『無知の知』があるからこそ、『ゲシュタルトの祈り』にたどり着く。
わたしは、そう思っています。
どちらも出発点は『自己の理解』にあり、そしてどちらも『周囲との関係性』を深く見つめる哲学だからです。
『私は完全ではない』 → 『だから、相手も完全ではない』この認識があってこそ、『だから、それぞれが自分の道を歩めばいい』 という結論に至る。

多分合ってる、と思う。
このブログでは、ソクラテスの『無知の知』とフレデリック・S・パールズ『ゲシュタルトの祈り』のつながりを探りながら、『無知の知』をもっとわかりやすく理解できるように、具体的な例をまとめてみました。
ソクラテスの『無知の知』とフレデリック・S・パールズの『ゲシュタルトの祈り』の関係性


- 『無知の知』は自己理解のスタート地点
- ゲシュタルトの祈り=自己と他者の分離
- 『無知の知』なしに、ゲシュタルトの祈りには到達できない
①『無知の知』は自己理解のスタート地点
ソクラテスは『自分が何も知らないことを知っている』という『無知の知』を説いてます。これは『自己理解』を深めるための第1歩。
『無知の知』の本質
- 人は、自分の思い込みに縛られている。
- 自分が『自分は何も知らない』とあれば、新たに学ぼうとする。
- つまり『無知の知』は、真の自己理解への第1歩になる。



自分を知ることは、自分が何も知らないことを知ることから始まり、これは単に謙虚だということではなく、『知る』ということへの積極的な姿勢、自己改革・変化を受け入れるための一歩。
- 『私は何も知らない』と気づくことで、思い込みから解放される。
- その結果、『学び続ける姿勢』が得られるようになる。
- これは『自分自身を深く知るための始まり』になる。
②ゲシュタルトの祈り=自己と他者の分離
ゲシュタルトの祈りは、『私は私、あなたはあなた』という意識を持つことで、他者の期待コントロールから解放される哲学。これは、『自己理解 × 課題の分離』に直結しています。


ゲシュタルトの祈りの本質
- 自分は自分の人生を生き、他人もまた自分の人生を生きる
- 相手を変えようとせず、自分の道を歩む
- 無理に期待に応えず、自由を尊重する
他人と分離することで、真に自由な自己を確立できる。
③『無知の知』なしに、ゲシュタルトの祈りには到達できない
- 『無知の知』がなければ、『自分が何を求めているのか?』も見えない。
- 『無知の知』を知ることで、『私は私』というゲシュタルトの祈りの意識が生まれる。
- 『無知の知』を受け入れることで、他人との適切な距離をとることができる。
- 大体の人は、『自分はもう知っている』と考えているから、理解しない他者への攻撃が生まれてしまう。
- しかし、ソクラテスは『本当に知っている人は、自分の無知を知っている』と説いていた。
- 『自分は何も知らない』と気づくことで、初めて本当の学びが始まる。
- 『無知の知』がなければ、自己理解の入り口にすら立てない。
『無知の知』を受け入れ、自分を知ることで、初めて『私は私』と言える。



ゲシュタルトの祈りを実践するには、『自分は何者か?』が明確である必要があって、自己理解できないまま『私は私』と言うと、結局自己中心的な思考になってしまう。
ここで、『無知の知』ってどういうこと?という方のために、いくつか例を考えてみました。
↓つまり、わかりやすく説明すると、こういうこと。
①【ソクラテスの無知の知】ノールックでボールぶん投げるな編





私は自分の意見を持っているから、言いたいことは遠慮なく言う。傷ついた?知らないし。私は自分の考えを言っただけだから!



なるほど。じゃ、例えば誰かがあなたに『お前その服ダサすぎ』って言ってきたら?



そんなのムカつく!



でも、その人はただ『自分の考えを言っただけ』じゃないの?



……。



あなたが『私は本音を言うタイプだから』っていうのはいいのよ。でも、聞いた相手がどう受け取るかまでは考えないのね?



だって、それは受け手の問題でしょ?



じゃ、あなたがムカついたときも『それはあなたの問題』ね。



……いや、それは..。



つまり、『自分が言うときは問題ないけど、言われたらムカつく』ってこと?



