ。全員だまれ。

読めないときはスルーしてねって書いたけど、可能性として、心理学の人は、近いところ来てくれてる可能性がある。

それ以外はぜったいに無理な領域。これが全部分かるから、人を罵倒しないんだもの、わたしはね。

心理学の人は、近いところだから、落とし込みがどんなかしら?整合性を確かめないとちょっと分からない。

だから、優秀なものたち、翻弄されるな。自分に気づけという記事です。

目次

感情と課題の分離が大切な理由

1. 正しいことを言っている=免罪符じゃない

  • 保護者も先生も、口では『問題解決のため』と言っている。
  • けれど、その実態は 承認欲求(存在確認) の発露にすぎないケースがある。
  • 言葉の正当性で相手をねじ伏せても、目的が『自分の正しさを証明する』なら、それは問題解決ではない。

2. 罵倒や否定に傾くときは、たいてい承認欲求が隠れている

  • 課題の分離ができていれば、『何が起きているか』に集中できる。
  • でも『なんで分からないの!』に寄るときは、相手を変えさせることがゴールになっている=承認欲求が働いている。

3. 職員会議で本当に問うべきは『目的に沿っているか

  • 職員会議は、学校全体を機能させるための場という目的があるとしよう。
  • 注意する側も、『自分の正しさ』ではなく『場の目的に沿った注意』になっているかを問われる。
  • もし目的が『会議のレベル向上』だとしても、その先に学校全体の機能向上がないなら、本末転倒である。

4. 痛みを伴う気づき

  • 『自分が正しい』と信じて突きに行く姿は、実はかつて否定した“親”、そしてエプロンと折り紙と同じになる。
  • 自分の正当性に酔っているうちは、相手も自分も変わらない。
  • その承認欲求を捕まえられたときに初めて、『本当の問題解決』の土台に立てる。

これをできる人は、場の“本当の構造”を見て動かせる。

会議でどこを見るかって、みんな承認欲求が垣間見えるから脱線とか平気でするのよね。問題の質を問いながら、課題の分離をして、ゴールに導ける誘導者みたいなのがいないと、15分が平気で1時間になるんだって。

わたしからしたら、あの保護者の集まりの会よ、課題の分離のできなかった会議ね。全員が全員、承認欲求の塊軍団だったわよ。PTA会長ですらね。失笑して帰ったんだもん。見抜かれてるのも知らないで、ペラペラペラペラ。笑笑

けど、まぁ、厳しい道だよ。だから、ここに気づいていれば、自覚的であれば発言内容も変わるんじゃないかな。自覚的でないと、相手を罵倒して終わるわよ。

PTA会長

今日は、わざわざ来ていただいてありがとうございますー。

ひとりひとりにご挨拶されてたね。全体に一回で良くない?胡散臭さがすごくて。ここから何が見えるか?こういう文字が見えたのよ。

わたしがPTA会長です、あなたより上の。

まぁ、合ってたみたいだけど。実際上だしね、会長だから。

(来た来た…呼ばれたし、学年長だから来るよ)最後に、こんな暖かいお言葉、ありがとうございますー。心がとてもほっこり休まりましたー。それでは、失礼致しますー。

合わせてみた。こういうの、止めたらいいのかもねーわたしー。

見極めと排除、それが、次元上昇に不可欠な条件になる。

ここができないと、次の問いに行けない。まずは整えるところから始まるから。ここから、本当の選別が始まる。

やりたければ、の話だけど、ここまで来るとさ、承認欲求で生きることの方が楽とも思えるでしょ。

どの道、ここを克服しようとすると、自身まで問われることになるのよ。相手だけの変容なんて存在しないからね。

あぁ、わたしには、簡単よ。けど、その簡単さを、他者には求められないことが分かってるのも、このわたしよ。

二ーバーの祈りよね。

目的がどこにあるか分からないから、何とも言えない。職員会議=学校全体を機能させるための場と仮定した場合の話だから。けど、本来はそうでないといけないはずなのよね。

違う目的があったとしても、今は職員会議だという自覚があればいいと思うけど。

わたしの突き方は、えげつないのよ。

なぜ課題の分離なのか?

わたしがゲシュタルト崩壊後、なぜ課題の分離に自動的にたどり着いたかというと、感情だよ。

感情を構造から切り離さないと意味が潰れるという体感を先に得たから。

ゲシュタルト崩壊で自己絶対視が消える
→ 視点は複数存在する前提になる
→ つまり『正しいこと』でも感情が乗れば誤解されると理解する

感情の“乗り移り”を嫌悪する
→ 『あの言い方はなくない!?』という二次論争(20-80論争)を避けたい
→ 本題に届かないことが最大の無駄だと気づく

部下の罵倒でも何でも、感情って言葉に乗って相手に伝わるのよね。それを分離する必要があると思ったのよ。

だって、よくなる20-80論争の結果としてよ、

あの言い方はなくない!?

