『魔女の宅急便』で、孫娘の為にニシンのパイを焼いた老婦人が、キキを呼び出して、 チョコケーキをキキという女の子に届けてほしいと頼むシーンがあります。
我が娘は、このシーンが一番印象に残ったそうです。
感想文の書き方と、ニシンのパイを例にアドラー心理学で言う『課題の分離』について、子どもに説明したことを綴っておきます。
魔女の宅急便※おばあさんの粋なはからい
『わたし、修行中なのに。魔法がなくなったら・・・、わたし、なんの取柄もなくなっちゃう。』
ー略ー
キキは配達を頼まれて、(以前、孫娘のためにニシンのパイの配達を頼んだ)おばあさんの家にやってきます。
おばあさんは、いたずらっぽく、『それ(チョコケーキ)を、キキという子に届けて欲しいの。この前とてもお世話になってねぇ、そのお礼なのよ。ついでに、その子の誕生日を聞いてきてね。また、ケーキを焼きたいの。』
キキは、おばあさんの優しい顔を見つめました。
嬉しくって、涙が出そう。キキは、こぼれかけた涙を拭うと、笑顔で言いました。
『きっと・・・、きっと、その子も、おばさまの誕生日を知りたがるわ。プレゼントを考える楽しみができるもの!』
その後、友だちのトンボを助けるシーンが追加されたみたいですね。
娘に、感想文にどんなところを書きたいのか聞いたところ、このシーンがとても印象に残ったと言ってきました。
魔女の宅急便※娘の感想と取り調べ室

尋問の内容は、こんな感じに進みました。
はっきり言って、取り調べ室みたいな感じです。
※書いていいかどうかは、娘に許可とりました(ありがとう)

キキは優しいと思った。



なんで?



魔法が使えないのに、おばあさんに優しかったから。



なんで優しいと思ったの?



魔法が使えないのに、おばあさんに『プレゼントを考える楽しみができる』って言えてたから。



プレゼントを考える楽しみができるって言えると優しいの?



・・・魔法が使えないのに、言ってたから・・・



魔法が使えないのに、プレゼントを考える楽しみができるって言えると優しいの?



だって、魔法が使えないのに・・・
わかります?この不毛なやり取り感。
そして私の力説になる。
魔女の宅急便※力説してしまったところ


子どもは『魔法が使えなくなったのに、おばあさんに優しい言葉を掛けることができていたから。』とわたしに説明していたんですが、わたしは、魔法が使えなくなることと、おばあさんに優しい言葉を掛けることができていたことはイコールにならない、成立しないって伝えたんですよ。



魔法が使えなくなったのに?魔法がどうかしたの?
となる。要するに、主要な部分が言えていないという指摘です。



怖ぇぇ、厳しい・・・と思ったあなた、強く同意します。
けれど、大事、とても。
それ以前のページで、キキは『わたし、修行中なのに。魔法がなくなったら・・・、わたし、なんの取柄もなくなっちゃう。』って言ってるんですよ。
取柄もなくなったと思っている部分が抜け落ちてる。
魔法が使えなくなって自分は落ち込んでいるのに、おばあさんに優しい言葉を返すことができていたから、優しいと思った。
だったら、とりあえず正解としてたでしょう。
まだ小学三年生だから、これくらいで大丈夫(と思う)。
娘としては、魔法を使うことができなくなって、取柄がなくなったと思って、心が荒んでいる状況にも関わらず、人の優しさに気づき、同じような言葉を返すことができている。
ということが言いたいんだと思うんです。
心が荒んでいると、人の優しさに気が付きにくいんですよ。思考レベルが落ちるから。



おい、それは分かってんの?



それは、分かってる。
だったら、『魔法が使えなくなって、自分には取柄がなくなったと落ち込み、心が荒んでいる状況にも関わらず、人の優しさに気づき、おばあさんと同じような言葉を返すことができていたから、優しいと思いました。』こうじゃないと成立しないよ。
という話を永遠としたという。娘、ドン引き。
魔女の宅急便※チョコレートケーキ


キキは、魔法を使うことができなくなって、宅急便をするために、魔法を使って頼まれたものを配達していたんだけれど、色々な出来事が起こり、自分が存在する意味を見出せなくなったのかもしれない。
勝手な想像ですよ。
ワクワクして始めた仕事でも、辛いと思うような出来事に遭遇することもある。
けれど、おばあさんが最後に、キキのためにチョコレートケーキを焼くじゃないですか。
『それ(チョコケーキ)を、キキという子に届けて欲しいの。この前とてもお世話になってねぇ、そのお礼なのよ。ついでに、その子の誕生日を聞いてきてね。また、ケーキを焼きたいの。』
キキは宅急便屋さんで、お仕事をしている最中。そのキキへ『ケーキをどうぞ。』とは言えないだろうし。
そこからキキが、『きっと・・・、きっと、その子も、おばさまの誕生日を知りたがるわ。プレゼントを考える楽しみができるもの!』と言えているところ。



