前回の記事で、授業の導き次第で、
ごんは「やさしいキツネ」→「孤独」
に変わるかもしれないって書きました。

どうやって導くんだよっ。
てなってる可能性もあるよね?
と思って、大体こんな感じかなぁというのをまとめています。
現場知らないから、何ともだけど、
構図としてはこんな感じじゃないだろうか。



言うのは簡単だから。
じゃなくて、ちゃんと思考は落としておきます。
言うだけ言うってのは、わたしの性分に正直合わないのでね。
この記事を書いた理由は、構造化教育の運び方が見えにくいという不安を減らしたかったから。
言葉だけが先行すると、どうしても机上の理論に見えてしまう。
それでは現場では使えないと思ったし。
だからできるだけ具体的な対話の流れとして、構造を言語化してます。
完成された正解を示したいのではなくて、再現可能な思考の型を精一杯、言語化。
ごんは「やさしいキツネだ」
教:それは、どこの場面でそう思った?
生:栗や松茸を兵十に持って行ってるところです。
教:なるほど、どうして栗や松茸を持って行くとやさしいと思ったの?
生:物をくれるから。
教:何か物をもらえると、やさしいって感じるんだね。
生:うん、思う。
教:そっか。貰えると嬉しいもんね。ごんは、どうして兵十に栗や松茸をもっていったんだと思う?
生:兵十が喜ぶとおもったから。
教:そうかもね。じゃぁ、栗や松茸をもっていくことで、ごんはどう思っただろうね。
ここで出やすい子どもの返答パターン
① 素直型(最も多い)
生:うれしいと思った
生:よろこんだと思う
生:いいことしたと思った
これは「やさしさ=自己満足」への入り口。
ここを否定しない。
② 共感型
生:兵十が悲しんでるから助けたかった
生:かわいそうだったから
この子は「相手視点」に入ってる。
教:兵十が悲しいって、どこから分かった?
教:それは書いてあった?それとも想像?
共感を大事にしながら、
想像と事実を分けて読む力を育てる。
ここで「母親が亡くなったから悲しい」は本文の事実。
一方、「ウナギを食べさせたかったのに亡くなった」
は“ごんの想像”。
つまり事実ではなく、ごんの解釈。
ここを区別させることで、
- 事実
- 登場人物の想像
- 読者(自分)の想像
の三層を読む力が育つ。
導く側は、共感を否定するのではなくて、
“誰の視点の想像か”を整理する支援も必要。
③ 罪悪感型(読める子)
生:いたずらしたから悪いと思った
生:あやまりたかった
「償い」と「やさしさ」の混合に気づいてる可能性があれば高度。
④ 混乱型
生:わからない
生:うーん…
これが一番大事な瞬間。
思考が動き始めている証拠。
ここで教師が答えを言ったら終了になるから、言わない。
兵十の気持ちとごんの願い
教:ごん側の気持ちはたくさん出てきたね。じゃぁ、今度は兵十。兵十はどう思ってるかな?
生:ごんだってことに気付いてない。
教:そうだね、気づいてないことで、ごんはどうしてる?
生:怒ってる。
教:そうだったね。なんか、不貞腐れてる描写があったね。なんでだろう。
生:栗や松茸を持って行ってるのに、自分だって気づいてくれないから腹が立ったんだと思う。
教:そうか。さっき、うれしいと思った、喜んだ、いいことしたと思った、助けたかった、かわいそうと思ったから、色々意見が出たけど、ごんは怒ってたって読めるよね。
とういことは、ごんの一番の願いは何だったのかな。
生:気づいて欲しかったのかもしれない
教:あぁ、そうかもしれないね。
子どもはここで初めて
- やさしさ
- 見返り
- 承認欲求
- 伝わらない苦しさ
を同時に扱い始める…と思う。
これ、読解の核。
ここで子どもは気づく:ごんはやさしいだけじゃない。
つまり
気持ちは一色じゃない
人間の複雑さに触れる。
腹を立てるごん
教:皆が言ってくれたように、今までの流れをまとめると、ごんが、気づいてくれないことに対して、腹を立てているということは、本当は栗や松茸をもっていってるのが自分だって気づいて欲しかったのかもしれない。
気づいてほしいって思う気持ちと、やさしい気持ちは、同じかな?違うかな?
生:違う。
教:ごんの気持ちって、やさしさだけだったと思う?
それとも、他の気持ちも混ざってたと思う?
生:まざってた。
教:そうだね、どんな気持ちが混ざってたのかな。
生:気づいてほしかった気持ちもある。
教:そうかもしれないね。
教:じゃぁ、気づいて欲しいって、どんな人が思うかな。
生:何かを言いたい人。
教:あぁ、そうかもね、他には?(複数意見が出るまで待つ)
生:さみしいとか。
教:そうだね、ここで、ごんの環境を想像してみようか、ごんはどんなキツネだった?
に入る。
つまり人物理解の層に到達。
さっきまで:行動 → 感情 → 欲求
ここから今:欲求 → 存在の孤独 → 環境
に広がる。
行動の理由ではなく、存在の背景を読む段階。
予想される子どもの返答
① 孤独型(最も多い)
生:ひとりぼっち
生:友達いない
生:さみしいキツネ
ごんの核心にかなり近い。
② いたずら型
生:悪いキツネ
生:いつもいたずらしてる
外側の理解段階。
まだ行動レベル。
ここで教師が橋をかけてみる。
教:どうしていたずらばかりしてたと思う?
教:どんなときにイタズラしてしまう?
教:話し相手はいたかな?
→ 孤独へ戻せる
③ 共感型(強い子)
生:話し相手がいなかった
生:かまってほしかった
人間理解ゾーン。
ここまで行くと授業成功かも。
人物の動機に到達している段階。
ひとりぼっちのごん
教:みんなの意見をつなぐと、どうなるかな?