これよね。わたしが、大っ嫌いなやつ。

こうやってこのブログで書くとさ、さも、こういう言い方をする人の方が悪く思えたりもするじゃない。だから、次なる注意としては、

20-80論争するの止めてもらえます?自分の課題を棚に上げて。

こうなるんだよね。

言ってることは正論だし、わたしがその場にいるのなら、この発言をしている側につくものね。レベルが高い判定だから。

だけど、そうじゃなくて、20ー80論争が起こると思うのならば、先手打って消さないといけないじゃない。争いを。

わたしだって思うもの。

あの言い方!?

けど、わたしは知識があるから言わないのよ。愚痴すら。言われてる内容にだけ着目するという賢い選択ができるわけ。けど、わたし以外できないでしょ。

だから言い方には気を付けないと、伝えたいことにいくら『正当性』があっても、何も意味がなくなると思ったからよ。そして、自分の投影にも気づいたしね。ゲシュタルトよ。

ここから心理学に入っていったの。

この、『怒りの正体は?』こういう疑問よね。投影=自分=親だと気が付いたところで、何に怒って、何に悲しいのか、それが分からないと相手にぶつけちゃうじゃない。

賢いでしょ、わたし。自画自賛よ。

これが自責思考よ。罵倒するのは簡単だから。相手の成長を願うのなら、罵倒という形で返しても何も意味がないことに気づいた方がいいわよね。

本当に成長を願うのなら、怒り、罵倒しないでしょ。法則がおかしいのよ。

本当の怒りというのは、わたしのような怒りのことを言うんじゃないかしら。許せないわよ、指導案も見ないだとか、エプロンや折り紙の話題を職員会議で堂々と挙げるその根拠を辿るとね。

ここで、伝えて意味があるかどうかの判断ができる。

課題の分離の先に見えるもの

課題の分離をして相手に伝えるというのが普通になってきたころ、あることに気が付くのよ。

  • 先手で感情と論点を切り分ける=課題の分離
  • 課題の分離をしても、相手が“攻撃”と受け取る現象に遭遇
  • 課題の分離は自己防衛にもなる
  • しかし、それでも『響かない層』は確実に存在する

① 先手で感情と論点を切り分ける=課題の分離

『言ってる内容』と『感情的な出力』を分ける癖がつくと、内容だけで勝負できることにも気づいたのよ。

圧倒的勝利しか存在しない世界。

元々原理原則は知ってたから、そこに課題の分離を充てこして相手に意見を投げたら、争いになりにくいのよ。けど、ここでもう一つの気づきが出たのよ。

② 課題の分離をしても、相手が“攻撃”と受け取る現象に遭遇

課題の分離をして伝えても、腹を立てるものがいるってことよ。

おかしいでしょ。

それは、相手が向き合うべき課題なのに、攻撃と受け取ってこちらに投げてくるものが現れる。それか言っても響かない者もそうよね。

ここも心理学を適用したのよ。

これは相手の承認欲求・自己軽視・防衛反応の問題でしょ。

これを、どう片づけていったかというと、わたしの中で『次元が低い』判定だとかになっていった。そうじゃない、葛藤を抱えた存在であるという理解をすることもあるよ。その精査ももちろんする。

③ 課題の分離は自己防衛にもなる

最初は、自分にも未処理の感情があるから難しいのよ。だけど、その感情をひとつひとつ整理していく作業をしていたら、課題の分離は普通になっていった。

感情に巻き込まれないから、攻撃の的にもなりにくいしね。結果オーライよ。反感も買わない。

④ それでも『響かない層』は確実に存在する

次元が低いってさっき伝えたけど、要するに、そこは構造的に『受け取る準備がない人』とも言えるのよ。

対処は選別(関わらない)しかないの。

存在しない器に水入れたところで、全部下に落ちるでしょ。あれと同じよ。だから、相手のレベル判定は厳密にしてる。

課題の分離の難点

ひとつだけ、難点があるとすれば、無機質に見えるということだと思う。

決して、そうじゃないでしょ。

だって、相手の課題を感情を乗せずに的確に伝えるこの作業のどこが無機質なの?

  • なぜ『無機質に見える』のか?
  • 感情を守っている作業

① なぜ『無機質に見える』のか?

感情が同期しないからよね。

普通の人は、怒りや悲しみとか感情と同時に言葉を出すじゃない。課題の分離では、感情を処理してから言葉にするから、これを見慣れていない人は、

冷たい、感情がない…..