魔法が使えなくなったのに、この言葉が魔法でしょう?
と娘に伝えました。ここまで考察できたらいいねと。
宅急便屋さんが、言葉の送りものをもらって、自分も魔法みたいな言葉を届けることができたじゃんっていう勝手な想像です。
ニシンのパイを天候が悪い中、一生懸命届けてくれたキキの行動と気持ちが、おばあさんに伝わって(届いて)いたんだろうと思います。
宅急便を続ける意味が見えてきた瞬間ですよね。
そして、飛行船を追ってトンボを助けに行くシーンに変わり、魔法が戻ったというお話。



『プレゼントを考える楽しみができる』って言われたら絶対嬉しいでしょう?
ちなみにわたしの回答は、



『魔法は使えなくなってたけど、おばあさんに『おばあさんのプレゼントを考える楽しみができた』という魔法のような言葉を返す(届ける)ことができていたから、優しいと思った。』というもの。
何度聞いても『魔法が使えなくなったのに』だったから、あぁいう取り調べ室みたいな感じのやり取りになったっていう、、、
娘とわたしの結論はこうなるかな。
『魔法が使えなくなって、自分には取柄がなくなったと落ち込み、心が荒んでいる状況にも関わらず、人の優しさに気づき、おばあさんに魔法のような言葉を届けることができていたから、優しいと思いました。』
ところで、『ニシンのパイ』覚えていますか?
魔女の宅急便※ニシンのパイからアドラー心理学を考えてみる


キキが、おばあさんと一緒に焼いた『ニシンのパイ』を孫娘に届けたときのシーンをアドラー心理学で考察してみたいと思います。
先に言っときます。



魔女の宅急便にアドラーとか持ち出して、お前のせいでファンタジーが台無しだよってなるかもしれない。分析したいの。お願い許して。
- 魔女の宅急便から見る、課題の分離の仕方
- ゲシュタルトの祈り
①魔女の宅急便から見る、課題の分離の仕方
宅急便という仕事を通して、キキが学んで行くお話だったと思うんですが、おばあさんの焼いたニシンのパイから始まりましたよね。
雨に打たれながら一生懸命届けたけれど、女の子から『要らないって言ったのに、わたしこれ嫌いなのよね。』と言われ、ドアをバタン!と閉められる始末。
頼まれた品物を運ぶという仕事の中で、
- 配達を頼む側の、孫娘のためにパイを焼いた優しいおばあさん
- 一生懸命(雨に打たれながら)パイを届けた自分(キキ)
- ニシンのパイを届けられた孫娘
この3者の気持ちを全部受けたキキの心境は複雑だったと思います。
自分の仕事って何なんだろうと思ったかもしれない。
①~③まで全部知ってるキキ。①はおばあさんだけ、②・③は孫娘。
きっと、喜んでくれるだろう、、という期待と責任を受けて届けた中、孫娘のあの態度と発言。
孫娘側からしたら、お友だちとワイキャイ楽しんでいる最中に、要らないと言っていた『ニシンのパイ』が届いたワケで、イラっとしてしまったのかもしれない。
ところで、ニシンのパイってご存知ですか?
↓魚刺さってるんです。





食べるのに、ちょっと勇気いる(ごめん、おばあさん)。
感情のまま、ニシンのパイを届けただけの(ニシンのパイとは関係ない)キキに『要らないって言ったのに』という言葉も出ちゃうほどですもん。よっぽどでしょう。
わたしたちの生活でも、よくある光景ですよね。



わたしに言われても・・・・
って言うこの感じ、けど言う人ってずっと話しますよね。『ここに言っても仕方がないんだけどさぁ』とかいう前置きがあればまだマシかな、とにかくずっと言いますね。
言いたくなる気持ちも分かるときは、もちろん聞きますよ。
↓キキの感情として当てはまるものは、『辛い、解せない。』こういう感じでしょうか。
わたしはパイを届けるのが仕事。おばあさんがパイを一生懸命作ってたのを知っている。とても優しそうなおばあさん。道中、大雨に打たれ大変な目にあって、ようやく孫娘にパイを届けられたと思ったら暴言を吐かれ、ドアをバタン!と閉められた。すごくショック。気持ちのやり場が無い。
わたしなら、



