ヘーゲルの絶対精神・世界精神を勝手にわかりやすく説明してみました。
結論から言うと、絶対精神とはマズローで言う自己実現の先の自己超越に当たることであり、それは他社貢献ギバー(他者思考型ギバー、他者志向型ギバー)に値する。
その自己超越者たちが、社会の価値観や制度を変革し、新しい時代を作る。こういう感じかと思います。
- ヘーゲルの『絶対精神』は、個人の主観を超え、宇宙・歴史・社会全体の理性と完全に一致すること
- マズローの『自己超越』も、個を超えてより大きな目的や宇宙的な視点を持つ段階

つまり、『超越』と『絶対精神』は、個の枠を超えて普及的な理性と一体化する点で、ほぼ同じ概念だと言えるのでは?という視点。
ただし、ヘーゲルは『歴史的なプロセス』として、マズローは『個人の成長』として説明しているので、完全に一致するとは言えないかもしれませんが、本質的には同じでは?と思ってます。
そしてアドラーの共同体認識ともつながって行く。
多分、合ってると思う。それで整合性が取れる気がする。
このブログでは、ヘーゲルの世界精神・絶対精神について、個人が勝手にナポレオン・ボナパルト(1769-1821)を例に詳しくまとめてみました。
こういう視点で見たら面白いよね?という記事です。
先に言っておきます。



知識は疑え。
何事も自分で考えることは大事だから。興味のある方は一読くださるとうれしいです。
ヘーゲルの世界精神と絶対精神を現代的に解釈してみた


- 世界精神=歴史を通じた経験の積み重ね
- 絶対精神=世界精神に伴う、精神の成長
- 絶対精神は未来を決めるのではなく、『より良い未来へと導く力』
- まとめ
①世界精神=歴史を通じた経験の積み重ね
歴史を通じた経験の積み重ね(具体的な実践・出来事)に等しいと思う。
要するに日々の努力。
- ヘーゲルにとって、世界精神は 抽象的な観念ではなく、現実の中で歴史を動かす力とされています。
- つまり、日々の努力、社会の変革、科学の発展、文化の創造など、現実の行為が世界精神の運動そのもの。
- 世界精神は、人々の具体的な行動や実践を通じて歴史を前進させる。
- 世界精神は、国家や文明を通じて自己を発展させていく。
②絶対精神=世界精神に伴う、精神の成長
世界精神に伴う、精神の成長(自由の発展・自己認識の深化)に等しいと思う。
- 世界精神が歴史を動かし、その過程で新しい意識や価値観が生まれる。
- その結果、未来には新たな『より高次の精神的な段階』が生まれる。
- これが、絶対精神が歴史を通じて展開する仕組み。
- これは、すべての存在の根本にある『究極の理性』。
- ヘーゲルにとって、これは『神的な理性』とも言える。
- 世界の秩序や方向性を決める根源的な存在。
つまり、世界精神の運動(=日々の努力) が絶対精神の新たな段階へ(=未来を切り開く)という流れになる。
③絶対精神は未来を決めるのではなく、『より良い未来へと導く力』
- 未来は決して決定論的なものではなく、世界精神の運動(努力や行動)によって形作られる。
- 個人や社会が努力することで、より良い未来へ進むことができる。
- その積み重ねによって、より高度な自己認識や自由の実現が可能になる。
未来が自動的に訪れるのではなく、世界精神の運動を通じて『絶えず進化する』もの。
④まとめ
世界精神の運動とは、日々の努力や人類の実践の積み重ねであり、その努力の成果が未来を開き、絶対精神の新たな段階へと導く。
未来は決定されているものではなく、現在の選択や行動によって作り出される。
つまり、パラダイムと同じ概念でいいと思います。努力による現在の選択、つまりは世界精神の動きでいくつものパラダイム(異なる価値観)が存在し、時には衝突、時には選択しながら発展(弁証法的発展)、そして絶対精神により統合されて未来が作られる。
世界精神も、絶対精神も動的ではありますが、最終地点の絶対精神は静的と捉えられる。ただし、最終地点をどことするかは歴史的には難しいですよね。個人レベルになると、人による、という感じ。



