強さと弱さの受容※親ではなく、自分の投影

前回の続きになります。というか、長くなりすぎたのでこちらに移動しました。

ここにあるのは、単なる怒りの記録でも、長文の愚痴でもない。

罵倒もある、皮肉もある、けれどその奥にあるのは――構造。親を憎んでいるように見えて、それは自分と親の投影だった。

つまりは苦手な親=自分という構造の世界。

弱さを罵倒しながら、ほんとうは強さの芽を探していた。

誰かを責めているようで、それはすべて自分への罵倒。

これを読んで『痛い』と感じる人ほど、たぶん一度は“罵倒側”を通ってきた人だろうと思う。無自覚なまま誰かを下に見て、自分を保っていた記憶がある人。

つまり、この記事は『感情の構造解体ショー』であり、『自己一致という爆弾』を抱えてしまった者の、孤高の戦いの書でもある。なめてもらっちゃ困る。

心理学では届かない場所で、構造を自力で暴き、自分の手で組み直したわたしの記憶と実況中継。

目次

弱さと強さ

弱さにはさ、自覚があるものと無いものの二種類あってさ。

そこから、自覚が無くても、伝えられて受けられる度量がないとダメだよね。

きっと、本当の強さって、弱さを自覚したまま、誰かと関わろうとすることなんだよね。わたしにはそれが、いちばん“美しい強さ”にも見える。

いつも思うけど、強さと弱さって表裏一体だよね。

通常は大体、弱さの自覚もなく、自分が弱者だと思う者を見つけて罵倒するか馬鹿にする、もしくは、提示されると怒るのよね。わたしの美意識に反するのよ。だけど、それでも正当化を続けるのが、わたしから見た本当の弱者ね。それでも、伝えてきた時期もあったものだけど、止めてたのよ。

伝わらないから。意味ないし。対時間を考えたら、そこに価値ないでしょ。

元々、わたしは自己一致率100%と同等。けど、不完全。
最初に構造に気づいたんだって。だから、正解(自己一致)の模倣から入った。だから制御力がすごいのよね。知ってしまった以上、添わないと美意識に反するから。けど、答えが分からないのよ。けど、正解は分かる。この状態だ。

自分の我=相手への不敬という考え方

自分の我=相手への不敬になると感じていた。

自分の感情を出すことが、相手の自由を侵すようで(まぁ、相手はその尊重にすら気付かないことが多いけどね)、それは美意識に反するとすら思っていたから。

というのも、わたしに問題があって、どうしても多分見えすぎる。

だからいつも、わたしは〇〇だ。と存在としての答えしかしてこなかった。関係で語るとき、”なぜ必要か?” に自覚がないと、依存や確認要求(これには自覚が必要)にすり替わるんだよ。

だから、どんな感情があっても、“委ねる”以外の選択肢がなかった。つまり、受け身で縁起に従う。考えてみたら、こうして欲しいなんて、言ったことがない。誰にも。この構造は見えても、答えが分からない。伝えたいことすら分からない、掴めないから、伝えられない。

『正解』は構造や論理から導ける。だけど、自分の“本当の答え”が何かは、ずっと曖昧。ここにきて、ようやくワンピースが分かった。

だけど、伝えても次元が違うと伝わらない。次元を保つための行動が全部水に流れることもある。

温床による慢心の正体=自己不一致、自己理解不足

受容により慢心が出るということは、恐らく、わたしは真逆だろう。どういうことかというと、わたしの様な賢い存在から認められたところで、そこが温床になり慢心が出るのは、お前に自己理解が足りないからだ。恐らく本来の自分に、まだ辿り着いていない。つまるところ、本来の自分をまだ知らないに等しい。

それを証明したかったのか?存在さえ確認できたら、大丈夫になるはずだ。違いましたという結論がでて良かったな。つまるところ、自己理解不足だ。

この自己理解不足者が。今度、自己理解云々言ってみろ、そして意味もなく弱者を罵倒してみろ、海に沈めてやる。

いいか?人を罵倒していいのは、わたしから見た賢い者だけに限るんだよ。そこにお前はいない。資格がそもそも存在していないんだよ。免許を自ら捨てたからな。

この構図、気づいてなかったに違いない。そしてここに落ち着く。無自覚な自己不一致者は、平気で人を傷つける。

わたしがいい例だろう。笑

気が済んだか?目いっぱい人を傷つけに行って、せーせーしたことだろう。自己重要感も満たされて、満足だろうな。

おい、存在承認なら親に頼め。

自分のことにも、自分でYESを言えない人間が、わたしに何の用だ?わたしは自分で自分にYESを出している人間だ。認められたこと?一度もないけど何か?

誰か認めて、これならまだ分かるわ。笑 目的に沿えるから。しかし、対象は親なのに、それを他人に求めるこの構図は、目的に沿えてるとは思えないね。自己承認の旅に他人を巻き込んでんじゃないよ。親じゃないとダメな図だろう?わたしは違う。自分の渇望、真(心)に向き合ったから。

何にせよ、すごいね、このポテンシャル潰しは。圧巻だよ。

数値で表そうか?100が最上級だとしたら、マイナスが付く。それくらいだね。見立てが正しければ、100どころじゃない。数値がかなり高いはずの人生。飛躍ぶりが違うんだよ。

大体想像ついたわ。

まぁ、ここを感覚的にでも悟られたとしたらば、途中から制御が入るだろうね。その制御が檻だな。檻から出られない人生の図が成立した。

離れないで。

爆笑だなwwコントかよwww

自己理解?ww

なるほどな。

Take care.

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