栗や松茸をもっていってたのは、やさしさだったかもしれないけど、本当はさみしくて、自分に気付いて欲しかったのかもしれない。
ちゃんと
行動
→ 感情
→ 欲求
→ 存在背景
→ 再解釈
まで一周して戻る。



じゃあ、ごんのやさしさって、最初に思ってた“やさしさ”と同じかな?
少し変わったかな?
ここで、最初に「物をあげる人がやさしい」という認知から、そうじゃないこともあるというメタ認知が起こる構成。
最初の子どもの理解はこうだった。
でも対話を通して、
に変わる…はず。
これは正解を覚えたのではなく、
人間の心を立体で読んだ瞬間。
行動の裏にある気持ちを想像すること。
そして、
人は単純じゃない
と知ること。
ここまで行けたら、読解は成功じゃないかと思う。
まぁ、「やさしさ」だけでこの展開だから。
あとの「やんちゃ」とかの導きは
割愛してるけど、導きとしては、
そう思うことは間違いではないけれど、
それだけ、と思わない視点の追加ができたら
いいんだと思う。
※テスト用に作ってないので、その補強は必要
この授業は「正解に導く」のではなくて、
「思考の型を体験させる授業」という構成で作ってます。
この読み方を一度体験した子は、
他の物語でも同じ思考を使い始めるようになると思う。



賛否両論は覚悟してるよ。
これは一つの導き方の例であって、
唯一の正解ではないから。
『ごんぎつね』の終点は、
孤独とすれ違いの悲劇を通して、
死後に初めて理解が生まれる構造でしょ。
事実としては、
- ごんは伝えることができない
- 兵十は理解することができない
- 誤解が生まれ、ごんを撃ってしまう
- ごんの死を通して、理解が生まれる
この事実から、なぜ?の視点を足す。
例えば
やさしい
→ 孤独を含むやさしさへ
兵十は悪者
→ 視点の違いへ
報われた
→ ごん側に寄りすぎ
兵十は後悔
→ 兵十側に寄りすぎ
どれも途中意見。
間違いじゃない。
子どもの意見は正誤で裁かない。
それぞれの読みを起点に視点を追加して、
最終的に物語の構造に導くことができればいいと思う。
そしたら、それぞれのスタート地点から地図が描かれる。
兵十が悪者なんて思って、



それもあるよね。
見え方はそれぞれだから。
それはそれでいいけど、
それで終わったときの弊害を書いとくと、



伝えなかった方が悪いよね。
いたずらする方が悪いでしょ。
撃たれて当然。
他者理解とは遠くなるよね。
地図が描かれない。
思考力なんて作られないよ。
主観で見て終わってるんだから。



なぜ、ごんは、伝えられなかったんだろう。
なぜ、ごんは、いたずらをしてたのだろう。
人物の背景や孤独に目を向けたとき、物語は責任の話から理解の話へと変わる。
まとめ|我が家の思考のインストール
わたしの思考のインストールがある
ということも前に書いたけど、
我が家ではこうなる。



ごん、やさしいと思う?



いや、やさしいとは思わない。



それで正解。
ちなみになんで?



うーん….
ここで詰まるのよ。
けど、まぁ、OK。
感覚では分かるけど、言葉にできてない。
で、こうなる。



ごん、ちょっと怒ってるじゃん。
てことは、自分のために栗やら松茸やら持って行ってるんだって。
自分を許してほしくて、
勝手に憐れんで、
せっせせっせと物運ぶヤツのどこが優しいんだよって話ね。
そんなの優しさでも何でもないっ。
兵十に全然何も聞いてないし。
死ぬ前にウナギなんて食べないって。
けど、ごんはキツネだから、分からないのよ。
はい、なんで優しくないんだった?
言ってみて。



自分を許してほしくて、栗や松茸を持って行ってたから。
あと、勝手に人のことを想像したらいけない。



そう、ただ、多少なり、自分のためでもあるって自覚があるのなら、その行動で、人が助かったり喜ぶのなら、いいんじゃないの。
やさしさの一部にはなるんじゃない。
これは家庭だからできる会話。



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