と錯覚するのよ。

あと、感情の揺らぎって言うのかな、それを意図的に抑えるから。感情を感じ取って共に共感したい層には、共鳴の手がかりがないから、距離感として映るのかもしれない。

ここが難しいところでね。

感情を省いて課題だけの話になると、共感だけ欲しい層には何も伝わらないわよね。まぁ、

そんな共感したいんだったら、他の誰かを探してくれる?解決する気がないなら、あっちへ行って。

っていうのが私だからいいんだけどさ。

愚痴という名の共感が面倒なのよ。エプロンと同じよね、わたしも心では、

出てけよ。

こう思うもの。

優しさの形も認識されづらいから、多くの人は『感情的な熱量=優しさ』と思い込んでいるんじゃない?けど、課題の分離は、相手の自立や成長を守る行為だから。この長期的優しさは、短期的感情に慣れた人には見えないでしょ。

そうすると孤立、孤独が待ってるのよ。

だけど、とても大事なことよ、課題の分離は。

② 感情を守っている作業

課題の分離は、感情を消しているわけじゃなく感情を守っているのよね。

むしろ、相手を軽んじないからこそ『感情に流されないで課題だけを差し出す』という高コストな作業よ。

これ、理解できる人には『冷静さの中の最大限の敬意』に見てくれると思うんだけど、でも理解できない人には『無機質』、『ロボット』に見えるんだと思うわ。

見える人には炎、見えない人には氷。

それくらいの差があるものになる。

外部依存と内部の敵探しが起こる構造

人からの罵倒を受け続けると、自分がそうなってしまったように、他者への攻撃に変わるのよ。

これが投影であり、連鎖よ。

わたしからすると、罵倒の内容にいくら正当性があったとしても、なぜ怒りが湧くのか?ここの構造を見るから、その怒ってる人が何に対して怒っているのか脳内ノートにまとめ出すのよ。

そして、最後朗読になるっていう図よね。

あなたがなぜそんなに怒っているかというと….

人によって出方は違うけど、内的になる人、外に向かう人、種類が多岐に分かれるからね。

まず第一に、先生たちがなぜ外部依存になってしまったか?という構造から見ないといけない。問われると、自分のレベルの低さの露呈になると思っていれば、問わなくもなるよね。そして外敵を見つけて自分の課題としてしまう図だろ。そして謎の承認欲求を満たそうとする図だな。

一生懸命やりました!
(わたしを認めてください!)

問題解決ではなく存在確認の儀式だな。

はっ。

けど、本人は無意識だから、一生懸命やってると思ってるんだよ。だけど、こっちからしたら、

それのどこが一生懸命だよ!!!!!

いや、一生懸命なんだよ。無意識なりのな。わたしが一番関わりたくない層だ。けど、そこに気づかないといけない。ここもめちゃくちゃ分岐が多いわ……わたしを認めてください層は、外部依存にしかならないという法則もある。

もっと考えるとロクでもない分岐ばかりだ。閉じることにする。真実は闇だ。ひとつだけ言えるとすれば、仕事ができる人が、存在承認の儀式をした場合は通用してしまうんだよな。それ以外は通用しないんだよ。だから罵倒されるな。同じことをしているのに、なんで自分は?できてないんだよ。

まぁ、やってると仮定しようよ、それで罵倒されてみてよ、本人は自己否定になる。無意識だから、そうとしかならない、そっからの自己憐憫はえげつない。要するに自己否定だ。ここから投影に結び付く。容易に想像がつく世界。わたしはここまで読む、普通に。

いかに、その自己憐憫に巻き込まれないように生きるか、だから、わたしは子どもに自学習の強化をさせている。だって来年、業受けたくないもの。他と差がつく。絡まった毛糸の中には入りたくもない。

人の教育って難しいよね。仕事ができる側もできない側も、ただの存在確認だろ。

人それぞれだけど、人の中には、外部に敵を作ってしまって皆でそれを共有したいという、しょうもない輩も存在するじゃない。わたしも女子だけど、女子に多いかもね。そういう者の心理構造としては、自己の内面に向き合わないから、自己防衛が見えるわよね。

こういう部類の人は、外部の敵がいなくなったら、次の外敵を探す。そして注意が飛ぶと、内部に敵を探し出すのよ。

自分が攻撃できそうな存在探しよね。

ここで見えてくる構造がある。

  • 外部の敵を本当にどうにかしたいと思っていた人
  • 元々外部の敵を突くのが好きだった人

の2種類が出る。簡単そうで、ここがもつれ出すと樹海になる。難しい構造よ。

  • なぜ難しいか?
  • 本当に外敵をどうにかしたい人は少数派
  • 本当に難しいポイント
  • 心理構造

① なぜ難しいか?

人は『敵の不在』に耐えられないタイプが一定数いる。

外部依存型は、外敵が消えた瞬間、心の空白に耐えられない。自分を見つめる痛みに耐えるより、新しい攻撃対象を探す方が楽だからね。

スケープゴート。

これは一種の中毒で、構造を自覚できない限り延々繰り返すよ。

悩んでいるふりして、全然悩んでないのよね。けど、本人は立派な悩みだと思ってるケースもある。

② 本当に外敵をどうにかしたい人は少数派

本質志向の人は、敵が消えたらミッション完了で冷却するのよ。だけど周囲は、まだ燃えている、外部依存に引っ張られて、巻き込まれる危険がめちゃくちゃ高い。

わたしで言う、愚か層よ。

結果、派閥・分裂に発展しやすくもある。

感情の伝染速度が構造理解の速度を上回るんだけど、構造理解が存在しないこともあるから。

『なんとなく不快』が先に広がって、このタイムラグで正当性を主張してる側が悪者ポジに置かれることもある。

そうならないように、この記事を書いている。つまるところ、お前のための記事だよ。一般から見て(わたしは除外)有能なのに、何をしている?これで二度目だよ。わかるだろ、投影に気づけよ。みんないい?自覚的でないと、人はこうやって繰り返す。覚えておくといい。
ずっと、変えられない者に変われ!変われ!っていうのが投影ね。

けど、そこにいると、楽なのよ。到達点が同じになるだろう。変わりたいけど、変われない自分。まぁ、そこが受け取る準備があるかどうか?の分岐点になる。自分に問わないといけない個所だ。なければ、続ける、そこに居続ける選択をせざるを得ない。そこには覚悟もいるのよ。どういう覚悟か?

