わたしは、構造が見えているから、
構造に戻すことができるけど、
見えてない人がどうやって実装できるのか?
物語は毎回ちがう。
子どもの意見も毎回ちがう。
だからこそ、型が必要。
展開は揺れていい。
感想も揺れていい。
でも、必ず戻る場所がある。
それが骨格。
参観日で、子どもに毎回言ってたことがあって。

授業の展開を見て、
先生が何を求めていて、
どんな意見が必要なのか?
それを考えて。
発表なんてどうでもいいの。
重複はいらないのよ、授業が乱れるだけだから。
流れをちゃんと見ときなさい。
小3から。
難しいのね、あれ。
わかんないのよ、それが。
で、どうやってまとめるのか考えてみました。
指導案の定型を「構造化型」に翻訳するなら


先日作った構造教育のテンプレね。
やっぱり難しいのかな。
現場を見てると、よく登場する質問。
「登場人物の人格はどういう人格か想像しましょう」
ていう風物詩。
あれが毎回あるから、人物理解からした方がまとまるのかな?
と思ったけど、難易度が高いことに気づく。
なので、構造化プランとして、
とりま提示できるのが、2パターン。
- Aパターン(硬派)
- Bパターン(揺らし型)
- なぜ実装が難しいのか
① Aパターン(硬派)
事実 → 因果 → 視点 → 構造 → 物語再定義
これはロジック型。
② Bパターン(揺らし型)
人物像ラベル → 分解 → 因果 → 再構成
これは認知更新体験型。
ごんぎつねの前回記事。
やさしいキツネからの転換記事がコレに該当します。
③ なぜ実装が難しいのか
人物像スタートはこうなる。
- 子どもがラベルを出す
- 教師がそれを分解する
- 想像と事実を区別する
- 行動と因果に戻す
- 再構成する
この②〜④が高度なんだね。
ここで教師が
- 感情を否定せず
- でも止めず
- でも誘導しすぎず
やらないといけないからね。
ここがムズイのかと推測。
じゃあ事実スタートは?
事実 → 因果 → 視点 →構造→ 物語再定義
これは
- 感情に振り回されにくい
- 構造が崩れにくい
- 誰でもやりやすい
つまり再現性が高いと判断…..多分。
人物像スタートは、上級者向けかもしれないと推測。
事実スタートは標準実装型。
どっちも間違いじゃないから。
でも現場全体に落とすなら
標準型のほうが広がるんだと思う…..多分。
人物像スタート案は、 構造を深く体験させる設計ではあるものの、教師依存度が高い。
この記事ではBパターンを整理します。
ごんぎつねを構造整理してみる


ここで、整理したいのが、感情を扱う言葉。
本が無いから、違うかもしれないけど、
(違ってたらごめんなさい)
わたしの記憶だと、
物語原本に「後悔」だとか「償い」という
断定的な言葉ってないでしょ?
書いているのは、
- 葬式の準備を見てはっとする描写
- うなぎを逃がしたことを思い出す描写
- 兵十の母の死と自分の行動を結びつける内語
- こっそり栗や松茸を届け続ける行為
つまり、行動と内語で示しているんだけど、国の指導書もそうだけど、「ごんは償いをするために」だとか、「後悔をしました」とかあるのよね。
これ、読者の勝手な想像でしょ。
ごんと同じことしてるのよ。
うっかりしがちなところかもしれない。



そう読むのはいいけど、
教える側が「償い」だと断定することに問題があるということ。
難しいけど….
前の記事にウナギの想像のこと書いたけど、
人は死ぬ前にウナギなんて食べないってヤツね。
あのウナギの想像こそ、孤独なごんが、
いかに人のことを理解してないかの象徴とも読めるよね。
善悪の話じゃないよ。
思い込みって、こういうヤツでしょって書いたけど、
それと同じだよね。
思い込み。



それがあると、物語が一気に崩壊してくから。
償いも、後悔も、大きくズレてはないんだけど、本質からするとズレてるよね。
もしあったとしたら、ごんの認識不足として足さないといけなくなるかな。あれは償いじゃないし、後悔でもないから。
自分なりに理解したつもりで行動しているってことになるかな。
まぁ、この記事は原本に「後悔」「償い」は無いという仮定で書いてます。
付け加えると、孤独だから理解できないんじゃなくて、
孤独だと教えてくれる存在がいないでしょ。
あと、「死=存在が消える」
くらいの認識の可能性だってあるわけでさ。
何度も言うけど、善悪じゃないのよ。
だから、こういう作中にない言葉は事実とはしません。
作中に書かれていることのみを扱うのが構造化教育だから。
この、事実のみを抽出する力が、まず必要。
- 登場人物の整理
- 事実の整理
- 行動と結果の対応付け
- 視点整理
- 構造図化(因果の可視化)
① 登場人物の整理
まず、事実の前に、登場人物の整理をします。
- ごん(孤独なきつね)
- 兵十(村人)
※母は出来事上の重要人物だけど、構造軸は「ごん兵十」
※「やさしいキツネ」などは止める、書かれている事実のみ抽出
② 事実の整理
- ごんは村でいたずらをしている
- 兵十のうなぎを逃がす
- 兵十の母が亡くなる
- ごんは「自分のせいだ」と思い込む
- 魚を届ける → 兵十が怒られる
- 栗・松茸を毎日届ける
- 兵十は神様の恵みだと思う
- ごんは「わりに合わない」と言っている
- ごんが家に入る
- 兵十が撃つ
- 届け主がごんだと気づく
※「かわいそう」などは止める
→ 物語はまず“出来事の連鎖”であると理解させる。
③ 行動と結果の対応付け
- うなぎを逃がしたことで、ごんはどう思って、どうした?
- 届け物をした結果、どうなった?
- 伝えなかった結果、どうなった?
ここで初めて構造が見える。
うなぎを逃がす
→ ごんが兵十の状況を想像する、ごんの中の兵十像に変化が起こる
届け物をする
→ 兵十は勘違いする
行動(届け物)はあるが、何も伝えない
→ 兵十の中のごん像が更新されない
家に入る
→ 「いたずら狐」のまま撃たれる
解釈が更新されないまま行動が重なった結果、悲劇が生まれる。
④ 視点整理
ごん視点
- ウナギを母に食べさせたかったはず
- 兵十も独りだ
→ 推測と共感
兵十視点
- いたずら狐
- 家に入る=また悪さ
→ 過去の記憶による判断
ここで重要なのは、両者は一度も対話していないということ。
⑤ 構造図化(因果の可視化)
いたずらを繰り返す
↓
兵十の中に「いたずら狐」という像ができる
↓
うなぎを逃がす
↓
ごんが母の死と自分の行動を結びつける
↓
届け物をする(正体を明かさない)
↓
兵十は神様だと思う(ごんと結びつかない)
↓
ごんは気づいてもらえない
↓
ごんが家に入る
↓
既存の像で判断する(いたずら狐)
↓
撃つ
↓
正体を知る(しかし結果は変わらない)
ごんは、なぜ撃たれたのか


