Imagine Dragonsってバンド、賛否両論なんですよね。
ちなみにわたしは好きなんですけど。
同じ曲を聴いているのに、
感想がまるで別物になる。
例えば「Wake up」という歌。
表層だけ聞けば、
- 目を覚ませ
- 困難に直面しても立ち向かえ
- 勝利への強い意志
こんな感じの鼓舞の歌になるのかな。
でもわたしの耳にはこう聞こえる。
- ぼんやりするな
- 投影を見抜け
- 同調するな
- 嫉妬を背負うな
- 擬態しろ
- でも消えるな
- 負けてたまるか
ほぼ世界サバイバル指南書ね。
Imagine Dragonsのボーカル、Dan Reynoldsは、
セラピーに通っていたことを公言していて、
この曲も「弱い自分を追い出す歌」だと本人が言ってるんだよね。
つまりこれは成功者の勝利宣言じゃない。
崩れないための自己対話。
けど、聴き方が割れる。
どっちが正解かじゃない。
理解の温度が違うだけだと思うんだけど。
歌も多分、いつもこうなんだと思う。
同じ音を聴いているのに、
人はそれぞれ別の世界を読んでいる。
アクティブラーニングって、読み方を増やす訓練でしょ。
この表層読みがあるのはいいんだけど、
いくつもの表層読みが無いと(視点を増やす)、
世界は変わらないと大げさに思う。
ちょっと記事にまとめてみました。
なぜ同じ歌なのに「刺さる人」と「刺さらない人」がいるのか

同じ歌を聴いているのに、
まったく違う意味に聞こえる。
本もそうだけど。
これは不思議でも何でもなくて、
聞こえ方=その人の世界の見え方になる。
歌そのものに意味が入っているわけじゃない。
意味を作っているのは聴く側。
物語と違って、歌は物語構造より感情構造を読むでしょ。
つまり人は、歌を聴いているようで自分を読む。
ヘルメネウティクス(解釈学)。
簡単に言うと「人は作品を読むとき、自分の人生で読む」。
わたし、物語は構造読解をするんだけれど、
歌に関しては心理構造を読む方に触れてるんですよ。
だから、余談だけど、
分かりやすい邦楽ポップスが苦手でもあるんだけど。
髭男の「Subtitle」くらいあると、聞ける。
歌は小説みたいに骨組みが見えないじゃない。
だから、わたしの歌の読解は、物語を読むより
心理を読む作業に近くなる。
つまりどういうことかというと、
歌って、
- 情報が少ない
- 抽象度が高い
- 余白が多い
- 反復が多い
完全に、読む側が意味を補う前提のテキストじゃん。
そういうのは、ヘルメネウティクスになる。
読者の経験がそのまま意味になる。
一方で物語って、
- 配置がある
- 対比がある
- 伏線がある
- 視点が設計されてる
構造が先にあるから。
だから構造読みが効く。
そういう感じ。
同じ歌詞でも、本当の摩擦を知っている層には
本気の生存戦略に聞こえる。
ここでいう摩擦は、外との衝突だけじゃなくて、
内側が崩れそうになる摩擦も含む。
それを知らないと、
歌は表面だけをなぞるだろうから、
一気に「ありきたり」に聞こえるんだろうね。
「負けるな!」みたいな。
歌は変わっていない。
変わっているのは、読む側の構造。
だから歌はBGMじゃなくて、

あなたの内側を映す鏡でもあると思う。
洋楽ほど、考えさせられるものはないと思う。
どういう意味!?っていうね。
持論であり、勝手なうたの解釈


この歌が言っているのは、勇気の話というより
世界の中でどう自分を保つかの話に聞こえる。
もちろん、持論であり、勝手な解釈。
それをまとめてみようと思います。
- カメレオンでいろ、でも飲まれるな
- 嫉妬は敵じゃない、投影だ
① カメレオンでいろ、でも飲まれるな
社会は常にこう言ってくる。
浮くな。
合わせろ。
空気を読め。
だから擬態は必要なんだろうな。
カメレオンになるのは、生存技術の比喩じゃないのか。
問題は、ここで多くの人が
“自分ごと消してしまう”こと。
合わせすぎて輪郭が消える。
この歌が言っているのはたぶん逆で、
染まるなとは拒絶しろじゃない。
選べという意味なんだと思う。
必要なときは合わせる。
でも核は残す。
固まるな。
流動しろ。
擬態と自我の両立。
これが世界のサバイバル。
多分。
② 嫉妬は敵じゃない、投影だ
嫉妬は攻撃に見える。
嫉妬する自分もまた同じ。
正体は、
相手の不安の投影であり、
相手に見えるのは自分の投影である。
人は自分の怖さや劣等感を
他人に貼りつける。
自分も同じ。
だから嫉妬される、する瞬間は、
相手の問題を背負わされる瞬間
自分の問題を露出させられた瞬間
でもある。
そして、自分はそれを並べて自分の欠乏にイライラし始めるけど、
そのイライラは自分のものじゃない。
「自分のものじゃない」とは、幻想ってこと。
ここで境界線を引けるかどうかで人は消耗する。
人は、特にここで揉めるよね。
いずれにしても、それはあなたの荷物じゃない。
この歌が言っているのは
戦えじゃない。
惑わされるな、だと思う。
ここまで読み込む必要性があるのか?
と問われると、必要性は無い。
表層だけ読む人、深く読む人、それぞれでいいんだと思う。
読みの深さは自由。
でも、テキストから離れすぎたら読解じゃない。
ここで急に教育の話になる