関係ないわたしに毒吐いてんじゃねーよ。
こうですけど、物語成立しないから。
何のために、あんな大変な目にあってパイを運んだんだろう。届けて嬉しがるかと思ってたのに、孫娘からは『要らないって言ったのに。わたしこのパイ嫌いなのよね。』という予想もしない毒台詞。



ウソでしょ?
ここで課題の分離をして解釈をすると、恐らくこうなるんですよ。
わたしはパイを届けるのが仕事。おばあさんがパイを一生懸命作ってたのを知っている。とても優しそうなおばあさん。道中、大雨に打たれ大変な目にあって、ようやく孫娘にパイを届けられたと思ったら暴言を吐かれ、ドアをバタン!と閉められた。すごくショックだったけど、おばあさんが孫娘のために一生懸命作ったパイを無事に届けることができて良かった。
要するに、配達を頼んだのはおばあさんです。そして自分の仕事は届けること。だから、おばあさんから頼まれたパイを無事に届けることができたら、それで大丈夫。
こう考えることが、課題の分離と言います。よーく見かけるのが、



道中大変だったんだって!!こっちは嵐みたいな雨で服びしょびしょなのに!それなのに、あの態度何!?おばあさんを何だと思ってるの!?お礼は!?とか、次から次に出るわ出るわ愚痴の嵐。
これじゃ物語成立しないけど、こう思った読者も多いんじゃないかと思います。
これを、わたしがいつも、自分の中でどうやって収めているかと言うと、



道中、大雨が降ってたのは、天候の悪化だから誰も責めることができない、それでも無事にパイを届けることができた自分を誇りに思う。孫娘の態度には気分を害されたが、それは孫娘の課題。おばあさんに『要らない』と伝えたかどうかは知らないが、自分には一切関係がない、どうぞお学びください(学びやがれ)。
あらかたこう考えているので、腹も立ちません。
その後キキは、魔法を使うことができなくなりましたよね。
宅急便をするために、魔法を使って頼まれたものを配達していたんだけれど、『魔法を使って空を飛び、届け物を届ける』そこに意味を見出せなくなったのかもしれないし、自分の存在意義を問うたのかもしれない。
買ったもの、作ったもの、そういったものを人にあげたときに、誰もが喜んで欲しいと思いますよね。
けど、思ったような反応が返ってこなくて解せない、こういう経験ありませんか?
こういうときには、プレゼントしたものを相手がどう思うか、扱うかは相手の行動(課題)であって、自分では決めることができない部分だと思える考え方が便利です。
これを、アドラー心理学で言う、『課題の分離』といいます。


色んな人がいるので、『せっかく焼いたのに(作ったのに)、何その態度!?』これを止めてみる。



作るって決めたのはだぁれ?



わたしです。
こうなるから、自責だ。
そこで、相手を咎めるのは止めるってことです。
そこから、相手とのお付き合いをどう考えるか?は自分が決めたらいいことなんです。
でも、もうひとつ。



自分が誰かから何かをいただいたりしたときには、必ず『ありがとう』で、その人に感謝。一応書いときますが、これは人間関係の原理原則です。
アドラー心理学の課題の分離は、人間関係を構築して行くのにとても便利。
ゲシュタルトの祈りってご存知ですか?
②ゲシュタルトの祈り
この詩は、アドラー心理学を基とした心理療法『ゲシュタルト療法』を確立したドイツ人の精神科医フレデリック・パールズとその妻のローラがよく提唱していた詩だそうですが、冷たく突き放した印象を与るせいか、賛否両論あるそうです。わからんではない。
※ちなみにアドラーは、個人心理学(アドラー心理学)を創始し、『7つの習慣』のコヴィー博士などに影響を与えた人物
『出会える』は『理解できる』『学べる』でもいいと思います。