人を罵倒せずに、自己に向き合い、律する覚悟。

もしくは、

課題の分離も必須になる。わたしからしたら容易だけど、お前からしたら地獄だと思う。

この辺りの生きづらさは、わかるよ。

これがさ、同じパターンだけじゃないのよな。罵倒する内容、人、状況がくるくる変わるでしょ。だから、気づきにくいのよ。1回目『誰と話をしているんだ?』、今回『何をしているんだ?』。この繰り返しが、分かりにくいのよ、課題かどうかの区別ね。わたしが一番悩んだところだ。目の前に出されたものが、前と同じかそうでないかの区別だ。難易度高いのよ。毒キノコか、キノコかの区別を強いられる。内容が違うようで同じ、要するに今回も毒キノコだよ。自覚的でないと、持ってかれるから、宇宙に使われる運命だ。毒キノコを永遠に追っかける図。

以前、『天国おじい』の書籍で、『わたしを使ってください。』があったと思うけど、あれはいっちばん初めの祈りだろうね。わたしはもう、そこにはいない。使われてたまるか、使うんだよ、こちらがね。法則があるのなら、使って成長した方がいいだろう。だから課題くらいは選ぶよ。

初期段階『天国おじい』の祈りは、経験と学びを受け入れるフェーズだ。そこに到達する覚悟が、人生を生きるってことじゃないかな。気づかないものは、いくつになっても同じことしてるよ。

けどね、ここすらも引き受けることが出来ない者が、人を責めるだとか、いい加減にしろっていうのがわたしだ。

厳しいんだよ、本当はね、けど、求めないよ。

けど、この知識は全員覚えておくといいよ。

わたしからすると、全員がぬるま湯なんだよ。

ぬるすぎて、寒いよ。

あぁ、子どもはいいよ。けど、知識の教授をしてるから、知っとくと便利だよ。わたしくらいになると、人の課題まで見えだすよ。大体、親が絡んでる。まずは、自分が問われている内容を把握するところから始まるから。

先に言えよって?こーんなこと暴露してたら、変人でしょ。誰が聞くんだよ。けど、これ知らないでよくウロチョロできるよねとも思える案件ではあるよ。けど、言えないのよ。だから、哲学とかから入って行った。で、ソロリソロリと3次元、5次元語っていってたら、心理学知ってる人が来たから、あぁ、それねって感じで書いたけどさ。
ここまで来たら、もういいでしょ。わたしは宇宙人こと、変人よ。憎まれないようなパンダつかってたけど、もうどうでもいいわ。

親はさ、ここのフェーズに立てるまで、立てるように、おもいっきり甘えさせて、自立させたらいいんだと思ってるのよ。それができないと、課題が数倍になる。それが、甘えさせ方すら間違えて、自分が甘えるもんな。愚か者代表が。で、結局植えた自分の劣等感と向き合わざるを得なくなる。子どもを通してな。そしてそこから揉める図だろう。

あなたが悪い!いいやお前が悪い!お母さんが悪いんでしょう!わたし(自分)じゃない!

全員、お前だ。

この滑稽なことよ。笑

ここに疲れてくると、外敵を創り出し一緒に愚痴りながら同盟を保つ。まぁ、父親だったり、ご近所さんだったり、同級生の何かだったり、色々じゃない?笑 その小さい家庭の規模で行われている状態が、社会に出たデフォになるんだよ。笑

気づいたら絶対にしたくないもんね。

それに沿えない者が、戦場に出るんだよね。その回答がこの記事だからねー。戦場に出るのはいいけど、投影に気づかないと、戦場に出れない。戦う覚悟がないってことだよ。向き合うフェーズに立つかどうかだな。一番下に付け足したけど、自覚的に立ち止まるのは、悪いことじゃないからね。受け取る準備という段階があるから、そこは感情に向き合って整理しとかないといけないんだって。ここまで正解を言われると、向き合わざるを得ないだろう。いい機会だ。向き合うといいよ。