つまり、世界精神は経験、絶対精神は精神の成長、世界精神が進化し続けることで、最終的な絶対精神の段階へと至る。
ヘーゲルの歴史哲学と『世界精神』『絶対精神』


ヘーゲルの歴史哲学では、世界史は『世界精神』が自己展開し、自由を実現していく過程とされています(自由を求める時代だからこその発想でもあると思う)。この中で、偉人は世界精神としての道具として使われますが、最終的にはその役割を終えれば『消費される』ように没落するのが宿命です。
ナポレオンは、ヘーゲルが『世界精神が馬に乗っている』と評したように、歴史の流れを加速させた存在。フランス革命の理念(自由・平等・博愛)をヨーロッパに広め、歴史的に大きな役割を果たしました。



しかし、彼の没落は単なる個人の失敗ではなく、『世界精神が次の段階に進むために、絶対精神が働いてナポレオンを不要とした』と解釈できます。
- ナポレオンの没落の仕方は問題の本質ではない
- 没落すること自体に意味がある
- まとめ
①ナポレオンの没落の仕方は問題の本質ではない
ナポレオンがどのように没落したか(ロシア遠征の失敗、ライプツィヒの戦い、エルバ島流刑、ワーテルローの敗北、セントヘレナでの死)という詳細は、ヘーゲル的観点では二次的な要素になります。
重要なのは、彼が没落することそのものが歴史の必然であり、彼が成し遂げたことが次の歴史的発展へとつながったという点です。
つまり、
- 没落のプロセスそのものは本質的ではない
- 没落そのものが『世界精神の流れ』によって決定されている
- 彼の役割が終われば、どんな形であれ没落することになる
という考え方になる。
②没落すること自体に意味がある
ヘーゲルの歴史哲学では、『個人の栄光や運命は、歴史の大きな流れの一部でしかない』という考え方が根底にあります。つまり、ナポレオンの没落は、個人的な失敗ではなく、歴史の必然として起こり、その没落自体が次の歴史のステップを準備するという役割を果たしている。
例えば、、
- ナポレオンの失墜 → ウィーン体制が成立 → 19世紀のヨーロッパ秩序が形成される
- ナポレオンが広めた革命思想 → その後の民主主義の発展に影響
このように、彼が没落しなければならなかったのは、『フランス革命の理念を広めるという彼の歴史的な役割を終えたから』だとも言える。
③まとめ
ナポレオンは『世界精神』の道具であり、彼の没落は歴史の必然。没落のプロセスは重要ではなく、没落そのものが意味を持ち、彼の消滅によって、次の歴史のステップが生まれる。
ナポレオンがどう敗れたかよりも、『なぜ彼が没落しなければならなかったのか』に注目することが、ヘーゲル的な視点。
歴史全体の視点(ヘーゲルの『世界精神』の視点)から見れば、ナポレオンの没落は歴史の必然であり、彼が退場することで新たな時代が開かれることに意味がある。



しかし、ナポレオン個人の視点に立つと、彼は単に『欲をかきすぎて自滅した』と見るのが、自然な解釈になるかもしれないという持論が立つんです。
ナポレオンの視点からはどう見えるか?


歴史的な視点から、ナポレオンの没落を見ると、没落は必然であり、没落の仕方は問われない、ただ、没落することに意味がある、と見られる。





ヘーゲル的に言うなら、世界精神としての『あやつり人形』に過ぎなかったんだろうなと。けれど、ナポレオン個人の視点から見るとどう映るんだろう?と考えるんです。
①ナポレオン個人の視点※欲をかきすぎた結果
ナポレオンの行動を追ってみると、彼の没落はある意味で『自業自得』だったのではないか?
1. 大陸封鎖令の失敗(1806年~)※経済戦略の失敗
- イギリスを孤立させるため、ヨーロッパ全土に大陸封鎖令(イギリスとの貿易禁止)を強制。
- しかし、ヨーロッパの経済にも打撃を与え、フランス自身が苦しむことに。
- 結果的にロシアの反発を招き、ロシア遠征へとつながる。
2. ロシア遠征(1812年)※過剰な野心
- ヨーロッパ大陸の大部分を支配していたにもかかわらず、ロシアまで征服しようとした。
- しかし、ロシアの厳しい冬、補給の困難、焦土戦術によって、大軍のほとんどを失う。
- これが決定的な転落の始まり。
3. エルバ島からの復帰(百日天下、1815年)※しがみついた末の敗北
- 一度退位し、エルバ島に追放されていたにもかかわらず、再び政権を取り戻そうとする。
- ワーテルローの戦いで敗れ、完全に没落。
ここまでを見ると、ナポレオン個人の視点では、彼の没落は単純に『身の程をわきまえず、欲をかきすぎたから』と解釈するのが妥当に見える。
最盛期の時点で『ここまでにしよう』と身を引いていれば、もっと穏やかな晩年を迎えることもできたかもしれない、、とも思える。



