与えてばかりのギバー側の人生に疲れた。受けとる側のテイカーがうらやましい。テイカーはいつも貰えていいな。
そう感じていた私がいました。
そして気が付いたことがあります。
頑張っても頑張っても与える人生を生きてきて、ギバーが2つに分かれることに気が付きました。
他人軸(他者志向型)と自分軸(自己犠牲型)のギバーがいることに。
わたしは間違いなく、自己犠牲型のギバー。
そこから、マッチャーという単語も知ることになり、人生で一番成功するのが他者志向型ギバーということも知ることになる。そして、自己犠牲型ギバーが幸せになるには、他者志向型を目指した方が生きやすいらしい。
この記事では、、
・ギバー、テイカー、マッチャーの違い
・自分軸、他人軸の違い
どう生きるのが生きやすいか?についてまとめています。
ギバー・テイカー・マッチャーと、他人軸と自分軸
ギバー・テイカー・マッチャーを図にまとめてみました。↓こういう人のことを言います。
- マッチャー(ギブテイクのバランスを取ろうとする人)【自分軸・他人軸】
- テイカー(受け取る人)【自分軸】
- ギバー(与える人)【他人軸】
ギバー・テイカー・マッチャーの中に、さらに、自分軸と他人軸が存在します。
マッチャーは、相手によってギブ・テイクを変えるので、自分軸も他人軸も持ちますよね。テイカーは自分軸のみ、ギバーは他人軸のみと思われていましたが、なんと稀な自分軸のギバーがいる。
この中で優越をつけるとしたら、上の↑図の通り。
そして世の中で、もっとも成功しやすいと言われているのが、「他者志向型ギバー」なんですよ。
この他者志向型ギバーは、なんと稀な自分軸のギバー。アドラーで言う、主体的ギバーのことです。
他者貢献とは、自分を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ自分の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。
アルフレッド・アドラー
\この本読んだらわかるよ/
ギバー・テイカー・マッチャーの何が悪いってワケじゃなくて、長期的視座で見ると、テイカー(自分軸)のまま生きようとすると、どこかで破綻が来やすいのでは?と個人的に思っています。
↑紹介した本に書いている、建築家「フランク・ロイド・ライト」の人生を見て、考えさせられてしまいました。
だって、テイカーは自分の利益ばかりを考えるから人が離れやすい。
生きている以上「人のためにできることは何か?目の前の人のためにできることは何か?」こういう考えを持つ人の方が恐らく上手に生きることができる。だって、最終的には人間関係、「人」だから。
恐らく、何でも行き過ぎると、どこかで衝突が起こる。
ビジネスで言うなら、事業が他者貢献になっていても、身近な社員が疲弊して、不満が出ているようでは意味が無い。
人生やビジネスでなくても、世間的にも、恋愛でも、最終的には人間関係に落ち着つくので、短期的に得をしても、長期的に見れば人が離れやすい。
こういうことだと思います。
ところで、その比率は(分布は)と言うと、、
- マッチャー(56%)
- テイカー(19%)
- ギバー(25%)
ちなみに最も成功するとされている「他者志向型ギバー」になれるギバーは、ギバーの中から10%だそうです。
最も成功するのが「他者志向型ギバー」だと言われていはいますが、経営者がテイカーでも、ある程度成功できるんですよ。金銭的な成功です。それじゃぁ、テイカーとギバーの違いは何でしょう?
テイカーは妬まれ、ギバーは応援される
周囲の人が受ける感情に違いがあると思います。
テイカーが勝利すると、人の妬みを買うことがある。手段を選ばないから、犠牲になる人が増えるんですよ。
あれやれ!これやれ!「できません」なんて通用しない。「できません」なんて言った日には、あなたではない、他の適任を置かれるだけになる。テイカーって多分こんな感じです。人を蹴落としてでも自分、自社の利益を優先する。そんな感じ。
使えないと思われたら切られる。これに怯えながら社員は仕事をしていくことになるから、社員は自身の生活などを犠牲にせざるを得なくなる。
自分の利になれば、他の犠牲に気付かない、犠牲とも思わないのがテイカーですかね。
ギバーの勝利には時間がかかるけど、双方WINWINになっているのが特徴です。
マッチャーは、犠牲にしてたり、WINWINになってたり。
なので結局は、相手が喜ぶことを考えて行動した「自分軸のギバー(他者志向型ギバー)」が最も成功しやすいと言われているそうです。
まず、言葉のひとり歩きが過ぎる。この整理が必要です。
自分軸と他人軸の勘違い
昨今、「自分軸」で生きましょう!その方が楽に自分らしく生きることができます!