これは、自分を信じて自分の意志で自分の足でしっかり歩いて行くという意味で、あなたの期待に応えることができたとしても、それは自分の意志で決めて行動した結果である。ありのままの自分とあなたを認めた上で、誠心誠意向き合った結果、相容れることができれば、それは素晴らしいことであり、相容れないと気付いたなら、それもそれ。という思考だとわたしは理解しています。
仏教で言うなら『諦める(明らかにする)』こんな感覚ですね。
そこからの関係性構築になるだけの話で、冷たくはないんですよ。
一応、こんな風に書いてはいますけど、この考え方って、双方に理解が必要なんですよ。これって、アドラー思考って、冷たさしか伝わらないこともあるから。これを自分ひとりで理解しちゃってても、双方に信頼関係・歩み寄りが無いと揉めることがある。
色々です。
わたしがなぜ相手に求めないかというと、ソクラテスですよ。『無知の知』、知らないことすら知らない状態であることがある。そこに気づきが無い限り、伝えたとしても変わらないんです。思考が変わらないから。
全ては気づきにある、これが痛いほど分かってるから、相手に求めることをしないというか、することに意味が無いことを知っているからじゃないですかね。伝えたら思考って変わると思うでしょう?人がどれだけ変わらないか、変わることができないかを身をもって、嫌というほど見てきて、知らされてるからだと思う。
思考へのアプロ―チってそれくらい難しい。
だから『ゲシュタルトの祈り』になる、理解してくれようとする人がいると感謝になる。
こんな経験があります。
『食べなかったのに、何で怒らないんだっ』て言われたことがあるんですよ。
怒られた。
そっから揉めた。



食べるかどうか決めるのはそっちの課題で、こっちの課題じゃないだろうが!!
アドラー心理学の方法で初めて揉めた。こんなことある?『した側(作った側)』なのに怒られた。食べてないのあっちなのに。



わたしは、アドラーを支持してますが、そんなことで怒る人よりも、美味しく食べてくれる人の方を圧倒的に支持します。
腹立って、こう伝えました。で、もっと揉めたんですけどね。
反省するだろうと思ってたら、あろうことか、まさかの、こっちに反省を求めて来やがったんですよ。結果、どうなったかって、大爆笑です。だって、おかしすぎるでしょう?頭が。
考えた先に出た、ひとつの結論ですが、自分の気持ち(感情)を言えばいいんだと思います。
例えば、



食べてくれたら、嬉しかったです。
とか。



『食べなかったのに、何で怒らないんだっ』と言ってくれて、笑い泣きしちゃいました。泣き笑い。どっちだろ。泣き笑いだ。
とか。
アドラー思考のわたしと多分、真剣に向き合ってくれようとしてるのが分かったんですよ。いつも感情を省くから。課題の分離は、分離した後に課題に向き合い、感情は感情として伝えるのが正解ですね。こういうのを伝えるのを忘れると、わたしみたいに揉めることもある。普通揉めないのに。
と、当時は、そうやって解釈したことを伝えました。そしたら揉めなかった。けど、真実は、真剣に向き合おうとしてくれた、とは違うと思う。私と向き合う前に、自分と向き合う必要がある人だったから。
相手にされてないと感じて(相手は誰でもいい)、勝手にプライドが傷ついたのかも?しれないし、自尊心(プライド)への執着でどうしようもなくなり、してしまった、言ってしまった行動かも?しれない、見方は色々ですよね。けど、そういう状態すら相手は気が付いてないというのも分かってはいて(それは相手の課題で、私には関係がないことだから)、そんなことはどうでも良かったんですよ。
ただ、すごく面白かった、あんな言葉言われたことがないから。なんとなく、面白かった。爆笑してしまった。そういうことすらを忘れてしまっている自分もいたから。小さな気づきがあった。もっと自分を大事にしようとも思えた。
結果、どういう意図があったか?真相は未だにわかりませんが、気づきに感謝。



伝えるか伝えないかも、もちろん自分と自分の立場次第ですけどね。わたしの場合は、青文字の部分は相手に伝えていません。伝えたら揉めるでしょ?笑
知らぬが仏ってこのことで。あと、相手の課題であって、自分で気づた方がいい部分だから、黙ってました。相手への配慮、尊重です。
次元対応については、こちらの記事をどうぞ↓


キキの場合は、働く側だから言えないっていう立場がある。
何かをする前に、自分に問うといいんです。



それをそうしようと決めたのはだあれ?



わたし。
すると、覚悟ができるし、できないことはしなくなる。そして経験することで、何ができることで、何ができないことなのかの線引きもできるようになってくる。
それをするためには、やっぱり自分というものの理解は必要で、その自分を他者が理解しようとしてくれているという状況、理解してくれているという環境があれば、それは感謝しかありません。
たまに思うんですよ、ソクラテスとか言ってる私ってどうなんだろうって。言ってるだけで、大体のことは適当なんですけど、そこは全然伝わらないから。けど、そこを理解、語れるって奇跡でしょう。大体引くから、だからとても有難い。