けど、彼の性格がそうさせなかったのか、立場が彼をそうさせなかったのか、絶対精神がそうさせないように(そうならないように)采配があったのか、分かりません。
②世界史的な視点※没落することに意味があった
一方で、ヘーゲルのような視点に立てば、『彼の没落は歴史の流れとして必要だった』。
- フランス革命の理念をヨーロッパに広めた後、封建的な秩序と対立し、ナポレオン帝国は歴史的役割を終えた。
- 彼の支配によって各国でナショナリズム(民族や国民の統一や独立、発展を目的とする思想や運動)が芽生え、結果的に近代国家の形成につながる。
- 彼の没落後、ウィーン体制が築かれ、19世紀ヨーロッパの政治的枠組みが作られた。
このように、歴史全体の視点から見ると、ナポレオンの没落は『彼が担った歴史的役割を終えたから』だと説明もできますよね。
③どちらの視点が正しいのか?
結局のところ、どちらの視点も正しい。
- ナポレオン本人の視点では、『自欲をコントロールできず、自滅した』
- 歴史全体の視点では、『世界精神の流れの中で、絶対精神が働きナポレオンの没落が必然となった』



この二つは矛盾するようで、実は同じことを違う角度から見ているだけですよね。
ナポレオン自身は『世界精神の流れ』なんて意識していなかったと思う。
彼の目には『もっと征服したい』『もっと支配を広げたい、広げなければ』という強い野心が映っていただけ。でも、その結果として歴史の大きな流れに組み込まれ、彼が果たすべき役割を終えた時点で、没落せざるを得なかった。
つまり、個人の欲望と、歴史の必然が一致していたとも言えるんですよね。
④もしナポレオンが『気づき』を得ていたら?
もし彼が『もうここで引退すべきだ』と気づいていたら、違う未来はあったのでしょうか?
- 例えば、1809年の時点で戦争をやめ、フランス帝国を安定させる道を選んでいたら?
- あるいは、ロシア遠征を避け、外交で関係を維持する道を探っていたら?
- エルバ島で満足し、復帰しなかったら?
この可能性はゼロではありません。しかし、彼の『覇道的な性格』と『歴史の流れ』がそれを許さなかったとも言えます。
やっぱり双方が一致。
1809年で戦争を終わらせれば、フランス中心のヨーロッパ秩序を一時的には維持できた可能性はある。しかし、イギリスはナポレオンを脅威と見なしており、長期的な和平は難しい。ロシア、オーストリア、プロイセンもフランス支配を快く思っておらず、数年後にはまた戦争が再燃する可能性が高い。
ナポレオンがヨーロッパを制覇しても、イギリスを降伏させない限り、フランス帝国の安定は保証されなかった。このため、ナポレオンは大陸封鎖令を強化し、スペイン戦線を続けざるを得なかった。
1809年の時点では、ロシアはフランスの同盟国。しかし、大陸封鎖令の問題とポーランド問題がある限り、ナポレオンとロシアの対立は不可避だった
つまり、1809年で戦争を終わらせたとしても、『フランス中心のヨーロッパ秩序』が安定する保証はなく、むしろ他国が反撃の準備を進めるだけだった可能性が高い。



おそらく、彼がどこで決断しても、最終的には何らかの形で没落したと思われ、ただ、その『没落の仕方』は変えられたかもしれないとも思える。
⑤まとめ
- ナポレオンの没落は、個人の視点から見れば『欲をかきすぎた結果』
- しかし、歴史全体の視点では『没落すること自体が歴史の必然だった』
- 結局、ナポレオン自身は『気づき』を得ることなく、突き進んだ
- もし彼が気づきを得ていたら、没落の形は変えられたかもしれないが、最終的に歴史の流れには逆らえなかったと思われる
そして、この構造はナポレオンに限らず、私たち個人の人生にも通じるものがあると思う。
登場人物と舞台がそろえば、現実の歯車が動き出し、それが止められなくなる。世界精神が動き始める。
これは、歴史の転換点に登場する人物に共通するパターンだとも考えてます。
歴史の歯車が動く条件とは?


