私は自分のことを「ネガティブ」な方だと思っていました。
何事も悪い方向に考えて、起こりもしてないことを考えては悩む。
起きてしまったことを、いつまでも悔やむ。
あるとき、そういう自分に疲れ、嫌気がさし、ポジティブな人に憧れ、ポジティブ思考を意識して生活した時期があるんですが、ものすごーーく疲れて病んでしまいました。
ポジティブシンキングに疲れて、気がついたこと。
ネガティブな自分をも否定する、この自己否定こそが最大のネガティブなんじゃないの?ということ。
結局、ニュートラル、自然体でいるのが一番いい、というかそうしないと、自分との乖離が起きて病む。
この記事では、無理にポジティブを意識すると疲れてしまう理由、だからこそ、ニュートラル・自然体でいた方がいいと思ったワケについて、私の体験談をベースにまとめています。
ポジティブになりたかった過去の私
考えすぎだよ!って人に言われることが多くて、永遠に続くネガティブ思考に嫌気がさして、ポジティブな人見ると羨ましくて、なんかカッコよく見えて、180℃起動修正するかのように、ポジティブでいよう!と心に決めた経験があります。
その方が人生キラキラしそう!そういう人だと周りに人がたくさん集まりそう!華やかそう!なんて安易にも思っちゃったワケです。そういうの好きでもないくせに。人生の迷子。
別に陰キャってワケじゃないんですよ。
どっちかって言うと明るい方で通ってる。けど、自分に自信が持てなくてモヤっとしちゃってる時期があったんですよね。
プラス方向に考えた方が上手く行きやすい!みたいな「引き寄せの法則」みたいな考え方にも影響受けちゃって。
まぁ、私自身「引き寄せの法則」の理解の仕方がおかしかったと思います。心に沿わないで、引き寄せられるワケがない。
例えば雨が降ってたとしますよね?
雨の日だからって、気が滅入るなんて思っちゃダメ!楽しめるようにしなくっちゃ!(うざい人代表)
みたいな。疲れる、疲れる。
机の上に水の入ったコップがあるとします。あなたはどう思う?
↑こういうやつもありますよね?
コップに水が半分しかない、コップに水が半分もある
コップに水が半分しかない、コップに水が半分もある!
コップに水が半分もある!って答えたら、あなたはポジティブ!コップに水が半分しかないって答えたら、あなたはネガディブ!なんて言われませんでした?
- どっちだといいの?
- ポジティブっていいんだ
- ネガディブって悪んだ
って当時考えていたんですけれど、そもそもここが違ってるんじゃないのかな?って思ったんです。
置かれてる状況で、そんなの(半分しかない、半分もあるなんて)いくらでも変わりません?
人によって、環境・状況によって色んな見え方がある。
だって、水に飢えてる環境で「コップに水が半分もある!!」なんてちょっと考え辛いじゃないですか。
ここは「コップに水が半分しかない!」でしょう?
環境・状況で出る答えが変わるだけだということを知っておいた方がいい、それだけですよね。
けど稀に、水に飢えてる環境でも「コップに水が半分もある!」っていう人もいるかもしれない。
そこを理解した上で、(私の場合)ネガティブ思考で物事を見て、行動して行くことになる。わたしは、こういう思考回路を大事にしています。
コップに水が半分入っている、これが現実。
ポジティブ・ネガティブどちらも同じ環境・状況にいたとして、水が半分しかない状況から、どう思考して行動して行くか?これに違いがあるだけで、水に飢えてる状況なら、行きつく先はポジティブもネガティブも「水確保」これだと思うんですよね。
ポジティブ思考、ネガティブ思考、どちらにもメリットがありデメリットがあるので、そういう性質だけ気を付けていれば、どちらでもいいんです。
上手に水確保ができるんですよ。
とにかく自分を殺さない方がいい。ネガティブでもいいんです。
では、ポジティブとネガティブのメリット、デメリットって何でしょう?
ポジティブもネガティブもメリット、デメリットがある
一般的に↓ポジティブ思考とネガティブ思考の仕訳ってこんな感じじゃないですか。
- 積極的で行動が速い
- 楽観的、前向き
- 行動が慎重、心配性
- 悲観的、落ち込みやすい
見ると、やっぱポジティブ思考に憧れやすいですよね。でも、、故の・・・・デメリット・メリットというものも存在していると思うんです。
例えば、ポジティブ思考は常に前向きで、物事を深く考えない傾向が強いが故に「現実逃避」気味になってしまい、無責任だとか、失敗から学ぼうとしないとか。
ネガティブ思考は一般的に捉えられていること事態がなんか暗いイメージですが、心配性で物事を深く考える故の「リスク回避力がある」ともなりますよね。
行き過ぎなければ、どちらでも魅力的なのです。
行き過ぎそうになったら、こんなときポジティブさんならどう考えるだろ?ネガティブさんならどういう行動に移すだろうって、いい所取りをすればいんですよ。
ポジティブに憧れてたんですが、ネガティブな自分にもいいところあるじゃないかって思えたら、別にポジティブなんてどうでもよくなったんです。
まぁ、両方最高なんです。
なのに、無理にポジティブを意識してしまうこともありますよね?疲れません?