偶然ではない。
いたずらが原因でもない。
優しさが足りなかったわけでもない。
起きていたことは、これ。
- 伝えなかった
- 確かめなかった
- 誤解が解かれないまま積み重なった
- その解釈で行動が重なった
解釈を確かめないまま、その解釈で行動が重なったから。
『ごんぎつね』の終点
孤独とすれ違いの悲劇を通して、
死後に初めて理解が生まれる構造。
この物語の終点は「誰が悪い」ではなく
伝えなければ、伝わらない。
行動だけでは足りない。
意図が共有されなければ、関係は変わらない。
善意は、ごんの中にはあった。
しかし、兵十の中では
「いたずら狐」のままだった。
善意は、内側にあるだけでは機能しない。
同じ出来事でも、
見えている世界は人によって違う。
悲劇は、確かめないまま重ねた行動から生まれる。
型は固定しない。骨格だけ持つ。


かわいそうで止まったら
→ どのシーンでそう思ったか確認して、行動と結果に戻る。
悪者探しが始まったら
→ どのシーンでそう思ったか確認して、視点整理に戻る。
議論が散らばったら
→ 出来事整理に戻る。
とにかく、構造に戻す。
- 子ども用:見える骨格(4ステップ)
- 教師用:迷ったら|戻しテンプレ(チェックリスト)
- A/B二本立てで展開
- ゴールの言語化(子どもにも教師にも共通)
① 子ども用:見える骨格(4ステップ)
ボードもワークもこれだけ。
- 出来事(何が起きた?)
- 行動→結果(何をしたから、どうなった?)
- 視点(誰はどう見ていた?)
- 構造図(矢印でつなぐ)
※感情語はラベルにしない。必ず行動に戻す。
② 教師用:迷ったら|戻しテンプレ(チェックリスト)
A. 感情に流れたら
「どの場面の、どの行動からそう思った?」
B. 推測が膨らんだら
「それは本文に書いてある?誰の想像かな?」
C. 悪者探しになったら
「その人は何を見て、そう判断してる?」
D. 議論が散らばったら
「今どの出来事の話かな?」
E. まとめで詰まったら
「その行動の結果、(誰が)どうなった?」
例えば
- 届け物をしたけど伝えなかった
→ 兵十の中のごん像は変わらなかった - 家に入った
→ いたずら狐だと確信された
こういうやつ。
③ A/B二本立てで展開
- A(標準実装)
事実 → 因果 → 視点 → 構造 → 物語再定義
→ 再現性が高い。 - B(上級者)
人物ラベル → 分解 → 因果 → 再構成
→ 認知更新を体験。教師依存度高。
現場全体にはAを配る。
研修や公開授業ではBでいいのでは。
なぜか?
A(事実スタート)は安定。
でも、
- 安定している
- 破綻しにくい
- 再現性が高い
= 刺激が弱い。
研修でAを見せると、
「なるほど」で終わる。
結果、知識だけ増えて思考は揺れない。
Bは、人物ラベルから入る。
「ごんはやさしい」
そこから崩す。
- 想像と事実を分ける
- 行動に戻す
- 認知が更新される瞬間を見せる
これを体験すると、
先生たち自身が
「あ、今わたし思い込みしてた」
になるはず。



あの「後悔」だとか「償い」と一緒だって。
どこで「後悔」って断定したんだよって。
どこで「償い」だったんだよって。
そういうやつ。
これが研修の価値になると思う。
つまり
Aは「導入マニュアル」
Bは「衝撃デモ」
例えたら、
A=運転教本
B=実際のドライブ映像
教本は必要。
でも、体感がないと本気で理解しないから。
だから構成はこう。
1. Bで揺らす(配らない)
「ごんはやさしい」から崩す
→ 先生が揺れる
2. Aで整理する(配る)
「今やったのを構造にすると、これです」
と抽象化。
3. 戻しテンプレを配る
これが実装用。
4.「作中にない語は事実にしない」
を共通ルールにする。
- 「後悔」「償い」は断定しない。
- 書いてあるのは 内語と行動。
- 感情は行動から読む。
④ ゴールの言語化(子どもにも教師にも共通)
こんぎつねの終点。
大体、こんな感じかな。
どうしたら、実装できるんだろうと思って、
第2案を考えてみました。
型に落としてみたけれど、どうだろうね。
ただの個人の見解だから、まだあるんだろうとは思う。



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