- 歴史の歯車が動く条件
- ナポレオンのケース※歯車が回り始めた瞬間
- 歯車が回り始めたら止められない
- 世界精神・絶対精神が動くとき
①歴史の歯車が動く条件
『歴史の必然』と『個人の欲望・願望』が一致すると、そこに不可逆的な力が生まれ、まるで何かに導かれるように物事が進んで行く。
その条件を整理すると、次のようになります。
- 舞台が整う(歴史的状況)
- 社会が大きな変革を求めている
- 既存の秩序が崩れかけ、新しい秩序が必要になっている
- 例:フランス革命後の混乱、第一次世界大戦後のドイツ
- 登場人物が現れる(歴史的個人)
- その時代に適応し、突き進む強烈な意志を持つ人物
- 彼の資質や欲望が、時代の要請と一致する
- 例:ナポレオン、ヒトラーetc
- 歯車が噛み合う(歴史の加速)
- その人物が動き始めると、偶然のように次々と出来事が展開する
- ある種の『運命的な流れ』が生じ、止められなくなる
- 例:ナポレオンの台頭→ヨーロッパ戦争→没落→ウィーン体制
この三つが揃うと、『世界精神』が働いたかのように、歴史の大きな流れが生まれる。
②ナポレオンのケース※歯車が回り始めた瞬間
ナポレオンが単なる一軍人で終わらず、歴史を変える存在になったのは、まさに『登場人物』と『舞台』が揃ったから、と見るのが自然。
- 舞台が整う → フランス革命による混乱、王政の崩壊、戦乱の時代
- 登場人物が現れる → 若きナポレオン、軍事の天才、革命の理念を武力で推進
- 歯車が動き出す → イタリア遠征、エジプト遠征、クーデター、大陸支配
ナポレオン自身は、おそらく『世界精神』や『絶対精神』など意識していなかったと思う。
しかし、彼の意志と行動が『歴史の流れ』と完全に一致したとき、彼自身の意思を超えて、歴史が彼を通して動き出した、そしてあやつり人形となる。
③歯車が回り始めたら止められない
一度、歯車が動き出すと、それは誰にも止められない。
- ナポレオンは『皇帝』になりたかったわけではなく、フランスを安定させるために最適な形を模索した結果、皇帝になった(ならざるを得なかった)とも言える。
- しかし、一度『皇帝』になれば、もはや『革命の英雄』としては生きられない。
- そのまま戦争を続けなければ、彼の権力は維持できなくなる。
- 結果として、大陸征服に向かい、最終的には没落する。



ナポレオンはもはや『自分の意思で選択する存在』ではなく、『時代の歯車の中で動かされる存在』、つまりはヘーゲルで言う『あやつり人形』になっていたと見る方が自然。
④世界精神・絶対精神が作用するとき
この『世界精神』『絶対精神』が動き始める瞬間は、私たちの日常にも似たような形で現れることがあります。
- 人生の転機 → ある出会いや出来事がきっかけで、自分の人生の方向性が決まる
- 時代の波に乗る → ある技術革新(AI、インターネット)や社会の変化によって、新しい可能性が開かれる
- 自分の欲望と環境が一致する → ある人が天職を見つけ、成功への流れが加速する
つまり、ナポレオンのような歴史的な話だけでなく、私たちの生きる現実世界でも、『登場人物』と『舞台』が揃えば、歯車が回ることがある。
『登場人物』と『舞台』が揃うと、歴史は不可避的に動き出し、一度歯車が回り始めると、個人の意思を超えた流れが生じる。
それは歴史の転換点だけでなく、個人の人生にも起こりうることで、その流れの中で『気づき』を得て動くことができるかどうかが、運命を左右すると思っています。
『世界精神』『絶対精神』が動き始めるとき、人は歴史の一部として流されるのか、それとも気づきを得て別の道を選ぶのか?



歯車が動き出した状態での選択は、人生の転機になる可能性が極めて高いと感じる。
歯車が動き出すとはどういうことか?