無理にポジティブを意識すると疲れてしまうワケ
だって、元々が慎重派なのに急に行動的に思考を変えるって、そもそもが無理筋なんですよね。
なんでかって、人からも誤解を受けやすくなる。
人から見える私に変化が起こる。
つまりは、周りから見られる自分と、本当の自分の間に乖離が起こるという悲劇が起こる。
ネガティブな自分をも否定する、この自己否定こそが最大のネガティブなんです。そんなこと、そもそも上手く行くワケないじゃないですか。自分を偽るワケだから。
こんなことすると、周りの反応(評価)まで驚く程に変わっちゃうから、どんどん本来の自分と遠ざかるワケですよ。すると、自分との乖離が起きちゃって。
こんなん続けてたら「鬱」になっちゃうわ・・辛い・・
と思い出しました。
結局根が慎重派だから、例えばミスったときに、本来なら反省もするワケです。猛反省して、どこが悪かったんだと分析に移る。そして、謝罪が必要なら必要なところに謝罪し、行動する。応援が必要なら、依頼する。
十っ分反省しているのに、妙にポジティブぶって、
やっちゃいました。失敗しないように頑張ります♪
あろうことか、こんな言葉を上司の前で安易に放つとするじゃないですか。
もちろん前向きさも大事なことなんだけれど、上司によっては伝わらなくて、激怒になる慎重派な上司もいたりすると思うんですよ。
すると上司から、
そんな単純なことじゃないんだよ!分かっているのか!!
なんて、すごく怒られたりね。
今まで言われもしなかったような言葉も受けることになりますよね。自然と。
ポジティブな性質なら、これに耐えられるんだけど、根がネガティブだから、ボッキリ折れやすい。
だけどポジティブ風だから、勘違いされて言われちゃう。
だって、ポジティブそうな人への対応と、ネガティブそうな人への対応って違いがあるでしょうからね。
ポジティブそうな人って、言っても大丈夫ってレッテル貼られそうじゃないですか。
本当は、猛省しているのに、妙にポジティブぶるから相手にそれが伝わらない。ここでジレンマが起きてくるワケです。
本当の根っからのポジティブさんだったら、そこまで落ち込まないかもしれないけれど、元がネガティブ(慎重派)なので、落ち込みやすいワケです。
しかも、安易にポジティブぶらなければ、思ってもない「次、また頑張ろう!」みたいな言葉言わなければ、注意されもしなかったのに。
なので、どうにも自分って偽れないのですよ。心に嘘つけない。それが人です。
どちらのタイプであっても、結果が自分の思う通りでなかったとしても、ある程度で切り替えられる、反省の仕方は違えど、次に向けてちゃんと行動できるということが大切なだけと思います。
ネガティブでも良いんだって知れば、ネガティブの上手い使い方を探していけばいいと思えたのでした。
現在のわたしは、やっぱり物事を慎重に考えてから行動に移します。けど、起きた出来事をいつまでも悔やむということはありません。選んだ道が最善。慎重に考えてからの行動だから自負もできる。その自負を得るために考える。だから失敗は無いんです。考えた末起こったことなら、それは失敗にならない。ただの結果です。そこからまた仕切り直せばいいだけ。そういう考え方をしています。
要するに自然体が一番なのです。
ニュートラル・自然体でいれる秘訣「思考の遮断」
そこで私は「思考の遮断」をしていきました。
- 起きてもいないことを、あれやこれやと考えるのを止める。
- 自分の思い、想像だけであれやこれや考えるのを止める(見たものだけ信じる)。
自分で最善だと思ったことを自分なりにしていく、それだけでいいと思いました。分からなければ直接問いかけて、相手から生の声を聞けばいいし、自分の思いは伝えるだけでいい。とにかく考えない。
置かれている状況・環境は、人によって違うから、起きたことが同じように見えているとも限らないし、場所が違えば評価も変わるし。
分からないから考える、だから本人に聞きゃいいし、自分の思いを伝えた後に、○○と思わないかな?悪い気しないかな?なんて、くっだらないことを考えるのをまず止めました。
そもそも「○○と思わないかな?悪い気しないかな?」は全て自分の思考であって、相手の思考ではないのです。
相手にも失礼・無礼ですよ。
自分が一生懸命考えて、これが最善でしょ。と思って相手のために行動ができたなら、それだけで100点満点でしょう?
それで結果が出て揉めるようなら、反省もヨシ。反省の必要なんてないだろっと思えたら、関係を絶つのもヨシ。だと思いませんか?
でも、慎重派のわたしが考えたことで出た結果は、やっぱり私にとって最善です。最善じゃないワケがない。それくらい自負があります。
去る者があれば、追わない!
だってあなたは、相手のために一生懸命考えることができたから。
それがあなたの自負になる。
これが目の前にいる人を信じることだと思っています。
両者がいるから上手に世の中回っている
雨の日を楽しむ人、めんどくせーって思う人、どっちなのか?ってだけで、どっちが悪いってワケじゃないし、どっちかに合わせなくちゃいけないってワケでもない。
雨の日には虹が見られるかもしれない!何て無理に思おうとしなくてヨシ。
(そんなことするから病むんだ)
見ることができたら、それはそれでラッキー、でも雨めんどいわーくらいでヨシ!
ポジティブになれるときはなればいいし、辛い時は辛いと言えばいいのです。
ずっと歌を歌いながら前だけ向いて歩き続けることができる人なんていないと思います。
生きてりゃ、色んなことがあるから。
行動派なポジティブな人だけで世の中は回っているのではなくて、慎重派のネガティブな人も必要で、両者がいるから上手に世の中回っているんだと思ってます。
「ネガティブ」って聞くと、悪いイメージが先行しちゃってますけど、別に悪いことじゃないんです。
感じ方が人によって、別れているってだけ。
ただ、それだけ!だから無理に違う何かになろうと、自分を変える必要なんてないと言い切ります。
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