この歌をアクティブラーニングに落とし込むのなら、やることは感想共有じゃない。
構造を読む練習にする。
雑にやってみる。
- この歌の授業構造
- アクティブラーニングが誤解された理由
- 教育がやるべきことは“意味を読む力”
① この歌の授業構造
まずは普通に聞かせる。



この歌、どんな歌に聞こえた?
ここでは「応援歌」が正解でいい。
ここを否定しない。
表層は大事。
解釈の分岐を作る
次の問いを入れる。



この歌は“誰に”向けて歌ってると思う?
ここで読解が割れる。
- 立ち向かう人への歌
- 自分への歌
この瞬間にヘルメネウティクスが起きる。
「you」を自分と聞くのか、他の誰かへのメッセージと取るのか。
生徒は何かしら気づくよね。
同じ歌なのに読みが違う。
ここが学習の核心になる。
投影の部分を導入する
Jealousy is gonna be your failure, not mine
Winnin’
次の問い。



これ、どいう意味だと思う?
うらやましいとか、ずるいって言われた経験、思った経験とかはある?
ここで歌と現実が接続される。
欠乏がとか、難しい説明はいらないから。
歌詞 → 心理 → 自分の経験
物語が自己理解になる。
こういうのを入れてもいいと思う。



歌詞では「嫉妬はあなたの失敗の原因になる、自分のじゃない」ってあるけど、どういう意味かな。
嫉妬って、相手を見ている時間そのものなんだよね。
その時間、自分の人生は止まっちゃう。
だから“あなたの失敗になる”。
そんな感じであれば、「投影」についてクドクド説明する必要もないし、核心にも触れられるのかな。
難しいけどね。
構造化する
最後にまとめる。
この歌は
- 困難に立ち向かう歌
- 同調圧力の歌
- 嫉妬(する・される)に打ち勝つ歌
- 自己保存の歌
どれも成立するから。
つまり
作品は一つ、読解は複数。
これが構造。
正解を当てる授業じゃない、
読み方(視点)を増やす授業。
これが本来のアクティブラーニングだよね。
前提がいくつもある表層読み軍団ならいいのよ。
前提がひとつだと思い込んだ表層読み軍団が危険。
鍛えないと、前提ひとつ軍団ができあがるでしょ。
主体性も育たない。
② アクティブ・ラーニングが誤解された理由
学校は長い間、
話し合えば深くなる
意見を出せば理解が進む
と思ってきたのかな。
でもこれは半分だけ正しいけど、
話し合いは、読める人同士がやるときだけ深くなるから。
ごんぎつねがいい例だよ。
大人が読めてない。
青い煙=悲しみの象徴。
どこがアクティブだか。断定。
読解の層を教えていない状態での議論は、
ただの感想交換で終わるでしょ。
思考の型も渡していないから、読めない。
つまり、
- どう読むか
- どこを見るか
- 何を問いにするか
を教えてない。
これでは深くなりようがないんだよね。
理想の教育法だけど、理想論がすぎて…
これが実現できたら、そりゃ変わるよ、世の中は。
どういう導入だったんだろうな。
③ 教育がやるべきことは“意味を読む力”
難しい言葉で言うとヘルメネウティクス。
これが、アクティブラーニングの元なんじゃないのかなと思う。
物語を読む力は、世界を読む力と同じ構造をしているんだよね。
検証してみて、わたしがそうだったから。
- 人の言葉
- 関係性
- 空気
- 嫉妬
- 同調圧力
全部“読める”。
実際、わたしの読書法も同じ回路を使っている。
物語を読むときにやっていることは、
そのまま現実でも起きている。
だから読解は、教科の技術じゃない。
生活の技術。
ただ、ストーリー読みだけだと主観に偏りやすい。
自分の経験だけで読んでしまうから。
そこで必要になるのが、構造読みの技術。
- 配置
- 対比
- 視点
- 反復
テキストの骨組みを見る力。
構造が見えると、解釈が暴走しなくなるから。
主観と構造のバランスが取れる。
ここで初めて、読解は安定するんだと思う。
まとめ|構造を読める子は、世界を生き延びる
構造が見える人は、飲まれないって話。
- 構造が見えると飲まれない
- だから読解は人間を理解するためにある
① 構造が見えると飲まれない
なんでそうなっているのか?
構造がわかると、
反応が変わるじゃない。
防御ではなく、理解になる。
ここで初めて、自分の軸を守れる。
強くなるんじゃない。
崩れにくくなる構造。
これが読解の力、つまり人間理解の力にもなると思う。
物語を読める人は、
人も読める。
空気も読める。
自分も読める。
つまり生き延びやすくなるでしょ。
読解は知識じゃない。
人生の装備でもあると思う。
世界を読む練習。
Imagine Dragonsの歌が
応援歌に聞こえるか
生存戦略に聞こえるか。
その差はセンスじゃなくて、読解の装備の差。
そしてその装備は、
後天的に身につけられる。
生存戦略まで行けると、割と、
世の中理解できてると思っていいんじゃないかな。
と、思うんだけど。
あなたはどう思った?
けど、こういう洋楽の読解授業って、中学・高校くらいってどうなんだろうね。
面白そう。



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