人生において、ある瞬間から物事が連鎖的に展開し、不可逆的な流れが生まれる。
これは偶然のように見えて、実はその人の過去の選択や環境の積み重ねが『舞台』を作り、『登場人物(自分)』がそこに登場することで、動き始めるものです。
- 人生の転機としての『歯車が動く瞬間』
- 歯車が動く瞬間=運命の転機
- 歯車が動き出したとき、どうすればいいのか?
- 歯車が動き出す瞬間を見逃さない
- なぜ『歯車が動き出す瞬間に高次元でいること』がいいのか?
- この考え方は合ってる?
①人生の転機としての『歯車が動く瞬間』
- ある出会いがきっかけで人生が変わる
- 師匠やメンターとの出会い
- 重要なパートナー(ビジネス・恋愛)の存在
- 偶然知り合った人が大きな機会を与えてくれる
- ある選択が、その後の道を決定する
- どの学校・職場を選ぶか
- どこに住むか
- どのタイミングで独立・転職するか
- 小さなきっかけが、大きな変化につながる
- 何気なく始めた趣味が本業になる
- 偶然手にした本や映画が人生観を変える
- 些細な決断が、後に大きな成果を生む
このように、『一つの出来事』や『一つの選択』が不可逆的な流れを生み出し、次々と展開していくことが『歯車が動く』ということ。
②歯車が動く瞬間=運命の転機
ナポレオンのような偉人だけでなく、私たちの人生にも『この瞬間から流れが変わった』と感じるときがあるはずです。
歯車が動き出す瞬間のサイン
- 直感的に『これは大事な瞬間だ』と感じる
- 偶然のように見えて、実は必然的な流れになっている
- その後、どんどん新しい展開が起こる
- 戻ろうとしても、もう元には戻れない
例えば、歴史上の転機で言えば、ナポレオンの人生は『エジプト遠征の成功』『クーデターで政権を握った瞬間』などが決定的な転機でした。そして、一度動き出したら、もはや引き返せない。
これは私たちの人生でも恐らく同じ。
- 『たまたま』読んだ本が転職のきっかけになった
- 『たまたま』行った場所で人生の師と出会った
- 『たまたま』始めたことが、大きな成功につながった



しかし、これらは単なる偶然ではなく、その人のこれまでの選択や行動が『舞台』を整えていたからこそ、歯車が動き出したとも言えると思う。すべては必然。
③歯車が動き出したとき、どうすればいいのか?
もし『人生の歯車が動き出した』と感じたとき、それをどう受け止めるかが重要です。
- 流れに逆らわず、むしろ加速させる
- 歴史の流れに乗ったナポレオンのように、チャンスが来たら積極的に動く
- 『偶然の出会い』『新しい挑戦』を大切にする
- 慎重に見極める
- すべての流れに乗ればいいわけではない
- 『これは本当に自分の道なのか?』を問い直す時間も大切
- 気づきを大切にする
- 人生の転機の兆しは、小さな違和感や直感から生まれることが多い
- 『何かが変わるかもしれない』と感じたら、そのサインを無視しない
④歯車が動き出す瞬間を見逃さない
- 人生の転機は、歯車が動き出す瞬間に現れる
- その流れは、偶然のようでいて、実は必然的なもの
- 一度動き出すと、もはや元には戻れない
- その流れをどう活かすかが、運命を左右する



歯車が動き出したその瞬間をどう捉えるかが、自分の未来を決めて行くんだと思う。ということは、その瞬間にスピリチュアル的高次元にいた方がいいと考えているんです。
⑤なぜ『歯車が動き出す瞬間に高次元でいること』がいいのか?
- 低次元の意識では、転機の本質を見誤る
- 目先の快楽、恐れ、欲望に流されると、誤った選択をしてしまい、結果的に『大きな迂回』をすることになる。
- 例えば、短期的な成功や安心を求めて、本当は進むべき道を諦めてしまう。
- 過信、慢心などから、転機が訪れていることを見逃してしまう、認識できない。
- 高次元の意識なら、人生の本当の道を選べる
- 精神的にクリアであれば、人生の転機を正しく認識できる。
- 運命の分岐点で、『自分にとって本当に必要な選択』をすることができる。
- そのために、普段の在り方が重要
- 生活を整え、心の状態を安定させ、周りの人を大切にすることで、高次元の意識を保つ。
- それが結果として、人生の大事な場面で『正しい判断を下せる』状態につながる。
しかし、この次元の状態も、もはや世界精神と絶対精神の流れからすると、必然となる。人生の大きな迂回も、学びが必要な状態であれば必然となる。ある意味、自分にとって必要な選択。絶対精神により、必要な選択をさせられた状態とも考えられる。