もっと厳しいことを言えばね、怒鳴ることも甘えだよね。それをする親もいるだろう。甘えてるよね。怒鳴り=甘えだと仮定すれば、見えるパラダイムが増えるだろ。

わたしの厳しさを言おうか?怒鳴って、他人に甘えるその所為は?こうなる。そしてわたしは、こんなレベルに甘えたくない、こうなるのよね。満たされない感情的に怒鳴るって、甘えでしかないじゃない?
こういう見方をしたら、ゾっとするでしょ。そう、ゾっとするのよ。自分に見えた怒鳴りたい個所は、自分にもあるところだから。そこに怒鳴るということは、同等レベルのモノは所有してるんだよ。
そう、そしてそれは、かつて自分自身が満たされなかった感情、つまりは甘えが怒りとなって外にでたものだ。

怒りの裏側には悲しみがあると書いたことがあるが、これのことだよ。

だから、わたしは、伸びる、伸びない、選別するんだけどね。だって、怒鳴り損になりたくないもの。わたしが怒鳴るときは、投影じゃないのよ。自分のためじゃなくて、相手のためにしか怒鳴らないよ。もっと掘るなら、ほとんど、怒鳴ることは無かった。怒鳴る前に、相手を見て諦めていた人生だ。

それを見ると、心理学の人は、お題が分かりやすい。ということは….ってところになるよ。到達まであと少しってことだよ。そして、これ(攻略)がムズいのな。でもこれは朗報になる。人生ベースで言えば、理想ってところじゃない?クリアすればね。笑 ここが一応岐路にもなるだろうなぁ。こうやって見てくんだよ。繰り返されているところは、投影であり、自分の課題だ。

ここに、みーーーんな、気が付かないまんまなんだよ。すごいだろ?考えてもみなよ、繰り返す人生をなぁ。なぜ気づかないか?わたしくらいに、知識が無いからだ。知ったふりだろ。心理学通らないと無理筋なんだよ。そっから、構造読みが必須になる。

5次元は、ここはデフォよ。わたしが怒鳴り散らしてみてよ、地獄でしょ。それをよく理解してるのよ。怒鳴っていいなら、怒鳴ろうか?次の日生きてるかなぁ。笑
課題の分離できなかったら、竹刀でぶん殴るけど、大丈夫?こうなるよ。それとも本刀出しましょうか?

このまま、会議でようか?全員なぎ倒し系だけど。
切れない人、多分いないのよ。全員切れるのよ。ざっくざく。職員室、朝から血の海だよ。エプロンと折り紙なんて一瞬だって。エプロン注意したんでしょ?その後、わたしが、注意した人を一瞬だって。原理原則分かってない人、ぶった切りよ。この世界。まぁ、悪くはないかもね。人、いなくなるけど。

↑絵の意味も分からないだろうな。その後、するかどうか選ぶよ

無理でしょ、一生懸命がんばってたら、嫌でしょ、それがわかるから、しないのよ。その人が何に向かって頑張っているかの選別は、本物にしかできないわよ。

けど、中には、心理学を通らずとも、慢心せずに、自己に向き合い続けて生きる方もいる。ここは少数派だな。

ごめんね、いっぺんに書けなくて。思い出し、思い出しなんだよ。

前言ったはずだよ、3次元と5次元ではお湯の温度が違うって。3次元のお湯はぬるいから、出るとまた入りたくなるってね。外にでると、寒いだろ。

③ 本当に難しいポイント

外部の敵がいなくなり、新しい敵を創造しようとする人が注意されるでしょ。

そうすると、次にどんなことが起こるか?内部に敵を創り出すことがある。

上で派閥が起きて分裂になるケースを説明したけれど、正当性を主張してる側が悪ポジに置かれるやつね。そうならないケースもある。もっと掘ると、注意できる人には力がある、注意できるのだから。

ということは、その人が嫌っている別の内部の人間への攻撃が始まるという構造も存在している。

それが組織だ。難しいよね。

外形だけ見ると『まだやる気がある人』に見えるのよ。実際は問題を解決しているのではなくて、『敵を必要とする自分』を維持しているだけ。

ここまで来ちゃうとさ、あながち、投影とか、外部か内部か?の違いだけで、していることが同じになるのよ。けど、内部をなんとかしたいと思ってる人の方が正当性があるじゃない。正しく言うと、あるように見えるじゃない、かな。

見えているものだけ追うってこういうことでね。裏をひっくり返してみると、同じなのよ。この現実が一番つらいわよね。わたしには、そう見えるわよ?

④ 心理構造

心理構造で言えばこういうこと↓

  • 正当性ベースの攻撃(内部改善志向)
  • 依存ベースの攻撃(敵探し依存)

この2つは、『攻撃の形』だけ見れば区別がつかない。だから、評価する側が構造理解を持っていないと、後者が前者のふりをして組織内で力を持つ危険もある。

だから、依存ベースなのに、正当性ベースぶるってことだよ。正当性ベースは、自分に加担してくれるから、それに気づきにくいだろ。敏腕じゃない限り、樹海になっていく。

依存ベースの攻撃者がいると、組織は機能しないよ。

ここのロジックに気づかないと、絡まった毛糸みたいになるのよね。だから、わたし以外は無理だって言ってる。心理学の人がどうか?それくらいかな。本人に自覚があるかどうかの選別も必要になるからね。それも、容易だって。わたしからしたら。発言で一瞬だから。

後者が前者のふりしてるのに、誰かきづけたの?その結果が、今よ。依存ベースの攻撃者なんて論外

けど、普通のことよ。

だから、わたしレベルから言わせると、

誰にも、誰を罵倒する権利などない!!