……。



それって、ただのダブルスタンダードでしょ。



ダブル…課題の分離をしてるだけよ!



あら、アドラー思考なの?だとしたら『課題の分離』を間違えてない?



あってるでしょ。相手がどう受け取るかは相手の問題、私は本音を言ってるだけだし!



そう。でも、アドラーも『ノールックでボールをぶん投げろ』とは言ってないのよ。



え?



ぶん投げるだけじゃなくて、どこに投げるか考えたら?



でも、私は本音を言うタイプだから! 嫌なら聞かなければいい話!



『聞かなくていい』?じゃ、わざわざ発信する理由は何?



……。



あなたの言い分まとめると、『嫌なら見るな』と言いつつ、『見て反応するな』も求めてない?それって、『私は好き勝手言うけど、お前は黙ってろ』ってこと?



っ……。



『発言(発信)は自由』っていうけど、あなた『受信者の自由』は認めないの?



……。



あなたの投げ方って、まるでノールックロングシュート、回転爆速スクリューパス、フルスイング大暴投みたいよ。



……伝えたいことを言ったまでだから!



伝えるってそゆこと? それって『本音を言う』じゃなくて『やりたい放題』の間違いでしょ?



……。



アドラーも『対人関係では課題の分離が大事』とは言ってるけど、それは『相手を尊重しながら自分の意見を持つ』ってことで、ノールックでぶん投げろなんて言ってないし。



……。



やりたい放題がOKなら、世の中は暴言と戦争だらけでしょ。



……。



伝え方を考えないと、ただの攻撃でしょ?それって、もう本音ロケットランチャー、感情火炎放射器。



……。



てことは何?あなた、戦争指向なの?



っ……..!
本当に『自分の意見を持つ』なら?
- 私は本音を言う。でも、相手にちゃんと伝わるように考える。
- 私は自分の考えを持っている。でも、考えなしにノールックでぶん投げることはしない。狙って投げる。考える。
まとめ
- 『私は本音を言うから!』は、ただの自己満足なぶん投げ。
- ソクラテス的に言えば、『自分が無知であることを自覚しろ』。
- アドラー的に言えば、『ノールックでぶん投げるな。狙って投げろ。考えろ。』
本当に『自分の意見を持つ』なら、
どう伝えればいいのか? を考えるのが 本物の知性!
それが問題だ──。
②【ソクラテスの無知の知】私は自分軸で生きてる、人に合わせる必要はない編





私は自分軸で生きてるから、人に合わせる必要はない。私が行きたい場所にしか行かない。だってそれが自分軸。相手がどう思うかは関係ない。私は私の道を行く。



へぇ……つまりどういう『自分軸』?



自分の価値観に従って生きることよ。他人に合わせる必要なんてないでしょう?



なるほど。じゃぁあなたは『他人に合わせない、自分の意志を大事にする』ことが自分の価値観なのね。



そうよ。



それじゃ、例えば旅行に行くとして、例えばお友達は北海道、あなたは沖縄って意見が割れたらどうするの?



沖縄に行く。



そうよね、自分軸大事だもんね。じゃぁ、お友達は北海道でいいのよね?



は?友達も沖縄でしょ。



お友達は北海道に行きたいのよ?



私が沖縄に行きたいの。



え?もしかして『人に合わせる必要はない!』と言いながら、人には自分に合わせることを強要するの?
つまり、全員『沖縄』って言うよな?的な?



……。



あなたの言葉を整理すると、『私は行きたい場所に行く』ではなく、『他人の影響を受けずに行きたい場所に行かないと気が済まない!!』という矛盾が生じているけど。
つまり、何が何でも全員沖縄だろ?的な。



…相手がどう思うかは関係ないのよ。私が私の道を行くの。だから全員沖縄に行くの。



なるほど。相手がどう思うかは『関係ない』、私が行きたいから沖縄に行く!というのがあなたの意見ね。



そうよ!



それなら、友達が『あなたがどう思うかは関係ないから、私たちは北海道に行く。』と言ったとしても、それはあなたに『何の関係もない』わね?



…..は?



は? つまり、『相手の気持ちは関係ない』と言いながら、相手の発言には異論を呈すということで合ってる?