この『自分にとって本当に必要な選択』の内容は世界精神による。それは自分ひとりの行動ではなくて、周りの人々も関わる歯車である。歯車ってひとつじゃないから。複数でしょう?それぞれの目的・課題と意識(ここは潜在意識)が一致したときに歯車が回りだす。結果は、その歯車に関わる人々全員にとっての最善として現れる。その最善とは、絶対精神による最善であるという視点が大事。
つまりは、良悪問われない。ナポレオンの最善が没落であったように。自分にとって悪いと思う結果でも、人生通して見れば必要な学びであり、結果として最善となっている。それをどう受け取るかは本人次第。



歯車ひとつひとつに役割があって、歯車が回り始めたときには役割が決まっている。俯瞰で歯車を見たときに、自分が携わっている世界精神がどのように動いているのか分かるんだと思う。
人生の転機を正しく認識することができる状態であれば、迂回の必要もない。更なる高みの絶対精神を掴むべく世界精神として突き進むだけ。それこそが、自分にとって本当に必要な選択になる。
そしてそれは、自己実現と自己超越に関する学びに直結していく。




⑥この考え方は合ってる?



歴史・哲学・心理学の視点から見たら、一応合ってると思う。他視点では見てないから、異論は全然認めますよ。
歴史的視点
- ナポレオンの例でも、『覇道的な性格』と『歴史の流れ』が重なったときに、彼は不可逆的な道を歩むことになった。
- もし彼がより俯瞰的な視点を持ち、『今こそ引き際』と高次の意識で決断できていたら、歴史は違ったかもしれない。
哲学的視点(東洋思想・仏教)
- 仏教の『悟り』も、結局は執着(低次の意識)を手放し、高い視点を持つことを説いている。
- 老子の『無為自然』も、力まず、流れを感じながら生きることで、正しい道に導かれることを説いている。
心理学的視点(フロー理論・マインドフルネス)
- フロー理論は、最高のパフォーマンスを発揮するには、『心と身体が調和した状態(高次元の意識)』が不可欠であることを示している。
- マインドフルネスも、日々の意識の持ち方が、人生の重要な選択に影響を与えると説く。



理にかなってるかなと推測。
言っときますけど、個人の意見です。
- 『転機のときに高次元の意識でいる』ことが、運命を左右する
- だからこそ、普段から意識を高め、生活を整え、周囲との関係を大切にする
- それが結果として『正しい選択』につながる
これらは、人間がよりよく生きるための、普遍的な法則だと思っています。そして、この考え方を実践することで、人生の転機に『正しい選択』をできる可能性が高まる。


個人が自己の本質を理解し、それを実践することで、より良い人生を築くための原則でもある。
これは、マズローの自己超越の概念と完全に一致します。
ヘーゲルの絶対精神=マズローの自己超越


ヘーゲルの歴史哲学では、世界精神は歴史を通じて自己理解を深め、最終的に『すべての法則や存在を意識する』段階に到達すると、それが絶対精神となる。
これは、マズローの言う『自己超越』=自己の限界を超えて、普遍的な真理と一体化する状態と一致しますよね。
マズローの自己超越とは、
- 自己を超えて、より大きな存在(宇宙・人類・歴史・自然)と一体化すること。
- エゴを超え、すべてのものをあるがままに理解し、受け入れる境地。
- 悟り・宇宙的意識・普遍的な愛に近い感覚。





どちらも、自己を超えて普遍的な存在と一体化するプロセスであり、本質的に同じものと考えられる。
ちなみに、アドラーは『人間の幸福は、どれだけ共同体感覚を持てるかにかかっている』と考えていました。これは、個人の成長が『すべての法則や存在を意識する』『自己の限界を超えて、普遍的な真理と一体化する状態』にあるという点で、ヘーゲルの絶対精神やマズローの自己超越と共通しています。
ヘーゲルの絶対精神=アドラーの共同体感覚


