わたしはずっと、
「考え方」の説明書が入っていない人間でした。
みんな当たり前に使ってる風に見える。
人は人。
自分は自分。
……で?
どこで線を引くんだよ。
その“自分”ってどこからだよ。
なぜそう言えるんだよ。
聞いても返ってくるのは、

大人になれば分かる。
便利だな、その言葉。
たぶん在庫無限だろ。
わたしが貰った箱には、
中身が入っていなかった。
初期不良かと思ったけど、
返品も交換も不可。
なので、自作して入れることにする。
途中で一回、派手にぶっ壊れた。
そっから、
分ける。
切る。
因果を整理する。
感情と評価を分ける。
意味があったか?
正直、いらなかった。
あんな経験。
けど、通らないと自分を守れなかったから、通ったよ。
地図はなかった。
その崩壊に、意味付けはしたよ。
自分なりにね。
しないと立てなかったから。
でもさ、
崩れないと学べないっておかしいでしょ。
無理に意味を作らなくても、
人は学べるはずなんだよ。
なら、崩壊を前提にしない設計を
先に渡せばいい。
そう思った。
けど、渡しっぱなしはどうかと思ったから、
年間設計を計画してみました。
年間設計|仮


年間で物語が登場するのは、3回くらいだと仮定して。
日常の授業
→ ずっと構造で読む
(行為・因果・視点・感情)
1学期
素の感想
→ 構造化授業
→ 授業後感想
3学期
素の感想
→ 構造化授業
→ 授業後感想
これを1年で2回実施。
そして、1学期と3学期の「素の感想」だけを比較。
比較は教師が見てもいいし、子ども自身に見せてもいい。
なぜこうするかというと、
- 毎回“成長させよう”としない
- 読みは常に構造で進める
- でも年2回だけ「自分の変化」を見る
無理がないから。
1学期の感想は未熟でいいし、
3学期の感想は洗練されているかもしれない。
されていなくても、それも現実。
押し付けない。
ここで大事なのは一つだけ。
1学期と3学期の問いを完全に同じにすること。
問い|理由と本文の根拠を示す(案)


問い。
例えば
この物語を読んで、あなたはどう考えたか。
理由と本文の根拠を示して書きなさい。
条件は、
- 評価語だけで終わらない(かわいそうなど)
- 必ず本文の根拠を書く(どのシーンでそう感じたか)
- 行為と結果を分ける(どの行動でどうなったか)
- 登場人物の感情に触れてよい
※感情を書く場合は、どの描写からそう読めるかも書く
ここを固定。
質を見るなら、「見る観点」も固定すると強い。
例えば教師側の見る軸。
評価語が根拠に正しく接続しているか
例:✕ 兵十がごんを撃ったシーンから、兵十はひどいと思いました、ごんはかわいそうでした。
例:〇 ごんは、自分が届けている栗やマツタケを、兵十が神様の恵みだと思っていることに、「わりに合わない」と言っているシーンから、栗やマツタケを持って行っているのは自分だと気づいて欲しかったのかもしれないと思いました。最後、撃たれてから兵十に気付かれたところで、かわいそうだと感じました。
因果が混ざっていないか
例:✕ 兵十の母親の状況を知った場面から、ごんの中に、もしかしたら後悔や罪悪感が芽生えて、兵十のために栗やマツタケを届けているのだと思いました。
例:〇 兵十の母親の状況を知った場面から、ごんの中に、もしかしたら後悔や罪悪感が芽生えて、その気持ちが栗やマツタケを届ける行動につながったのかもしれないと思いました。