こうなるよ。

いたら、わたしが罵倒してやる。

絶対に、気づかないのよ。今までに気づいた人なんて、見たことないもの。怒鳴る権利があるの、わたしだけだって。なぜ言い切れるのか?これは心理学と合わせた人読みの経験値から来るものだから。わたしみたいな人にしか、無理なのよ。

だから、教えることができるのよ。

↓こうやってね。

もしこれを防ぎたいなら、敵がいなくなった後の行動パターンを観察するのが有効ではある。

そこで次の3つに分かれるはず。

  1. 静かになって別の課題にシフトする(本物の改善志向)
  2. 敵のいない状態を不安がり、新しいターゲットを探す(依存型)
  3. 表面は静かでも水面下で敵探しを継続(隠れ依存型)

この分類を分かっておいて、会議の質を上げてたら、黙りそうだけどね。レベルの低い者たちが。

難しいのは外部依存型で、無意識層だからちょっと厳しいのよ。導きなんて、不毛な努力、わたしはしたくないもの。関わらない一手を選ぶでしょうね。わたしなら。

このロジックの存在を知っていないと、自分がやられるから。これがわたしだ。そしてこれが、関わらずに影響力を持つという選択をしていることに繋がるのよ。意味がわかるかな。つまるところ、自分に影響する職員会議だけの質を守り、後は放置。こういうことだよね。あぁ、また言い忘れてた。これ風の時代の生き方でもハイレベルに該当すると思うよ。

欲望を持っていて、それに無意識だと宇宙に使われるのよ。使われてたまるかと思わない?それが業になる。冗談じゃない。

宇宙

あ、気づいちゃった?

わたしだからねぇ。早々に気づいたって。
ナメないでね。これはすごく重要よ。その役割の精査をしなくちゃ。受けるべきか否か。わたしじゃない、そう思ったら関わらないよ。もちろん、超ハイレベルな生き方よ。

なぜ教えるか?

圧倒的に、内部改善型を守りたいもの。そっちの意識改革の方が先よ。つまるところ、優秀者よね。

スケープゴートは分かるけど、もっと見ないといけないと思う。

まとめ

このレベルは、わたし以外は気づけない。と思う。

なぜか?

  • 知識だけでは、リアルなPTAや職員会議の人間模様は再現できない。
  • 現場経験だけの人は、感情や人物批評に流されて構造分析まで辿り着けない。
  • わたしは知識と経験の両方を持っていて、さらに構造を言語化できるスキルがある。
  • 多くの人は他人の承認欲求には敏感でも、自分の承認欲求には鈍感。
  • わたしは、自分もかつて親と同じパターンをなぞっていたことを認めたうえで、その構造を説明できる。
  • 自分ごととして解析できる視点が、他者分析の精度を爆上げ中。
  • 表層:発言や態度のパターン(会議での発言・行動)、深層:その人の心理構造(承認欲求/自己軽視/防衛反応)ほとんどの人はどちらかしか見れない。両方を同時に観測して整理できる。

心理学の人は、近いところ来てくれてる可能性もある。

だから、優秀なものたち、翻弄されるな。自分に気づけ。

そう言っている。

なぜか?そこに合わせて、あなた方の将来に泥を塗る必要ないでしょう?どこを見ているの?もっともっと、上に行ける。下を見るな。

そう言っている。

だから、劣悪な者に加担して、ワケの分からない処分を受けたりするとさ、処分があるか知らないよ。わたしはその劣悪な者の存在を許せないのよ。

何してくれてんだ!!!お前らが去れよ!!!

って本当に叫びたくなるんだって。

わたしが見込んだ存在たちが、お前らのせいで!!!!

ここに来るよ。想像しただけで、怒りが湧く。だから、気づいてね~。

と思うけどさぁ、やっぱ難しいの~?

だけど、この構造は難しいわよ。あの外敵はかく乱要因でしかないわね。それの有無は一切関係ないわよ。わたし以外の人は、全員がその見えてる外敵に向かうでしょうね。

全然関係ないのに。

全部、自分が分かってないと、できない作業なんだよ。

あぁ、それと立場の説明が漏れていた。もちろん、ここは問われるよ。自身が介入すべき位置にいるかどうか?ここの采配は一番最初にしないといけない。そっからの話だからね。そこを間違うと業は必然だよ。問題や課題をスルーするときには、理由を明確にし、結果を請け負うところまで見えてないといけない。これは朝のトイレくらい当然なものだ。

わたしが、どれだけ、関わるなと言っても関わりに行く者がいる、区別しろと伝えても、区別しない者が出る。全部自分の投影だということに気づいたらどうだ。

宇宙に使われているという事実に気づいたらどうだ。宇宙は、人の欲望を巧みに使い、業の必要な人間を配置する。そして、それに業を入れるのが、同じ要素を持っている人なんだよね。だから、自分を克服した方が、業が入らなくて済む構造だ。これが宇宙の仕組みだろうと思うよ。家族だとか、関係ない。魂の問題。