とか、よく耳にしませんか?
これ、気を付けた方がいいと思うんですよ。
まるで「他人軸」であることが「悪い」かのように扱われ、自分軸であることが「成功」を意味するように受け取られる。
違う、違う。
他人軸であることは、悪くはないことがあるし、自分軸でありすぎることには注意が必要。
これが正解だと思う。
ギバー・テイカー・マッチャーの考えがないから、「他人軸=悪い」になる。
生きやすくするためには。人生に成功を取り入れるためには、ギバー・テイカー・マッチャーの考え方を取り入れておいたほうがいいと思います。各段に。
でないと、テイカー(自分軸)である人が事業を始めて短期的に得したとして、どうなります?その人が、やっぱり好きなことした方がいいですよ~!って提唱始めたら。長期的視座で破綻が待ってるとしたら。怖いでしょ?どこかで意識変換が必要だと思う。奪ってばかりだと、破綻しやすいから。
知っとかないといけないんですよ、世の仕組みを、そして自分を。
悪いとされてる他人軸ってこういう人のことを言います
一見人のために○○してると思われる行動が自分のためだから、自分でも認識を誤りがちなんですよ。
どういうことかと言うと「悪い」とされている「他人軸」の人の言動は、人の目を気にした、自分のための言動だからです。
自分自身で、自分自身を見誤りがち。
人のためと思っている、その言動が、実は「悪く思われたくない、よく思われたい」っていう自分のための言動、行動。
ややこしいですよねー
だから気がつき辛いんですよ、そうなってる自分に。
人のためと思ってしている行動、言動が、結局は自分のための行動、言動だから、人に伝わらないし、自分が思ったように伝わらないから、行動してもらえなくて、裏切られたと感じやすいって言えばちょっと腑に落ちますでしょうか?
そゆこと!?って思っていただけたなら、幸いです。
テイクありきのギブがどういう状態のギブであるかを、分かった方がいい。
人のための言動なのか?自分のための言動なのか?分かっていさえすれば、きっと大丈夫なんですよ。分かってないと、物差しがどこにあるのかすら分からなくなって、自分の考えが消えていく。
いつの間にか、Win-Winの関係じゃなくて、Win-Loseの関係性になっていて、結果、他人に振り回されるように感じるようになってしまう。
自己犠牲型ギバーとも言えますけど、そういう人は愚痴が多いと思いますよ。
紹介したような「悪い」とされてる他人軸(自己犠牲型ギバー)を持っているならば、他人の言動がめちゃくちゃ気になっているはずです。
どうすれば、自分主体の考え方になれるんでしょうか?
それは相手のため?自分のため?厄介な他人主体
物事を決断・判断するときの判断材料が「相手主体」か「自分主体」であるかの差。 それが自分の意思なのか、相手の意思なのか?で大きく変わってくるんです。
ちなみに、自分の意志で決定しているギバーのことを「他者志向型ギバー」もしくは、アドラーで言う「主体的ギバー」と言います。
例えば、、「相手がこうしたそうだから、こうしておこう」でもいいんですけれど、こうしておこうと最後に決めたのは自分ってことが分かっていれば問題ないと思うんですよね。
ただ・・
- 相手が○○と言うから、そうする
- 相手に○○と思われそうだから、こうしておく
完全なる、相手の意思(だと思ってるけど、自分の意志なんですけどね)による決断・判断で、自分がどっかいっちゃってる人っているじゃないですか。疲れる、そうだと生きにくいよって言われている「他人軸」の人ってこういう人のこと言うんです。
昨今言われている、自分軸で生きましょう!他人軸で生きるのは辛い!って言われてる「他人軸の人」のことです。
その中で、世で最も成功しないタイプの自己犠牲型ギバーのことですね。
ここは、他人軸を抱えているマッチャーも気を付けておいた方がいい。
テイカーは常に自分軸だから関係ない。
ギバーが2つに分かれることに気が付いている人ならいいけれど、気が付いてない人は安易に「自分軸で生きましょう!」って言わない方がいいと思う。そんな単純じゃないから。もっと深く考えた方がいいのかなと個人的に思います。勘違いが起こっちゃうから。
他人を尊重してるという名目の、自分を殺して、無理して合わせてるだけ・押し付けているだけというややこしい性格。
そして、こういうタイプの「他人主体である他人軸」は、気の利いた気配り、心遣いなんて到底できません。
できないって言うよりも、思考回路が邪魔をする、そんな感じです。
ほら、プレゼントに相手の欲しいモノじゃなくて、自分の欲しいモノを相手にあげるっていうことも平気でする。
相手から思ったような反応が返ってこないことに怒りがでることがある。ココです。
例えば、冷蔵庫にすごい食材もある、料理上手なあなたがいるとしますよね。
「何が食べたい?」って聞いて、「今日はお茶漬けが食べたい」って言われたとします。
けど、フランス料理のようなフルコースを用意するあなた。
目の前の人は、お茶漬けが食べたいんです。
- 相手が本当に望んでないものをテイクする可能性
- 相手からのギブを期待(ギブには感謝も含まれます)
望みもしてないものをもらっても、いただいた行為は嬉しいけど、ありがた迷惑ってことになることもあるじゃないですか。どんなものでも感謝、は置いといて。いただいたモノを全員が全員心から「ありがとう」っていうとは限らない。
フランス料理なんだから、あんな一生懸命作ったんだから、喜ぶでしょ?食べるでしょ?作れるわたし(おれ)すごいでしょ?