ちなみに
ソクラテス:紀元前469年頃
アドラー:1870年2月7日~1937年5月28日
フレデリック・S・パールズ: 1893年7月8日~1970年3月14日
ソクラテスの『無知の知』があるから、ゲシュタルトの祈りになる。
魔女の宅急便※まとめ
宅急便として働くことを決めたのはだあれ?・・・わたし。キキの場合は『魔法』があったから、そういう選択肢ができたんだと思います。
偶然パン屋さんに居候することになったから、それは『縁』。そういうのは流れに沿う生き方になります。
このとき『運』をどこで見るか。
序盤で、ホウキに乗っておしゃぶりをお客さんに届けたことで、おソノさんに出会ったところ。
まずは、行動して『運』を掴まないといけないんです。
じっとしてたって、何も始まらない。人生の成功者に共通して言えることは、『やるか、やらないか』その1択だけって知ってましたか?
ただ、まだ先を見通すことができない(弱い)分、悩んだりすることも多いはず。特に、キキは13歳ですから。そりゃ悩むこともある。
そういうときには、何も考えず、周りの信頼できる人の意見を聞いて動いてみるのも一手だし、目に見えてくるもの、聞こえるものは全部メッセージだと思った方がいい。
キキは絵描きのウルスラ、おばあさんに元気をもらってましたよね。
そのメッセージをキャッチする力を身に付けないといけなくて。そういう見方が蜘蛛の巣思考を作って行くから。キャッチ力は蜘蛛の巣の目の細かさになって行きます。



ちなみにわたしのは、細かいです。相当俯瞰的に見る。はい、自慢です。努力したから。そこから相当のパラダイムを見て、どのパラダイムが正解かを見ないといけないから。軸になる人も変えて見て、そこから原理原則に従って情報の取捨選択をして行く。


では、俯瞰的な見方を教えるとすれば、今まで自分だけでしてきた選択がどういう結果を生んでいるのか想像してみるといいです。ゴールからさかのぼってスタートまで。さぁ、どこをスタートにしますか?そっからです。それが正解だったと思える選択であれば、流れに沿った生き方ができている証拠。
当然ですが、流されるのと、流れに沿うのじゃ意味が違いますからね。もっと言うと、流れに沿い方があるんですけどね、そこの行動なんですよ。
あのときあぁしていれば、、、これがあるとすれば、流れに沿ってない証拠。周りの意見を聞く選択を視野に入れてみる。嫌なことを言われたから信用に値しない、これは主観的視野と言います。周りが信用に値するかどうかは、その人たちの自分に対する嫌な発言じゃなくて、レベルを見たら良いと思います。その人何次元にいそうですか?それが客観的視野になり、課題の分離にもなってる。


どういう意味かと言うと『嫌な発言をする=聞きたくない』から、聞かないじゃなくて。もっと難しいのは、嫌な発言であれば、次元確認をしなくても聞く耳を持った方がいいときもある。『お前に言われたくねーよ』というものがメッセージだったりします。これが結構辛かったりする。
もちろん、メッセージかどうかの取捨選択も必要になってきます。聞かなくていいものもある。
魔女の宅急便でもキキへのメッセージがたくさんありましたよね。
やばい、書いたら長くなってきた・・・



ぼんやり生きてません?こうやって、自分のした選択からどういったメッセージを拾えるか?常に考えてわたしは生きてます。答え合わせしながら。滞りが出る原因を見極めないと。パラダイム数は大事です。気づいてないパラダイムがあるとミスするから。けど、気づいてないよ!ってメッセージも貰える。もっと言うと、気づいてないパラダイムがあったとしても、結果を見ると、最善になってる。そんな感じです。
聞く人の見極めも必要。
そういう人からメッセージを受け取りながら、ひとつ、ひとつ階段を上っていけば、徐々に覚悟が出来て行く、これに近い感覚でしょうね。
そして、してきた覚悟が正しい結果をくれる。何があっても動じない自分を作って行くことができる。
その正しい結果が、自分の自信になっていく。最近は、自分が想像したどのパラダイムが正解かどうかを知るのが楽しみで仕方ないんです。日々、パラダイムは増えて変化して行くから。
おばあさんは『ニシンのパイ』を孫娘にプレゼントしたかったから、キキに配達を頼んだ。
キキは、嵐みたいな雨の中、ニシンのパイを無事に届けることができた。
道中色々な出来事を経験したけれど、それは全部キキの糧になる。
ちなみに、自分がプレゼントしたものを相手がどう扱おうが、渡した側は気にしない、が正しいんだと私は思ってますけど、大切に使ってくれていると当然嬉しいです。そういう思考でいると、あげたものを使ってくれてるだけで感謝したくなる。



そういうのを一応分かってるから、自分では、頂いたものは大切に使います。人に求めないだけで、自分じゃしない。そのルールは自分の中に当然あります。
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