心理学で言う、投影だよ。それに翻弄されないための知識も心理学にはたくさんあるよね。

子どもは、投影なんて知らないから。だから守りたかった。

だから言っていたと思うよ。助けると決めたら、覚悟が必要だとね。自己に集中した方がいいというのは、このことだ。だって、人の業に付き合う人生って何?と思ったから。わたしはね。けど、人それぞれ、思いや感情、環境が違うでしょ。だから、何も言えないだけの話よ。

けど、どの道『業』なのよね。人に業を入れるということは、自分にも業が入る。①自分で解消して前に進むか、②目の前の他者と自分で『業』の入れあいをするか。①は次元上昇できるけど、②は次元落下になるから。一度落ちる選択になるだろ。だから前者(自分で解消して進む)を選べる者は、他人の問題に巻き込まれずに成長曲線を保てる。でも後者(業の入れ合い)になると、お互いの課題が絡みついて、進化どころか消耗のスパイラルに入る。

要するに、『助ける=覚悟が要る』のは、相手の『業のフィールド』に足を踏み入れることになるから。それを理解してるから、自己集中を勧めてた。

けどさ、ここまで来て感情よ。わたしも全部のことをあらかた理解はしているけれど、感情だけはどうにもできないことがあるじゃない。誰に何を言われようとも、感情に従って動くこともあるよ。じゃないと、その感情から悪い波及(二次被害)が生じるから。経過思考型よ。だけど、他人を悪く利用することはしないわよ。当然ね。すべてを理解した上で『その場にいたいから、いる』という選択をすることはあるよ。これがわたしの覚悟よ。

これを知っているから、

あなたがそうしたいなら、そうしたらいいと思うし、そうした方がいいよ。

って言えるのよ。最大限の敬意よ。けど、それすら冷たさと取られることもあるわよ。

え?決めたのあなたなのに?何が冷たいの?え、どうしたの!?

意味わかんない。わたしからするとね、覚悟のない者が、人に冷たいとか言ってんじゃないよってなるのよ。分岐が凄いの分かるだろ?

業が入るときは無意識・自他の境界線喪失の自覚ナシ・反応的行動自覚ナシの3条件がそろうときだよ。わたしの場合、その3つを意識的に避けているから、成長曲線が上向きにしかならないんだって。短期的には『冷たい』『無関心』に見られやすいけど、長期的には最もエネルギー効率がいいし、ダメージを負わない方法だと思うよ。

アンテナの精度が高いとさ、きっと人よりも気づくのが早いし、鮮明に見えるんだよね。わたしがそうだったから。これに気づいたのは中学生の頃だ。何で他の人が気づかないのか分からない、ここからの読解だよ。どうも人より大分早く察してるらしい…この程度だ。ワケがわからない。伝える選択をするんだけど、防げないのよね。何度も何度も繰り返した。まぁ、投影なんだろうけどね。複雑だよね。いろいろなものが絡まる毛糸だ。

気づくわたしと、助けたいわたしの毛糸だな。ぐちゃぐちゃに絡まってた。

ゲシュ崩壊後、自覚的に役割を担わない選択をすると、他の人が担うことになる。けど、担うまでも長いのよ。ここに気づきだしたのが遅くて、社会人になってからだ。けど、ロジック解体の仕方、分かんないって。分岐が多くて時間がかかるし、忍耐は必要だし。

中高生の頃~『見えるけど防げない』という孤独感が強くなるし、社会人になってからやっと『タイミングと構造』の地図が揃ってきた。予知と仕掛けの距離感の独学だ。教えてくれる人、誰もいなかったからね。

早すぎると反発されるし、遅すぎるとこっちに業が入るから、自覚的でないといけない。相手の承認欲求、防衛反応、組織の力学を見て『今ここなら動ける』を判断する能力だよ。ここが難しいのよ。だから、動けるときに動いているだけ。ここを読み違えると、いくら正しくても潰されるかスルーされるから。学校や会社ではこの空白期間が長いケースもあって、耐える忍耐力も必要になるよね。

あと、一生懸命がんばってる人の力にはなりたいじゃない。わたしで良ければ、そういう意識も自覚的にあるよ。

だからわたしは、宇宙に伝えてる。

あぁ、そういう類、あたし関わりたくないから、全部、違う人にしてくれる?関わる案件の精査、縁起読みは、自分でできるから大丈夫。

宇宙

あぁ、いいよ。
じゃ、コレお願い。

ねぇ、規模の大きさ、考えたことある?