この辺は高度。
例えね。
感情が想像で暴走していないか
例:✕ ごんは栗やマツタケを兵十のために届けていたシーンから、ごんは兵十のために届けているのに、兵十は気づいてもいなくて、とてもひどいと思いました。
例:〇 兵十が「ごん、おまえだったのか」と言ったシーンから、届け物をしていたごんだと知って驚いたのだと思いました。その後、銃を落としているシーンから、兵十は後悔したのかもしれないと思いました。
視点移動があるか
例:✕ ごんは、自分が届けている栗やマツタケを、兵十が神様の恵みだと思っていることに、「わりに合わない」と言っているシーンから、「わりに合わない」ならしなければいいと思いました。
例:〇 ごんは、自分が届けている栗やマツタケを、兵十が神様の恵みだと思っていることに、「わりに合わない」と言っているシーンから、栗やマツタケを持って行っているのは自分だと気づいて欲しかったのかもしれないと思いました。だけど、兵十は届け物をしているのが、ごんだと気づくことができず、お互いにすれ違ったまま、ごんは撃たれてしまったのだと思いました。



これを内規として持っておく。
子どもに全部言う必要はない。
でも教師が持っていると、質の評価がぶれないから。
ただ、評価「✕」の生徒への指導をどうしていくか?どうするか?というのは、考えていかないといけないところだと思う。
変えていいもの


- 物語そのもの
- 学年相応の難度
- 文字数
なぜ物語を固定しなくていいかというと、
「この話をどう読むか」ではなくて、
「読む力がどう変わったか」を見るため。
物語が違っても、
- 根拠の出し方
- 因果のつなぎ方
- 視点移動の回数
- 感情の扱い方
は比較できる。
同じ物語でやると、記憶や慣れが混ざる。
だからむしろ違う話の方がよい。
見るのは“文章の構造”。



まだまだ、精査は必要だと思うよー。
検証時間を省くのが目的だから。
投げるだけ投げた図だ。
最後に
こういう感じで、子どもに伝えることができたらいいかなと思います。
わたしが、子どものときに、
言われたかった言葉。
※( )内は心の声です。
大人はいいなって思うでしょ。
何でも分かると思うかもしれないね。
自分で何でも解決できるんだろうなって、わたしは思ってたのよ。
(世間の大人ね、そういうイメージだった、わたしにはね。だって、大人になれば分かるって言われてたから。多分、それもあるかもしれない。)
でも、大人になって思うことは、大人にも分からないことはたくさんあるということだったの。
(全然、なりたい大人がいなかった)
大人になれば、全部うまくできると思うかもしれない。
でも、そうじゃなくて、
分からないまま考え続けることもある。
答えが出ないまま進むこともあるのよ。
失敗したらって思うこと、
大人でもあるのよ。
けど、どれも、それは失敗じゃなくて。
だからこそ、小さな「どうして?」を大事にしてほしい。
大きな疑問じゃなくていい。
恥ずかしいのに、
あいさつしようと思えたこと。
ちょっと勇気を出せたこと。
それは、もう立派に考えているということだから。
分からないことがあるのは普通。
考えようとすることが力。
あなたが分からないことを、
となりの人は分かっているかもしれない。
でも、
となりの人が分からないことを、
あなたは分かっているかもしれないの。
違いがあるだけ。
優劣じゃない。
分からないときは、
「分からない」と言っていい。
先生も、すぐに答えが出ないことがある。
そのときは、一緒に考えます。
余談|わたしの経験談
最後の「一緒に考えます」は、
個人の自由だよ。
わたしは、一緒に考えられる人が
ずっと欲しかったから。
そう、言っただけ。
善悪じゃなくて、
そういうもんだったから。
わたしにとって、世の中は。
一緒に考えてくれる人がいない人生。
厳しいこと言うと、
それも試練だし運命。
受け入れた。
あと、みんな知ってると思ってたのよ。
知らないのは、自分だけだったんだって強く思ってたんだよね。
教えてもらえなかったと思ってたの。
途中、