っ……。



あなたさっきから何?あなたのは『自分軸』じゃなくて、単に『都合のいい時だけ自分の考えを押し通す』ことにすぎないでしょ?



それが自分軸でしょ。



それが自己中でしょ。
本当に自分軸で生きるなら?
私は『自分軸』で生きるなら、相手の選択も尊重しつつ、自分の選択をするという姿勢が必要。『私は沖縄に行く』と決めたのなら、友達が北海道に行くことも当然受け入れられるはず。
まとめ
『私は沖縄に行く』と決めるのは自由だけど、相手も『北海道に行く』と決める自由がある。
『私は沖縄に行く。でも、あなたが北海道に行きたいなら、それはそれでいい。』これこそが『自分軸』。
③【ソクラテスの無知の知】高級ブランド編





高級ブランドを持っていた方がかっこいいと思われる。周りも持ってるし、自分も買わなくちゃ。本当は好きじゃないけど、流行りだから買っちゃった。持ってないなんてダサすぎ、キモすぎだから。



へぇ……あなたにとって『かっこいい』って、何なの?



え? いや、周りから見てカッコよく思われることだけど?



つまり、あなたは 『他人がカッコいいと思うブランド品』を持つことで、自分がカッコよくなると思っているのね?



そうだけど?



じゃ、もし明日から全員が『ブランド品はダサい』と言い始めたら、あなたはどうするの?それでも持ち続ける?



いや…さすがに、ダサいって言われるなら持ちたくないかも。



へぇ、じゃ、あなたの『かっこよさ』は、自分の意志じゃなく、他人の評価で決まるのね?



…まあ、そうかも。カッコいいと思われないと意味がないでしょう?



意味がない?つまり、あなたの『かっこよさ』とは、流行や周囲の意見が変われば、簡単に崩れるものなのね。



え?



ほら、さっき自分で『ダサいって言われるなら持ちたくない』って言ったじゃない? つまり、あなたのかっこよさって、”自分で決めるもの” じゃなくて、”他人の評価次第” ってことよね。



………。



『本当にカッコいい人』って、流行に流されず、自分のスタイルを貫く人じゃないの?



え…?



逆に、周りの意見に振り回されて、好みでもないのに、周りが持ってるから、流行りだから買って、それが終わったら捨てる。それってダサくない?



…….。



あなたは『カッコよくなるため』にブランド品を買ったつもりだったでしょうけど、実はその行為こそが “最高にカッコ悪い” って気づいてる?



……。



他人の評価に振り回される『カッコよさ』って、コンビニの限定スイーツみたいなもんじゃない? 一瞬流行るけど、気づいたら誰も覚えてない。



っ………!



そんな薄っぺらい『カッコよさ』なら、最初から持たないほうがマシよ。タピオカブームの後に出てきた、よくわかんない映えスイーツみたいなもんでしょ? 最初はチヤホヤされるけど、気づいたら誰も注文してない。
黒糖ミルクとか、濃厚バナナジュースとか。もはや覚えてもいない。



価値観は人それぞれじゃない!



そうそう、価値観は人それぞれ。でも『みんなが持ってるから』って理由で選んでる時点で、それ『自分の価値観』じゃなくない?



っ………!
本当にオシャレになりたいなら?
1.自分の『好き』を知る
流行やブランドの価値に振り回されすぎない。
2. 流行を取り入れるかどうか自分で決める
流行を知ること自体は悪くない。でも、自分の意志で決めることが大切だと思う。
3. ブランドに頼らない
ブランド品を持つことが悪いわけじゃない。でも、『ブランド=かっこいい』と思い込むのは危険だし、『ブランド品持って無い=かっこ悪い』も全然違う。
本当にオシャレな人は、ノーブランドでもセンスよく着こなせると思う。
ブランドに頼らず、『自分らしさ』を表現できるか?が大事だと思う。
4. 『似合うもの』を知る
オシャレな人は、自分の体型や雰囲気、ライフスタイルに合った服を選ぶのが上手いはず。 『このブランドが人気だから』ではなくて、『自分に似合うか?』を基準に服を選んだ方がいい。
5. 他人の評価を気にしない本当に
すごくカッコよくなりたいなら、『言わずも伝わる人』になれるように、自分の内側を磨くことも大事だと思う。『人にどう思われるか』じゃなくて、『自分が納得できるかどうか』が基準。流行が変わってもブレないスタイルを持っている人ほど、魅力的に見えると思う。
まとめ
知ってる、着てる、持ってる。だから何?
本当にオシャレな人は、自分の『好き』を大事にしていて、流行に振り回されない。 そして、自分らしく着こなすことで、唯一無二のスタイルを持つから。
本当にカッコよくなりたいなら、『周りをどう思うか』『周りがどう思うか』じゃなくて『自分がどうありたいか?』を大切にした方がいい。



