小学校1年生算数「6こを同じ数ずつ分けます」子どもを迷わせる理由

今回は算数。

1年生の教科書は捨てて手元にないので、教科書ワークを見て記事にまとめています。

教科書ワークで「問い」がおかしいんじゃない?と感じたから、教科書でもおかしくなってるんじゃない?という疑問。

教科書では、P115「おなじかずずつ」の単元。

基本1で「分け方が分かりますか。」とある。ここがどうなんだ。

教科書ワーク小学校1年生

プリン6こを同じ数ずつ分けます。
①2人では1人になんこずつですか。
②3人では1人になこずつですか。

パニックじゃない?

教科書がそうなっているなら、仕方がないとして、まぁ、教える側がしっかりしておかないと子どもはまた迷子になるんだろうなと思う。とは言え、何らかのテストでは出るだろう。だから、基礎知識をしっかりと植え付けて順序を追って教えないと、何のこっちゃわからないまま、2年生で掛け算を暗記することになる。

この単元自体必要?とも思ってしまうのは、教え方の構造がしっかりしていないからじゃないのかな。

個人的見解だけど、一応メモ程度に残しておくことにします。

目次

1年の最後辺りに出てくる“あの単元”への違和感

教科書ワーク小学校1年生

プリン6こを同じ数ずつ分けます。
①2人では1人になんこずつですか。
②3人では1人になこずずですか。

これの問いの出し方、掛け算と割り算の知識があってこそ、成り立つ問題じゃないのかなという疑問。この問いの出し方を小学1年生の単元でする意味は?

掛け算を2年生で学習する前倒しと想定したとしても、割り算要素が入っている問いの出し方だから、おかしいと感じるんですよね。時期早々すぎる。

  • 一見やさしく見えるが、実は構文レベルで破綻しているんじゃない?
  • 「分ける」は抽象度が高すぎない?
  • ねらいを明確に書くなら

① 一見やさしく見えるが、実は構文レベルで破綻しているんじゃない?

6こをおなじかずずつわけます。3人では1人なんこずつですか。

  • 3人が後出しになってる
  • 3人では、の「では」が分かりにくい

足し算と引き算がようやく分かりだして、文章問題も慣れてきたかな?という段階で、コレ。どうなんだろう。

② 「分ける」は抽象度が高すぎない?

「分ける」と言われても、子どもは何のことだかさっぱり分からないのではないのかな。

  • プリンを3人で分ける(=みんなにあげる)
  • 6個を2個ずつ分ける(=グループにする)
  • 色を分ける(=種類ごとに分ける)

どれも「わける」だけど、やっていることはぜんぜん違う。大人は容易だけどね。

だから、「6こを同じ数ずつわけましょう」と言われた瞬間に、一瞬脳がバグりそう。

「分ける」のね…?

①2人では1人に何個ずつですか。

問いが繋がっていることを想定することがやっとかっとの状態で、「2人では1人に何個ずつですか。」という問いがくる。難しいよね。

「問い」の出し方が。

読解を問われる問題として出ているのだとしたら、難易度的にはどうなんだろうか。ここは読解力、脳の回路構築をしていく段階として、故意に使われているのなら納得。

それでも、「問い」の出し方としてどうなんだろうとは思う。

③ ねらいを明確に書くなら

この単元で教えたいのは、「同じ数ずつ」でしょ。問題文の書き方があいまいだから、「分ける=どんな風に?」という段階で止まってしまう。

同じページの問題に、

教科書ワーク小学1年生

色紙が15枚あります。1人に5枚ずつ分けると、何人に分けられますか?

こういう問いがあるのだけれど、これってもう割り算でしょ。

そうじゃなくて、この問いを正しくするのなら、

教科書ワーク小学1年生

色紙を3人の子どもに5枚ずつくばると、色紙は何枚必要ですか?

子どもは、足し算と引き算しか習ってないのだから、追って数えることができないと崩壊してると思うんですよね。

これは「5+5+5」を数えて求められる。つまり、1年生が扱える範囲(加法の繰り返し)で完結する。ここで「数を増やす体験」を積んでおけば、2年で「5✕3」に移るときに、「あ!1年生でやってたヤツと同じ!」と気づけるのではないの?