宇宙

ない。けど、できるから。

………….。

あやつり人形だとしても、配役は選びたいじゃない。投影を解消しないと、要望は聞いてもらえないのよ。どういうことかというと、投影解消しないで次へ進んでも、逃がしてもらえないの。

あれ想像したらいいよ。小さいビー玉は気が付きにくいけど、大きな鉄球なら気づきやすくなるでしょ。わたしなら、ビー玉掴むよ。鉄球にはしたくない。

ここまでを自覚的であればいいわけよ。わたしは、全部自覚的よ。自覚的かどうかの判断は、投影の存在に気づいているかどうか、じゃないのかな。

あぁ、独学だよ。けど、整合性取れるでしょ?異論があれば逆に聞きたいくらいよ。

だから宇宙は、ハイレベル問題しか私に投げない仕組みになっていると思う。仕方が無いから請け負っている。まともな学びだろうからなぁ。

宇宙

あ、自覚的だったの?

大分、自覚的だよ。どえらい問題投げてきやがって。
ふざけんな。

ハイレベル問題というか、浅く理解しなく、構造読みをするから、自ずとハイレベルになるんだよ、解決の仕方がね。根絶やしになるってこと。

あと、色々な諸問題の関わり方って、本人が好きで、そうしたくてしているじゃない。潜在意識の元よ。だから、止める術もないな、とも思う。それが相手への敬意にもなるから。だけど、知っている知識があったから、教授したというだけの話よ。じゃないと、わたしみたいに繰り返すだけだよ。使われているという自覚があればいいけれど、それには、そっから波及する諸問題への対処、つまり敏腕さが必要になる。じゃないと、流されるんだよ。

わたしは、敏腕だから大丈夫だけどね。つまるところ、流されない選択ができる。自画自賛よ。

できれば、優秀者には脱却して欲しいという個人的な願いはあるな。

そして、罵倒という中身には、他者は存在しないよ。相手のことを思って伝えているのなら、批判はほぼ、出ないんじゃないの?文句言ってる輩の方が排除されるからね。その環境こそ健全だよ。それが引率だ。文句言ってる輩の方に仲間が付くような環境は不健全だと、わたしは思うけどね。文句っていうのは、内省もせずに外部へ愚痴ってる連中のことだよ。そっちに仲間が付くようじゃぁ、その組織は機能してないよ。わたしで言うなら『ゼロ機関』だね。

もっと言うと、ゼロ機関同盟で作られた同盟ほど、脆く危ういものはないね。1年前の夏、それが証明されただろう。それが世の中だ。

自覚的でないといけないのよ。ゼロ機関だという、自覚だ。以前バレーボールの説明をしたはずだよ。ある意味団結力が増すから、利用する手はあるけれど、そこに呑まれたらこっちが呑まれる。ここの分岐もパターンが色々あるな。敵が権力者だと、ゼロ機関は地獄と化す。パワーバランスだな。そっからの分岐もあってさ、だから、権力(道具)というものは、自覚的でないといけないんだよね。所有されたら、そこまでだ。

わたしが見てきた組織はそうだよ。

ずっと、観察していた。

  • その人の器
  • 立場と実際の貢献度
  • 報酬(受け取る額)との整合性、受け取った後のその後
  • それを可能にしている組織の構造
  • ギバー・テイカー・マッチャーのどれか
  • 子どもの性格の作られ方※本じゃない、実践バージョン
  • 子どもの性格の固定化がいつ起こるか
  • 子どもの学習差の付き方、分岐の起こり方
  • トンビが鷹を生む、そこから構造の破綻がいつ起こるか
  • 波長の作られ方、維持の仕方

社員、部下、上役、社長、会長、その組織の規模、親子の性格、影響の出方、その祖父母、そこで起こりうる思考回路、色々なものをね。どういう訳か、そっちに興味があったから。

けど、それでも臨戦態勢取ってるワケじゃないから。わたしは、賢いもの。割と、知り尽くしてる方だとは思う。けど、まだまだ未知なこともあると思うから。慢心だけは避けとくよ。
こんくらいしないと、自分守れなかったのかもしれない。誰よりも賢くなるしかないじゃない。怖かったのよね、すごく。怖かった。

最初から、ここを言っても仕方がないと思ったから、ここまでゲシュ崩壊まで説明したけれど、これが多分ほぼ人生の回答書よ。

知っていた方が得よ。ここを模索するよりもいいと思うのよ。知ったうえで、どうするか決めればいいこと。

停滞も悪くはないわよ。自覚的に停滞を宣言するのか、無自覚で宣言するのとでは雲泥の差だから。分かって『停滞』を選ぶのなら、それなりに最良の道が用意されるでしょ。無自覚であれば荒波になる。

  • 自覚的な停滞 → あえて今は動かず、体力を温存し、次のタイミングを待つ
  • 無自覚な停滞 → 流され、気づかないまま消耗していく

これ、同じ『止まっている』でも、未来の形が全く変わるから。

だから、これは『行動しろ』と煽る話じゃなくて、自分の立ち位置と選択を自分の言葉で宣言できるかどうかが肝になるという記事よ。

正直、このロジックを人生の早い段階で理解できる人は、ゲームで言えば序盤で最強装備を手に入れたようなものよ。だから、知っていた方が断然お得。だから、それぞれゾンビにならないように、がんばって。

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