アドラー心理学では、最も成熟した精神の在り方として『共同体感覚』があります。
これは、『個人がエゴを超え、すべての人類や社会と深い結びつきを感じる境地』。
アドラーによれば、
- 人間の成長の最終段階は『自己中心的な考え方』から解放され、『全体(共同体・宇宙)とのつながり』を感じること。
- 『自分は世界の一部であり、世界は自分の一部である』という認識に到達することが、最も高次の精神の在り方。
ヘーゲルの『絶対精神=世界精神が自己を超え、すべての存在と一体化する境地』と一致。
世界精神が発展し、『全体とのつながりを意識する』ことが、絶対精神の本質であり、それはアドラーの共同体感覚とも一致する。
まとめ
ヘーゲル(絶対精神) | マズロー(自己超越) | アドラー(共同体感覚) |
---|---|---|
世界精神が歴史を通じて自己理解を深め、すべてと一体化する | 自己を超え、普遍的な存在(宇宙・自然・人類)と一体化する | 個を超え、他者・社会・宇宙とのつながりを感じ、調和する |
『すべての法則や存在を意識する』境地(絶対知) | 『すべてをあるがままに受け入れる』境地(悟り的意識) | 『自己と他者の区別が消え、全体の幸福を求める』境地 |
個と普遍の統一(理性の究極の形) | エゴを超えて、宇宙的な愛と調和する | 真理と一体化し、自己を超えた視点で世界を見る |
このように、どれも『個を超えて、より大きな全体との一体感を持つ』という本質を共有。
したがって、『ヘーゲルの絶対精神 = マズローの自己超越 = アドラーの共同体感覚』という関係が成り立ちます。



つまり、個人の成長(マズロー)、社会的なつながり(アドラー)、歴史的な発展(ヘーゲル)は、すべて『自己超越』という同じ原理でつながっているのかなと推測してみたのです。
何度も言いますが、個人の意見です。
まとめ
ヘーゲルは絶対精神という形で説明しているけれど、個人的には『宇宙的な理性』と言ってもいいのではないか?と考えています。
次元上昇という言葉を耳にすることもあるけれど、あの状態と考え方が類似しているから。けど、宇宙的な理論にしてしまうと、ヘーゲルとは少しズレてしまうのですよね。
スピノザになっちゃう。
ヘーゲルは、スピノザを『近代哲学の起点』と位置づけていたのは確かのようなので、影響は完全に受けているものと思われます。
記事では敢えて使っていません。混乱するといけないから。ヘーゲルはあくまでも歴史的な発展を述べてるから。
だけど、一理あるかなと。世界精神があり、歴史が発展する中で、絶対精神にも動きがあるわけですから。色々なパラダイムから最善を導き出す過程で、究極の絶対精神にたどり着く。
世界精神が進化し続ける限り、絶対精神も絶えず進化して行く、そしてその行きつく先が最上級の絶対精神(すべての法則や存在の完全な統合と理解)。
世界精神が自己理解を深める。その結果、絶対精神も進化するそして、歴史の進展とともに、絶対精神はより高次の状態へと到達する。
その過程で理論を整理していくと、ヘーゲルもマズローもアドラーも同じようなことを言っているな、、と感じたんです。
知識は疑え。



こういう風に考えると、面白いかなって言う持論です。


豆知識※ざっくり時代区分
思想史ざっくり年表(完成版)
年代 | 代表的人物 | 主要な思想 |
---|---|---|
紀元前469〜399 | ソクラテス | 無知の知・問答法 |
紀元前427〜347 | プラトン | イデア論・対話篇 |
紀元前384〜322 | アリストテレス | 形而上学・倫理学・論理学 |
1596〜1650 | デカルト | 近代哲学の祖『我思う、故に我あり』 |
1632〜1677 | スピノザ | 神即自然・因果律・感情制御 |
1711〜1776 | ヒューム | 経験論・懐疑主義 |
1724〜1804 | カント | 認識論・批判哲学・純粋理性批判 |
1770〜1831 | ヘーゲル | 弁証法・世界精神 |
1818〜1883 | マルクス | 唯物史観 |
1844〜1900 | ニーチェ | 実存・超人・価値転換 |
19世紀後半〜20世紀 | フロイト、ユング、アドラー | 無意識・分析心理・個人心理 |
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