5を3つで、15。15を割らせてどうするの?と思うし、「分けられる」「分ける」と「られる」「る」、この文章作成の仕方が混乱を招くし、「分ける」ではなくて「あげる」「くばる」じゃないとダメだと思う。

「6こを同じ数ずつ分けます。2人では1人になんこずつですか。」
 → 割り算の式を言葉にしたもの(6÷2)。
 → 1年生の段階では体験の域を越えてしまっていると思う。

「15枚の色紙を、1人に5まいずつ分けると、何人に分けられますか。」
 → 割り算の式を言葉にしたもの。(15÷5)。
 → 「くり返し足す」や「同じ数ずつくばる」という前段階を経ておらず崩壊。

あのプリンの問題も、

「2人にプリンを3つずつあげると、プリンは何個必要ですか?」
「3人にプリンを2つずつあげると、プリンは何個必要ですか?」

こっちじゃないといけないのではないの?

なぜこの単元が最後に置かれているのか

文科省の“意図”と“誤読”

WEBにある文科省の1学年用のサイトを見ると、

1 目標

(4) 具体物を用いた活動などを通して,数量やその関係を言葉,数,式,図などに表したり読み取ったりすることができるようにする。

(1) 具体物を用いた活動などを通して,数についての感覚を豊かにする。数の意味や表し方について理解できるようにするとともに,加法及び減法の意味について理解し,それらの計算の仕方を考え,用いることができるようにする。

(2) 具体物を用いた活動などを通して,量とその測定についての理解の基礎となる経験を重ね,量の大きさについての感覚を豊かにする。

(3) 具体物を用いた活動などを通して,図形についての理解の基礎となる経験を重ね,図形についての感覚を豊かにする。

このことから、「1年生では主として足し算・引き算(加法・減法)を中心に学ぶ」と明記されていて、乗法/除法(掛け算・割り算)についてはまだ本格的な扱いにはなっていないという解釈が妥当。

特に「分ける」「同じ数ずつ分ける」という問いが、本格的な「掛け算」とか「割り算」の思考を前提としているものであれば、指導要領の趣旨からどう見るんだろうね?

「プリン6こをおなじかずずつわけます。2人では1人に何こずつですか?」という問題が「1年生」の時点で出されているとすれば、指導要領の記載から見ると 扱っていいかどうか疑問が残る。

大人でも「2人では1人に」って文章の書き方としてどうなの?とも思う。

ただし、指導要領には次のような記述もある。

〔算数的活動〕

(1) 内容の「A数と計算」,「B量と測定」,「C図形」及び「D数量関係」に示す事項については,例えば,次のような算数的活動を通して指導するものとする。

ア 具体物をまとめて数えたり等分したりし,それを整理して表す活動

イ 計算の意味や計算の仕方を,具体物を用いたり,言葉,数,式,図を用いたりして表す活動

ウ 身の回りにあるものの長さ,面積,体積を直接比べたり,他のものを用いて比べたりする活動

エ 身の回りから,いろいろな形を見付けたり,具体物を用いて形を作ったり分解したりする活動

オ 数量についての具体的な場面を式に表したり,式を具体的な場面に結び付けたりする活動

という記述が、「算数的活動」の項目の中で挙げられている。つまり、「等分したり」という語句を使って、まだ抽象的な割り算の前段階操作としての“分ける・そろえる”体験が記述されているとも読めるけど、ちょっと推測してみる。

観点本来の意味(指導要領)現場での誤解(教科書)
「等分したり」同じ数ずつに“そろえる”活動掛け算・割り算の導入としての「分ける」
目的同数性・等量性の感覚を育てる掛け算・割り算の構造を理解させる
問いの形「同じように配るとどうなる?」「3人では1人何個ずつ?」

指導要領としては「1年生では足し算・引き算が中心」。

  • 「同じ数ずつ分ける」という問いは、どう設計されているか(体験的操作としてか、既に掛け算・割り算思考を前提としているか)によって適否が異なる。
  • 問題文のように「2人では/3人では」など、分割・人数対応を明確にして「何人に分けられるか」「1人に何個か?」と問われる形式は、割り算的構造を前提している可能性が高い。

よって、指導要領の趣旨から見たとき、「この問いは1年生で出していいかどうか議論の余地がある」のでは?と思う。

「かけ算やわり算の基礎となる体験を1年生のうちに積ませること」なのは分かるけど、体験にも程がない?

つまり、「分ける」という言葉を使ってはいるものの、その実態は「割り算のミニチュア版」をやらせている状態。割り算って3年生じゃない?

指導側の腕が問われる案件。

同じ数ずつでも、問わせる場所が違うのではないの?