あなたみたいな人は面倒くさい。



疑問に思っても、俺に何も言わないで。
学んで言えることは、
人に説明するというのは、
難しいんだよね。
じゃないと、時代とか若さで
まとめ出すのよ。
大体、「大人になったら分かる。」
どの目線で何が分かるんだろうな。
大人のお前からしたら、子どもが分かってないじゃない。
大人で、子どもを通過したはずなのに。
ロジックどうなってんだ。
おい、分かるんだったら、大人のお前の
「分かる」を言え。
通過した後のこっちの解釈に賭けてんじゃねーよ。
あなたは(君は)、まだ若いから分からない。
おい、ジ〇ィ、バ〇ァ、お前の「分かる」を「そういうものだ。」ではなく、
根拠を元に説明してみろ。
もちろん、個人の人生主観の話なんかしてみろ。
ぶっ〇ロスぞ。
「わたしの若いころは…」
いらねーんだよ。
興味もねー。
時代読みの視点も知らないもんが、うるせーんだよ。
言いたいなら、そっからどんな風に学びを得て
きたのか、哲学と心理学交えて説明してみろよ。
そしたら、聞いてやるよ。
もちろん、アドラーはデフォだよ。



わたしが(俺が)どんな思いで…
知らねーよ。
アドラー読め。
自己防衛なんてしてみろ。
バキバキに壊してやる。
まず、人の意見も聞き入れない者に
その権利があると思うな。





こういうこと考えてるから、
めんどくさいってなるんだよなww
わたしの問いが、
否定にしか聞こえない構造でしょ。
そういうのをガリガリに噛み砕いて、
知識として埋め込んだ。



なるほど…弱さか….
ジ〇ーとバ〇ーの。
今は、心理学や哲学の知識詰め込んで、
(言うても、独学だからね)
あなたがなぜそういう状態かというと…
あなたのご家族がなぜそうなっているかというと…
この現象がなぜ起きているかというと…
全部説明できるけどさ。
けど、言わない選択もできてるよ。
弱さも理解できるようになったよ。
けどさ、原理原則を知らなくても、
誠実なら「わからない」と言えるでしょ。
一緒に考えられる。
わたしだけかな。
考えることが好きなわたしは、
一緒に考えてくれる人がいたら、
それは、救いになるんだよね。
問いを向ける相手は選ばないといけないね。
わたしが欲しかったのは、
答えそのもの
じゃなくて
一緒に考えようとしてくれる姿勢
だったんだと思う。
あぁでもない、こうでもないって、
互いに言える関係よ。
そしてそれが無かったから、
わたしは自分で構造を作り、
自分で刃を研ぎ、
自分で崩壊し、
自分で再構築になってしまった。
それは強さだけど、
孤独でもあってね。
今でもそうだよ。
皆、問うことを嫌がるんだ。
それが、どっから来てるかも、今はわかるよ。
自己防衛。
あぁ、あえて問いたくないときも、あるよね。
それを分かってくれてるのと、分からないでいるのには、差があるでしょ。
確かに、あの経験がないと、
今のわたしは構築できてないと思う。
自己否定ではなくて、
例えば「強さ」であっても、
何も、あんな道じゃなくてもよかったと思うんだってね。



崩壊に意味付けはしたよ。
自分の中で。
なんであんな経験しなくちゃならなかったんだよ。
いらねーよ。
通ったよ。
けど、未知な道は2本。
試練かそのまま。
交渉はしたよ。



どっちも嫌なんだけど?



いえ、2本です。



ふざけんな。
お前が通れよ。
で、地図はよ。



いえ、ありません。



〇ロスぞ。
自分の内にある「強さ」なら、
過酷な条件下じゃなくても、
出すことはできると思うんだって。
今ある「強さ」は脆いよ。
もっとしなやかで、
賢い「強さ」の形もあるはずだよね。
強さは、過酷さからしか生まれないわけじゃない。
もっとしなやかで、
もっと賢くて、
誰かと一緒に育てられる強さもあるはずだよね。
わたしは、誰もいなかったから、
ひとりで、試練の道を選んだだけの話。
そうするしかなかった。
だから、
「一緒に考えます」と使っただけ。
ただ、それだけだから。
そこに、強制はないよ。



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