そもそもだけど、
お茶漬けっつっただろ!!
って言うね。
料理作ってるんだから感謝が先でしょう?って、今回そこは置いといて、要するに「フランス料理を作ったのは自分」、それを食べるか食べないのかは相手の課題、それが分かってればいいんです。それが自分主体ってこと。
自分で作るって決めたのに、お茶漬けって言ってる相手が「フランス料理は今はいいかも、、ごめん。」。
怒れないでしょ?だって、お茶漬けって言ってるのに、勝手に作ったのあなたなんだから。
だから、最初っから、
お茶漬けっつってるだろ!!
相手が何を欲しがっていて、自分にできる最善を考えられるといいのかなと。
フランス料理できる材料あるけど、最高のお茶漬けにしよう!とかね。
自分へのギブのためのテイクがある限り、ギブするものは相手が欲しいものじゃないとダメだし、なのに欲しくないものをギブしてテイクをもらおうとする。それに「ありがとう」が無かったりすると、それ相応のギブを要求してしまい、そのズレから怒りが起こることがあるってことです。
そもそも、お茶漬けって言ってるのに、フランス料理にするその動機は何なだんだよっていう。承認欲求が垣間見える。
自分軸のテイカーは奪うだけだから、悩まない。先にギブなんてしないし。それ考えると楽な性格してるなって思うけど、人は離れるっていうね。
そして他人主体の他人軸の人は、自分の善意をパクパク食べられるだけ食べられてしまい、疲弊して行き、腹を立てる。自分の思ったとおりの結果が出ないなんてことがあってみてください。
わたしは○○だと思ったのに、あなたがそう言うから、言ったから、やっぱり○○しとけば良かった。てなりがちじゃないですか?いません?そういう人。
知らねーよ。
そうするって決めたのは誰だよ。じゃぁ、自分の責任でしょう?なーに都合よく「○○だと思ったのに」とか言ってくれてんだよ。もう一度思うよ。
知らねーよ。
相手に○○と思われそうだから・・というマイナス思考って言うんですかね・・相手にめちゃくちゃ失礼だし、○○と思われそうっていう思考回路は自分の思考だろ?って話です。
- 相手が○○と言ったし、自分もそう思ったからそうする
- ○○すると相手が喜ぶだろうから、こうする
という健全な自分主体の「他人軸」なら、他人軸も「悪い」の一括りじゃないし、こういう「他人軸」の人ならば、細かい気配りや心遣いができるのではないかと思います。
多分、承認欲求がありすぎると、他者志向型ギバーにはなれない。どう考えても、自分で自分を認める作業が先だから。自分で認めていないと、その分他人からの賞賛を欲しがってしまう。自ずとテイク、テイクありきのギブしかできなくなるんじゃないかと考えます。見分けは、他者からの評価がイマイチだったとしても「そっか、やり直そう」とかで割り切れるかどうか?じゃないでしょうか。まぁ、そういう人はフランス料理なんて作らないと思いますけど。思考が変わらないから、行動がそうなる。必然と言えば必然、ですよね。
ずっとテイカー、もしくはマッチャーの可能性が高い。
だから、先に自分を満たす必要があるんだと思います。
ついでに、「自分もそう思ったからそうする」ということは、ここで人の見極めができています。
だって、したくない相手にはしないでしょう?心がザワつくもの。
自分がそうしたいなと思える相手をしっかり見極め、ちょっとごめんだわという人からは適切な距離をとることが大切です。相手によって自身の関わり方を変えるのが大事。そして何を与えられるのかを考える。
基本、ギバーとテイカーは合いませんから、気を付けてくださいね。
ザ・マッチャーにも嫌悪感抱くことあると思います。「この前○○したから、今度はそっちが○○してくれる?」マッチャーは、平気でこれ言います。
基本的にはギバー同士の方がいいと思う。疲れないから。