15枚ある色紙を5人に分けるのではなくて、5人に5枚ずつ折り紙を配って合計を求めないといけないのではないの?という個人的持論ね。けど、教科書ワークは全部、掛け算・割り算思考になってる。

大人はね、その先の学習をしてるから、分からない理由が分からないかもしれない。ここまで来てるから、分かるでしょ?という前提なのか知らないけれど、ここまで来てて、分かるでしょ?じゃなくて、教育課程として合ってるのか?という素朴な疑問ね。

だって、ここでこれする意味が分からないもんね。はっきり言って、迷惑だもん、この問題。無い方がマシ。だって、どの道2年で掛け算習うし、3年で割り算行くからね。そのうち秒で解けるようになる問題を、ここで問う意味ね。

教科書の導きが間違えていないと仮定してみて、“問い方”と“導き方”を誤ると、子どもの思考を飛ばしてしまうだろうなとは思う。

まとめ ― 子どもが混乱しているのは「文章」がおかしいから

1年生が算数でつまずく最大の原因は、子どもの理解力ではなく、問題文の日本語そのものじゃないのかなとも思う。

上の子が小さいときに、ご近所のおばあちゃんが言ってたんですよ。

やっぱ国語だね。問題は解けるのに文章が理解できないと算数は全然ダメだ。うちの孫大変。

当時は、そうなんだぁと他人事のように聞いてたけど、教科書の作られ方もどうなんだろうって、ここに来て思う。

「6こを同じ数ずつわけます。2人では1人になんこずつですか。」

つまり、言葉の抽象度が高すぎるし、「わける」は、思考の終点にある概念であって、1年生が実感を持てる言葉ではないのではないかな。

この手法だと、子どもは“考え方”ではなく“当て方”でしか答えられないかなと思う。

ロジックを正しく組み立てることができないかなという個人的見解。

その結果、「算数は苦手」「考えるのがむずかしい」という感覚が育ってしまうし、もっと言うと「教えるのが難しい」こうなるよね。

実際には、構文が構造的に破綻しているんじゃない?そういうのたくさんありそう。それを「読解力」、子どもの理解不足だと誤解してしまっているのかもしれない。

『ごんぎつね』の死体処理だって、問わせ方の間違いだものね。

国語も算数も苦手意識は、読解力・計算の問題ではなく、「設計ミス」なんじゃないのか。

まぁ、持論だから。

そうでもない可能性もある。けど、あの問題は迷惑だ。

なぜこの記事を書いたかというと、教科書こそ疑って欲しいと思ったからだ。教える側がしっかりしないと、持ってかれる。そういう構造だろう。教科書製作者が誤読してる可能性。正直、国語はどうにかしないといけないと思う。構造自体が破綻してるから。算数はどうだろうね。あのさくらんぼ計算も何なんだ?という疑問も残ってはいるけれど、指導案と教える側がしっかりしていたら、問題ないとは思う。
じゃないと、スルーだろうな。分からない子がいる、仕方ない。で終わる図だ。

わたしは基本、脳の作られ方を基準として算数の教科書を読む。段階的に合っているかどうか、順を追えているかどうか。この授業が脳のどこを育てるのか?前後はどうか?論理性はつくかどうか?まぁ、素人目線だから正否は分からない。笑笑

ほぼほぼ、勘だ。

国語で言えば、心の発達だ。そういう目線で教科書を読むと、意外と発見があるかもしれない。算数の組み立て方や問い方は難しいね。国語はまだ「感情」から何をさせたいのかの「構造」を読めるけど、算数は「構造」オンリー。

読む世界がまるで違うというね。

ところで「さくらんぼ計算」ってさ、

9+7=16
7を1と6に分ける。
9に1を足して10。
10と6で16。

ってなってるんだけど、そもそもが「7」の分け方の順番がおかしいよね。

急に7を「1と6」に分けてるけど、7は「3と4」にもなるじゃない。

どうなの?10の束を作る授業って、何の意味があるんだろうね。「10のまとまりを理解させる」だけが目標なの?どういう目標?この単元ごといる?

9+7=16
9にを足して10。
だから、7をと6に分ける。
10と6で16。

なら、まだ分かる。

「なぜ6なのか」「7をどう分けるか」という思考の必然性は教科書でも授業でも省かれている可能性。何の意味があるんだろ。

もう、徹底的に問わせない構造になってない?

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