持論ですよ。
結局、物事の基準を知らないから、こういう自己中心的な発言や行動になってしまうわけで、、それを無知の知と言います。
知らないことすら、知らない状態。
今回ソクラテスなツッコミを入れて説明しましたけれど、実践でこれをしても、相手が変わるということは無いです。
きっと、そのまま。他人軸で生きる人は、きっとずっと他人軸。
きっと、どういうのが他人軸か分からないで生きているし、自分軸の勘違いもしている。
だから、ゲシュタルトの祈りが必要になる。どんなにアプローチして、説明しても、無知の知であることを認めるというのは、自分自身じゃないとできないんです。
相手に変化が見られたとしたら、それは、あなたのアプローチが効いたのではなくて、本人が変わろうと思ったから。
アプローチ中っていうのは、通常、喧嘩や言い争いになったりするんですよね。こういうアプローチは皆無に等しくなる。
エネルギー取られて終わる。
人へのアプローチをするにも、ゲシュタルトの祈りを頭の中に叩き込んどかないとできないんです。
知っとかないといけない。人の仕組みを、そして世の仕組みを。



あいつ全然変わらない!分かったって言ってたのに!!



理解はできても思考が変わらないから行動が変わらない。だって、思考は感情が元に作られるから、喧嘩になっちゃうでしょ。ガミガミ言われたら、聞けるものも、聞けなくなっちゃうでしょ。言い争いしかおこらなくなる。だからアプロ―チが皆無になる。同じ土俵に立っちゃいけない。感情に向き合うためには、自己理解しかないんです。
感情なんて、どこから作られると思います?生まれたそのときから作られる。今何歳?そんな何十年もの蓄積が、ものの1日、2日で変わるはずがない。
だから自分による『気づき』が必要になる。
それくらい難しんですよ、思考の変化は。






まとめ
『無知の知』があるからこそ、他人を尊重できる。
ソクラテスの『無知の知』がなければ、自己理解に至れない。自己理解がなければ、『私は私、あなたはあなた』と割り切ることができない。
だから、自分を知らない人は、他人と正しい関係を築けない。自分を知ることで、初めて『私は私』と自由に生きることができる
大体の人は、自分の価値観が『正しい』と思い込み、他人をコントロールしようとします。
『無知の知』があれば、『自分が正しいというのは限定的ではない』と理解できるようになるから、結果として、『私は私、あなたはあなた』というゲシュタルトの祈りの考え方が生まれる。
『無知の知』を受け入れることで、他者と適切な距離を認識できる。
まず、自分の無知を認めることで、自分の知識や価値観は不完全であり、絶対ではないと気づくことができる。同時に、相手もまた完全でないことに気づく。
自分が不完全であるなら、相手もまた不完全な存在。
だから、相手の価値観や考え方も『ただの一つの見方に過ぎない』と理解できる。
『だから、ゲシュタルトの祈り』がある。



という個人的な見解です。
この、ゲシュタルトの祈り、冷たく突き放した印象を与るせいか、賛否両論あるそうです。わからんではない。
『出会える』は『理解できる』『学べる』でもいいと思います。



これは、自分を信じて自分の意志で自分の足でしっかり歩いて行くという意味で、あなたの期待に応えることができたとしても、それは自分の意志で決めて行動した結果である。ありのままの自分とあなたを認めた上で、誠心誠意向き合った結果、相容れることができれば、それは素晴らしいことであり、相容れないと気付いたなら、それもそれ。という思考だとわたしは理解しています。
冷たくはないんですよ。相手を尊重しているだけ。


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