ザ・マッチャーっていうのは、長期的視座で見ても「マッチャー」の人のことです。ギバー転換が難しいだろうなって人。いますよ、そういう人。
取っていい手、取ってはいけない手は見極めないといけません。難しいんですけどね。
世間には、相手のペースで動くことが苦にならない、他人に合わせることが苦にならない、それが嬉しさになる「他人軸」の人が一定数います。
「他人軸」という言葉が一人歩きしすぎて、解釈の違う双方の人が「他人軸」を討論しても、結論って出なくて、「他人軸」という言葉の意味の解釈が共に違うんだと思うんです。
そして、ギバー・テイカー・マッチャーの区分けを知らない。
「他人軸」に対する考え方を整理した方がいいと思う。
「相手主体の他人軸」なのか「自分主体の他人軸」なのか。
自分軸と他人軸、どっちがいい?そんな単純な話じゃない
世の成功ということを視野に入れるなら、自分主体の他人軸(他者志向型ギバー)であった方がいいワケですが、「他人軸」の認識が違うから、「自分軸」と「他人軸」どっちがいいか?てな話になるワケで、もっと深く考えた方がいい。
ここまで話すと「自分軸」であるテイカーの人は、「他者志向型ギバー」を目指さなきゃ!と思うと思うんですが、目指そうと思ったその時点でテイカー思考です。気をつけて。だから、まずはマッチャーを目指されたらいいと思う。
与えるという行為の中に「自分のために相手に与える」というものがある以上、他者志向型ギバーにはなれないのです。せいぜいマッチャー。
「楽しめる自分」「嬉しい自分」がいて、自分以外の誰か喜ぶ姿が起動力になるなら自分主体の他人軸で生きていいのです。それが他者志向型ギバー。
気が付いたら、そうなっていた、その表現が合ってると思います。
自分の欲求が満たされた先に、その光景がある。マズローの五段階欲求と同じです。
できる努力があるとすれば、テイカーはマッチャーになることを目指されたらいいと思います。
ギバーは、搾取され続けない、自分を犠牲にしない、他者志向型のギバーを目指しましょう。
別に「他人軸」が悪いワケじゃない。
「他人軸」を見誤らないで欲しいのです。「他人軸」なら、「自分主体の他人軸」に変わればいいだけ。
とは言え、世間一般じゃ「他人軸」で一括りにされてるんですけど、そういう気質ってことを理解して、他人が喜ぶのを好きな自分がいてもいいんですよってことが言いたいのです。
「自分にとって意義のあることをする」「自分がワクワクすることをする」といったことで気持ちが満たされる。それが他社志向型ギバーの人です。長期的視座で見ると、こういう人が成功しやすいってことです。
気遣いできるし、空気も読める、他人のために動ける人なんですよ。
何も悪いことないじゃないですか。
「他人軸」の人は、気遣いができて空気が読める分、相手のことを尊重しすぎる傾向があって、いつの間にか Win-Loseの関係性を作ってしまうことがあるから、自分のことをよく知ってれば見誤ることだって無いと思うのです。
もし生き辛いのであれば、それが職場なら居場所が違うってことだけかもしれないし、理由はいろいろで「他人軸」が悪いってワケじゃないんですよ。
ギバーに疲れた※まとめ
- あなたは今どうしたい?
- どう感じた?
- 怒ってる?
- 怒ってるんじゃなくて、悲しいんじゃない?
こんな風に、自分はどうしたい?って強く思って、最後まで自分で考え抜くっていう癖をつけて行くと、「自分軸」って、少ーーしずつ、できてきますよ。
自分軸ができ始めると、「自己犠牲型ギバー(他人軸)」である人に嫌悪感を抱きやすくなるんですよ。
今までは、傷のなめ合いしてたのに、それができなくなるから。意味がないことを知ってしまったから。鬱陶しいと思ったときには、距離を置いて自分を守りましょ。それでいい。
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